2020年6月11日木曜日

モノづくりの、大きな変化に見える、クルマの未来。


愛車の1台、スバル・クロスオーバー7が購入して3年たち、1回目の車検になった。なくてもいいかな、と思ったが代車を1泊借りることにした。なんでもいいから乗ったことのない車に乗る、そういうことが好きなのだ。

お借りできたのはスバルの(当然スバルの可能性高いわけで)ジャスティ。リッターカー(996.c)のスバルでは最もコンパクトなクルマだ(軽は除く)。「代車はこちらです」と引き渡されたその車、ぜーんぜんスバルの気配がしない。ありゃ?これっすか???まだ新しい(こちらも1回目の車検が終わった直後だった)、走行距離1万キロに満たない代車は、どう見てもトヨタに見えた。
これって、ダイハツですか、と尋ねると「よくご存じで」と返ってきた。聞けば4兄弟。トヨタのタンク/ルーミーとダイハツのトール、そしてこのスバル・ジャスティをまとめてダイハツが生産・供給している。予習はこれくらいにして、旭川の永山の営業所から32km離れた美瑛に戻ってきた。


最初に違和感がいっぱいあった。まずポジションが決まらない。ハンドルに程よく近づけると、足が窮屈。逆もしっくりこない。ハンドルにテレスコピック機構なんてないから、仕方なく中間で妥協。すぐに出したウィンカーのレバーも節度感がない(要はカチッとしていない)。アクセル踏んでもあんまり加速しないし、ブレーキも初期制動は緩い。コーナリング時の、ロールはまぁ自然だなぁと思うのでOKだけど、背が高い(173cmもある)から、少しスピード出てるとちょっと怖い(でも、問題なくコーナリングしていきますけどね)。ほんわか、と言えば言えなくもないが、全体としてもっさり感満載の代車君に、うーん、ちょっとストレスたまるかもなぁーってのが第一印象だった。
そうこうしながら美瑛に接近する頃には、そこそこジャスティ君の人となり、ならぬ車そのもの、に慣れてきた。ドライヴィング・ポジションだけはしっくりこないけれども、四角くて取り回しのいいコンパクトなボディは扱いやすい。ブレーキもクセを心得ておけば、無理なく制動可能だ。でもって、とにかく広い。後部座席に3人乗れる5人乗りなのだが、たぶん余裕で乗れちゃうと思う。それでもって荷室もまぁまぁある。シートヒーターやバックカメラに加えて、アラウンド・ビューモニターも付いていた。アイドリングストップもするし、調べたらACC(クルーズコントロール機能)もそれなりに稼働するらしい。


今日20日、愛車の車検が終わって引取りに、つまりジャスティ君を返しに行く。ドラポジ以外にはほとんど違和感なし、不満もあんまりない(加速が悪いのはちょっと・・・)。むしろ、これで十分満足だな、とおおいに高評価している自分がいて、ちょっと不思議な気分でもあった。ついでに調べてみたら、価格はおよそ170万円(新車価格)。大人気のホンダNBOXとか、スズキハスラーのマイルドハイブリッド車とほとんど同額だ。これら軽にはない、抜群に広い室内を見せつけられると、さらに高評価したくなってしまう。

今やホンダを除いて、日本車はOEMが入り乱れて、どこがどの車を作っているのか判然としない。スズキはあちこちに軽自動車を供給しているし、スバルとトヨタとダイハツは、もうはや1つのグループ会社のようだ。もしスバルが単独でジャスティを作っていたら、たぶん全然違うクルマに仕上げていたと思う。それはもちろん興味があるし、きっと少しは僕好みだった可能性が高いが、50万円くらい価格アップになっていたのも間違いないと予想する。
そんなこんなで、クルマを例にしてみたら、モノづくりの共通化、大連合化というものが進んでいると思う。個性がなくなって悲しいと思わないでもないが、ちゃんと個性派の車は残されている。例えばトヨタは今年になってヤリス(旧ヴィッツ)GRの予約受付を開始した。ヤリスGRは、ラリーに徹した車づくりで、カタログ商品のヤリスとの共通部品は少ない。顔こそヤリスだけれども、ヤリスにはない2ドアクーペのボディで、ルーフラインからして全く別物に仕上がっている。当然ドア1枚からオリジナルだ。残念なのは、ヤリスGR398万円(ジャスティの倍以上)することだ。専用にモノを作ると当然のことながら高くつく。

車検の終わったクロスオーバー7を運転して美瑛に戻る。ブレーキの効きが良すぎて(ジャスティと比べてそう感じただけなんだけど)、前につんのめってしまう。今度は発進時に加速させ過ぎて、自分でびっくり・・・。もっとも帰るまでにはすっかり慣れたから良かった。
たぶんこれからクルマも大半の車は白物家電化が進んで、個性はなくなる。と同時に今より少し安くなる(と思う)。その一方で個性派のクルマたちは生息数を減らして輝きを放つと思う。個性を主張するのが高くつくのは今も昔も変わらないから、個性派の車を選びたければ、少々ストイックな人生を歩まなくちゃいけないかもね・・・。当方現在は個性派の車ぞろい故、これからどうするか方針決めなくちゃいけない。幸いどの車もまだ比較的新しいので、あと2,3回車検受けても健在のはずだ。

クロスオーバー7の車検、思いのほか安く済んだ。およそ12万円。新車時にらくらく点検パックなるものに入っていたので(入れさせられちゃったかなと思わないでもなかった)、57,800円が引かれて、およそ6万円の出費。ちょっと嬉しい♬

2020年6月10日水曜日

PC最新事情って・・・?、そんなに詳しくはないけれども。


何年ぶりだろう、当館のメインPC(デスクトップ)を刷新した。だいたいにおいて、定期的に、あるいは計画的にPCをリプレイスすることって、個人の家レベルで(または個人経営者レベルで)あるだろうか・・・?確かに1995年前後頃の、PCテクノロジーの百花繚乱時代には、新しいCPUが出たからとか、OSの最新版が出たからという理由でPCを新調したことはあった。当時、PCにまつわるいろいろなパーツやソフトはずいぶん高額だった。自分のルーツはNECの人気シリーズPC98まで遡るけれども、1995年くらいから2000年くらいまで、多様なテクノロジーがPCを年ごとに刷新していて、目が離せなかった。今や記憶もかなりいい加減だし検索すれば正確な情報は得られると思うのでそこは省略します。
で、このたびのPCリプレイスにお話を戻します。もう、ここ15年くらいは、PCは調子が悪くなったら仕方なく買い替えるもの、になって来ていると思う。普通に何ら支障なく稼働するマシンを、10万円も15万円も出して買い替えるには、言い訳がいる。1995年から5年あるいは10年は、最新のPCに触れる(所有する)ことが、その言い訳を十分担ったんだと思う。でも、今やそんな時代は遠い過去ではないだろうか。PCを買い替えたって、さして目新しい暮らしが訪れるわけでもない。それで気が付いてみると我がメインPC2008年に自作したものを、パーツを替えながら足掛け12年使ってきたものだ。その愛器がこの4月くらいから、少々機嫌が悪い。


一番端的な不調理由は(想像の域を出ないけれども)Cドライヴ(SSD128GB)の飽和だと思う。別に1TBHDDを増設済みだけれども、僕くらいのPC使いにとって、CドライヴというのはPCの生命線だ。プログラムとそれに纏わるファイルをDドライヴに勝手に引っ越していいものか、正確に判断できるだけのスキルはない。
一方でダウンロードしたたくさんのファイルは、Cドライヴのダウンロードファイルに蓄積していく。そればかりじゃないんだけれども、とにかくCドライヴが真っ赤に表示されるたびに慌てて画像データのようなファイルを捨てたり引っ越したりを繰り返すことになった。あとはセキュリティーソフトの共存や、メモリーの不足(8GB)などなど気になる点は尽きない。

で、5月早々に、このコロナ禍たけなわの緊縮財政時に、新PCを発注した。いったん注文する、となると、昔からの凝り性が再燃してしまう。Macに手を出すことはなかったけれども、最新CPUであるi9には興味があったし、グラフィックボードもゲーマーでない自分にとって(主にデジタルカメラの写真データの現像)何がいいのか・・・?行きついたところがゲームのような動きものではない画像に強い新しいグラフィックボード、Quadroだ。とりあえずi9とQuadroで検索をかけてみると、それほど多くもないPCがヒットした。およそ6~7割は、30万円にも手が届こうかというハイエンドマシンである。160,000円を上限に切ると、もう候補は10指に収まるくらいだ。
Cドライヴに使うSSDの容量が大きくて・・・と残り数か所のこだわりポイントを押さえると、もう3機種ほどしか残らない(パソコン工房、ツクモ、ドスパラでした。いわゆる大手は皆無)。それぞれのメーカーのサイトに行って、一番希望に近くて安価な機種を選び、メモリーだけ増設して発注した。

ここ20年以上、ずっとPCを自作してきた。最初のころは、自作PCは安く上げることができていたと思う。市販PCは、ソフトで売っているような面もあって、買って立ち上げると不要なソフト(年賀状用のソフトとか、家計簿とか)がしこたま同梱されていて、辟易としたものだ。それにちょっと凝ったパーツを選ぶと、完成品PCはものすごく高価で、手が出なかった。おまけに自作する人も多かったようなので、パーツの流通量が多く(市販PCも多かったし)パーツは安価に手に入った。しかし次第にPC全体の出荷量は少なくなり、パーツの価格もそれなりになって行く。同時に完成品のPCからいわゆる「余計ソフト」が姿を消して、自作に近い成り立ち&価格になって来てもいた。正直60歳を超えた僕にとって、いちいちマザーボード、ケース、CPUSSD、電源、グラフィックカード、メモリー、DVDドライヴ(ブルーレイかも?)をすべて選んで、組み上げて、OSインストールするのは面倒だし手に余りつつある。組み上げてOS立ち上げる瞬間のわくわくは、もうそんなに貴重なことでもない(何度もやったし、2晩もかけてやる元気が出ない(年だね))。

と、ちょっと感傷的になってしまったけれども、要は新しいPCを今まで通り(今まで以上に)うまく、不具合なく使うことがより大事なことなのだ。そこに重点を置いて新しいPCと付き合いたい。
それでひとつ、ここ最近はまっているのがネットのストレージ・サービスだ。要はネット上にファイル保存できる容量を提供してくれるサービス。だいたい4パターンくらいのサービス内容があって、いちばんベーシックなサービスは無料なところが多い。10~50GBくらいの無料ストレージの利用権限が与えられ、場合によってはファイル共有できるケースもある。いくつか勝手に試した中ではTeraCLOUDとMEGAがいい感じだ。冒険せずにGoogleにも同様のサービスがあるのでそれを使ってもいいし、MSOnedriveも便利そうだ。整理整頓がうまくないと使いこなせないEvernoteは、以前から利用していて、まんざら嫌いでもない。それでもPC新調したし、新し物好きの僕にとって、こういう機会にトライしてみるのはいいことだと思う。

それからPCをリプレイスすると必ずついて回るのがソフトの使用権のバトンタッチ。今やソフトのサブスクリプション化が進み、アンインストールして再度インストールという手順が通用しない(これもめんどくさいけどね)。まずもって、IDとパスワード。あー、どうだったかなぁとぶつかるたびに、再度旧PCを立ち上げないといけない。だいたいモニターを余分に持てる身分じゃないから、いちいち繋ぎなおして確認することの手間と言ったらもう・・・!結局古いPCといつまでたってもおさらばできない。
さらにはメールアドレスや、ネットのお気に入りURLの移転も手に余る。ファイルごと例のネット・ストレージ・サービスに上げちゃうのも便利といえば便利だけど、メールアドレスとかどうなんでしょうね・・・?基本的には自分に極秘はない(?)、つもりなんだけど、メールアドレスや年賀状の住所録となると、ちょっと気になったりして。そこに目を向けるとFacebookはやっぱり便利この上ないなぁ。だってどんなPCでも、すぐに自分環境にできてしまうもんね。GAFAに世界が飲まれるっていうけど、それも仕方がないって改めて思い知っちゃう。

果てなく長々と書いてしまったけれども、新PCでは
i9とQuadroの使い具合を体験してみよう(あまりわからないかも・・・)。
ストレージ・サービスをうまく使おう。
この機会にメールアドレスやお気に入りURLを棚卸して整理しよう。
今度も10年以上もってください。
なんだ、たったの4行で終わる内容でした。失敬!

2020年6月1日月曜日

コロナ後の世界(コロナウィルス協奏曲を終わろう!)。



新型コロナウィルス(Covit19)感染拡大に伴い、日々の暮らしに変化が出始めたのが2月半ばからだ。アジア圏からの宿泊予約が次々キャンセルされて、ついに2月26日を区切りに3月、4月の予約は、すべてキャンセルになった。3月に入って次第に全国的に感染者数が増えていく。いち早く緊急事態を宣言した北海道も、いったん感染者数の拡大が沈静化したかのように見えたが、再度感染者数増大に転じてしまう。
4月6日、安倍首相が全国的な緊急事態宣言を発令して、不要不急の外出が制限されるようになる。この頃になると予約の問い合わせは全く皆無となり、僅かに残っていた5月、6月のご予約もキャンセルになってしまう。3月半ばまでは、多寡をくくっていた僕でも、さすがに今年のビジネスは、厳しいを通り越して創業以来の危機に直面すると肌身に感じないではいられなくなった。

政府の動きは、早かったと思う。いろいろな形で支援のための給付金や助成金の法制化を進めて、暮らしの維持のための金銭的な支援に動いた。もっとも法制化(市民にわかるようなルール化)には時間がかかるし、申請受付後の審査もやはり手間がかかると思われ、すぐに手元に支援金が入ることにはならない。2か月以上に及ぶ仕事の無い(当館「四季」と「丘のほとり」にお泊りになるお客様のいない)状況下、自分は自分で資金ショートで起こりうる厄介ごと(建物のローン返済の滞りとか)は、皆無にしておく必要がある。とりあえず無利子&無担保で借りられる貸し出し、最大枠の500万円を申請した。ありがたいことに申請後2週間ほどの4月24日に借入できたことは、本当に助かった。
その後、すぐに申請が可能になった持続化給付金の申請をし、定額給付金(1人一律10万円)の申請をし、美瑛町の支援金(事業主用)の申請も済ませた。いろいろな形で事業継続のための支援金の用意はされ、まったく仕事の無い自分たちの置かれた境遇にあっても、少し将来に希望が持てたのは事実だ。悪評高い雇用調整助成金の全必要書類がそろえられたのは5月30日。土曜日にもかかわらず2度目の隠密ボランティア活動で足を運んでくれた会計事務所の担当氏には、本当に頭が下がった。

GWいっぱいまで両宿泊施設とも休館とし(まぁ世間の流れから言っても、営業継続はしにくい状況だったし)、5月7日から営業再開したカタチを取るも、やっと1組のお客様がいらしたのは5月14日だ。4泊滞在いただいたので、2か月半ぶりに4種類の夕食のバリエーションをご用意、いいリハビリじゃないけれども、4日分違った食事をご用意したので、忘れかけていたメニューもおさらい出来たのは良かった。
その後お客様はさっぱりいらっしゃらない。少しずつ、東京と北海道(ほとんど札幌)を除いて感染者の拡大は沈静化してきている。緊急事態宣言の解除に向けて、状況的にはなんとか準備が整いつつあった。
この間定額給付金(10万円が2人)、持続化給付金(丘のほとりのみ法人格が認められて200万円)の振り込みがあり、大いに勇気づけられることとなる。諸般の申請手続きの煩雑さから、必要以上に批判的な世論がクローズアップされたけれども、政府の各種支援メニューは充実していると感じる。申請のための必要書類が多岐にわたるのも、ニセ申請者が後を絶たない現実がある以上、仕方がない。申請を簡略化して、給付後に不正があった場合は取り返せばいいと言う意見も散見するが、一度渡してしまったお金(しかも税金だ)を取り返すことなど、至難だと思う。何しろ不正をしてまで受給しようという輩だから、簡単に「お返しします」とはなるまい。ここは少々面倒な資料作成や証明書類の用意を、辛抱強くしよう。
この支援策、一次と二次補正予算の合算でトータル230兆円になるらしい。
国債発行で賄うようだけれども半端なツケではない。国としても、様々な企業(事業者)が経営継続ができなくなるような事態(倒産)は避けたい。それは結局のところ国にとって高くつくし(生活保護はじめ、結局税金が必要だ)、政府与党にしてみたら、政権維持上も市場が混乱するのは最悪だろう。



翻って、このコロナウィルス感染症が日本を覆った出来事は何だったんだろう・・・?最初に感染者が確認されたのは、1月15日だ(神奈川県)。そこから少しずつ増えていき、4月上旬に感染ピークを迎える(4/11、新規感染者720人)。現在(5/31)で、累計感染者は16,864人。死者は897人に達した。思いもよらない大きな被害が出てしまった。

一方で毎年のように感染拡大が懸念されるインフルエンザは、年にもよるけれども1千万人前後はいると推計されている。もちろん死者も多い(2018年で3,300人)。
https://consumernet.jp/?p=6623
私たちは、このインフルエンザのことはあまり気にしない(個人差はあるけれども)し、マスメディアも大して取り上げたりしない。ざっと新型コロナウィルスによる死者の、3倍の犠牲者がインフルエンザで出てしまっているとして、コロナの3倍くらいインフルエンザに注視しているだろうか?まだ、ワクチンも特効薬もない新型コロナウィルスのもたらす「怖さ」のイメージは確かに大きい。けれどもそのほかの数えきれないほどの感染症と比較して、私たちの社会は明らかに過剰反応していないだろうか・・・?それに加えて明けても暮れてもメディアでは恐怖をあおるような報道が繰り返され、果ては春はまだしも夏の甲子園大会(高校野球)までもが中止に追い込まれてしまった。
そしてついに230兆円にも上る補正予算案を通して、このコロナウィルス対策に税金を使う。もう、日本の世の中は、あっという間に行き過ぎとしか思えないコロナシフトへと陣形を変えてしまった。5月25日に緊急事態宣言は解除されたけれども、当分は普通の暮らしを簡単に取り戻せそうにない。ウチも、閉店状態が続くので、当面各種の支援金に頼って経営延命を図らざるを得ない。

でも、もういい加減に視野を広げてみてはどうだろう?ちょっと厄介な風邪が流行ったのだ。インフルエンザほどの感染力はない。欧米の様相は少しアジアとは別物と考える必要があると思わざるを得ないけれども、そろそろコロナウィルス協奏曲に耳を貸すのも終わりにしたほうがいいだろう。コロナにかまっているほど、僕らは余分な時間を持っているとはいいがたい。若い人たちにツケをまわして、stay at homeで呑気にくだらないテレビニュースにしがみついている暇はないぜ。

2020年3月8日日曜日

ダイヤモンド・ダスト


確かユーミン(松任谷由実)の曲に、「ダイヤモンド・ダストが消えぬ間に」という1曲があったと思う。でも、こちらのダイヤモンド・ダストは、なぜかダイビング中の水中の気泡だったり、シャンパンの泡だったと記憶する。本当のダイヤモンド・ダストは、空気の泡じゃなくて、氷の結晶だ。気温が氷点下15℃よりも下がると、空気中の水蒸気が氷として析出して、小さな粒が光輝いて見えるさまだ。
いくつか気象条件が重ならないと見えないので、ここ美瑛にいても冬の間は毎日のように見えるわけでもない。だいたい厳冬期の2か月間くらいは、週に2~3回くらい見ることができる。さらに好条件が重なると、ものすごい量のダストが舞い、それはそれは美しい♬大雑把だけれども、週に1回か、10日に1回くらいそんな日に巡り合う。

2015年の2月にもダイヤモンド・ダストのことは書いたので、この現象の現れる気象条件などについては省略する。また、美しいダイヤモンド・ダストが見える場所と言うのも限られる。水蒸気が多く含まれそうな川面、つまり橋の上からはたいてい見ることができるし、落差があった方が(見下ろせる場所)いいと思う。
今回も2015年と同じ場所に陣取ってみたが、この5年間でさらに人気のスポットになっていて、2月9日に出かけたときはクルマは100台以上、撮影している人はもっといたようだ。嬉しかったのは、皆さんマナーがよくて、駐車場のないその場所でも、片側にきちんと車を停めて、またドローンを持ち込むこともなく写真撮影に勤しんでいた。とは言っても生活道路として通勤などに使う人にとっては邪魔以外の何物でもなさそうではある。気温マイナス30℃(29.8℃)まで下がる厳しい朝だったけれども、ダイヤモンド・ダストはほんの少ししか見えなかった。
家を出るころ、夜明け前5時半。 
日付変わって2月29日。ちまたはコロナウィルス感染予防の観点から、不要不急の外出は避けましょうとなって間もない。本当はのこのこと写真撮りに行くのも憚られる時節柄・・・とは思ったけれども、お客様もいらっしゃらない家の中で(本当に、宿泊されるお客様は激減しました!)、ちんまりと過ごしているだけでは詰まらない・・・。せっかく晴れた日の朝なので、思い切って出かけることにした。
冬至の頃、日の出は午前7時を過ぎるくらいだったけれども、もう1時間以上も早くなっている。我が家からダイヤモンド・ダストが盛大に見える場所までは、およそ15分。5時過ぎには準備を始めて、5時半には家を出たい。家を出ると、まだ群青色の空に、わずかに陽の光の赤い色が滲んで、なんとも空のグラデーションが美しい。気温マイナス23℃、たぶんこの冬のラスト・チャンスだ。

見え始めたダイヤモンド・ダスト(肉眼) 
果たして現地に到着すると、クルマ6台(最終的には15台くらいでした)。先回来た時の10分の1程度しか人だかりは無い。ほどなく日が昇り、無風で好条件が重なったこの日は美しいダイヤモンド・ダストに出会うことができた。おまけに人の出はまばらで、神聖なとまでは言わないけれども不思議な自然現象に、静かに感動することさえ出来た。きっと2000年頃は、この場所はこんな感じだったと思う。広い場所にせいぜい10人くらいの好事家が(物好きが)集まって、珍しいダイヤモンド・ダストを見ていたんじゃないだろうか。今やそんな贅沢は夢のまた夢。NHKはじめテレビ関係の報道陣さえ集まるこの場所は、冬の日の早朝には人混みで身動きさえ不自由なくらいだ。
盛大に舞っています1  
今回はコロナウィルスの蔓延防止+2月9日よりも条件悪い予報(気温の予報はマイナス18℃止まり)だったこともあって、がら隙きの状態で乱舞するダイヤモンド・ダストを拝むことができた。日の出直後の太陽光はオレンヂ色で、ダイヤモンド・ダストもオレンヂの色に染まる。日が高くなると太陽が真っ白になって、ダストもダイヤモンドのように純白に。僕はどちらかと言うとトルコ石みたいな色をした、日の出直後のダイヤモンド・ダストが好きだな。
 
盛大に舞っています2 
振出しに戻って、ユーミンの曲。ダイヤモンド・ダストを泡になぞらえて、はかなくすぐに消えてしまうもの、という表現はとても的を射ていると思う。今度はぜひ、ホンモノのダイヤモンド・ダストを題材に曲を書き下ろしてもらえたらいいね。そのためには実際に見てもらうしかないんだけどなぁ、この実に美しい自然現象を!

2020年3月1日日曜日

クリーム・ブリュレ。

この洋菓子を知ったのは、いつだっただろう?もともとプリンがそんなに好きではなかった僕が、いつしかプリン好きになったのは30歳を過ぎてからだと思う。きっとろくでもないプリンばっかり食べていて、美味しいプリンを知らなかっただけじゃなかったのかと、今ではそんな気がしている。
クリーム・ブリュレに初めて出会ったのは、とっくにプリン好きになった後だったので、このプリンをさらにオシャレにした洋菓子を、あっという間に大好きになったのは言うまでもない。

さて、ここで少々脱線する。1つ前の記事で映画を見せていただいたお宅の主が、映画を観終わった後に紅茶を淹れてくれた。映画の余韻と共にいただいた紅茶が美味しかったので(どちらかと言うとコーヒー派の僕だけど)、紅茶葉のことが話題になった。なんでも旭川市内の紅茶専門店で毎度手に入れていると言うそのお店ライフラプサンは、北海道最古の紅茶専門店だというのだ!
歴史の浅い軍都、旭川に「北海道最古の」なんてあるのだろうか・・・?と思わないわけではなかったけれども、彼はもともと判事さんで、モノゴトを正確に判断する癖がついていらっしゃるから、嘘であるはずがない。
それで、日を改めて行ってみようとなった。果たしてそのお店は旭川市東光(旭川東警察署の少し美瑛より)にあって、開店以来40年になる老舗だった。店内は40年の古さは微塵もなく(と言っても最近の洗練されたモダンな雰囲気ではないけれども)、適度に古さのある、居心地のいいお店でちょっぴり長居してしまいたくなる雰囲気だった。せっかくなので紅茶をいただき(2袋ほど茶葉も購入)、お供に選んだ洋菓子がクリーム・ブリュレだった。

北海道で最も歴史ある紅茶専門店_ライフラプサン

そうだ、クリーム・ブリュレ、自分でも焼いてみよう!とこの時強く意識して、家に帰るとさっそくレシピのチェック。今のご時世、ちょっとPCを覗けば、このくらいの情報はいくらでも手に入る。全くもって便利な世の中になったものです(困ったことも多々あるけど)。
ハナシはさらに3年前に遡る。実はクリーム・ブリュレ作りたい病は以前からあって、やりたいなぁーとぼやく自分の小言を聞いていたスタッフの一人が、見かねて僕にガス・バーナーをプレゼントしてくれた。これはもちろんクリーム・ブリュレの仕上げに必要なもので(なくてもできないことはないけど、超面倒)、この時よし、やるぞ!と一瞬思ったものの新館「丘のほとり」完成間近のあわただしい時期に重なって、ついに今までやらずじまいで来てしまっていたのだ。
ま、今は残念ながら暇もある。神様が少しは前向きなことをやりなさいなと仕向けているに違いないから、クリーム・ブリュレ、作ってみましたよ。プリンと比較しても、多少こっちの方が簡単にできると思う。難点は、卵の白身が余ること・・・。僕は余りが出るレシピは、本当はやりたくないんだよなぁー。

焼き上げること70分(長い!)、ちょっと気をもんだけれども実にうまい具合に完成♬食べるタイミングに少々間に合わなかったので、冷やしは外で(この点北海道の冬はいいよね)。最後のキャラメリゼに、いよいよガス・バーナー登場で、グラニュー糖を焼いて出来上がり。見た目も美しく、食べてもとても美味しく、一緒に淹れたコーヒーとの相性も抜群で言うことなし!!!
次回は少し温度を上げて、30分程度で焼いてみようと思う。


ちなみに紅茶葉を買いに行ったついでに気になるコーヒー・ショップも梯子した。さすがにお腹ちゃぱちゃぱで、コーヒーを飲むことはできなかったけれども、豆は買ってきた。旭川最古のカフェ、ちろると、ちろるからほど近い買物公園通り沿いの超人気店、宮越コーヒー旭川店。どちらのコーヒー豆も美味しいコーヒーを淹れることができたし、でもってこの2店、お店の雰囲気もいいんだよね。今度行ったときは、ぜひコーヒーを飲んでくるとしよう! ちろるは、旭川の作家、三浦綾子が何度も訪れた喫茶店。氷点執筆中の1963~1964年当時、まだ喫茶店なるお店は少なかったのかもしれませんね。81年の歴史あるちろるも、ずっと健在であって欲しいです。

2020年2月27日木曜日

マイ・フェアレディ。


日産のスポーツカー、フェアレディに一時乗っていたことがある。スタイル優先なので、使い勝手は少々犠牲になっていたけれども、運転し始めてしまえば快適にドライヴ出来るクルマだった。よく遠乗りをしたように記憶している。
高速道路の追い越し車線を少しスピードを上げて走って行くと、ほとんどの先行車が道を譲ってくれた。名前とは裏腹に、ちょっと凄みの利いた顔をしていたもんな。

さて、今回のフェアレディは、クルマのフェアレディではなくて映画の方。じゃ、なんでクルマの話を持ち出すんだと不審にお感じになる向きもあるとは思うけれども、そもそもクルマのフェアレディは、この映画(正確には映画の前に上映されていた(映画のもととなった)ミュージカル)から取られたものなのだ。
クルマに乗っているときにはそんなネーミングの由来なんてこれっぽっちも知らなかったけれども、あれから30年近くたった今、1964年公開のこの映画を見ていろいろ感銘を受けた部分も多いので、備忘録的に記しておこうと思う。

この映画の第一のインプレッションは(見る前からそうだったけれども)、名女優のオードリー・ヘップバーンが主演を張っているということ。あまり映画に精通しているとはいえない自分は、主演男優のレックス・ハリソンのことは知らなかった(ごめんなさい)。
ストーリーはシンプルで、名もないちょっぴり粗野な花売りの娘(21歳の設定のイライザを35歳のヘップパーンが演じるには、さすがに無理があったと思う)を、言語学の教授(ハリソン)が教養やマナーなどを仕込んで短時間で一流のレディに仕立て上げるというもの。紆余曲折はあるけれども、どうにかイライザは少々過酷なスパルタ教育をクリアして、立派なレディになる。そして二人はいい感じで次のステップへ・・・という映画好きには一番望ましいエンディングで結ばれている。

この映画のヘップバーンは、この映画の価値の多くを担っていたように思う。名作「ローマの休日」でスターダムに上り詰めて11年、すでに円熟と言っても言い過ぎではないくらいにキャリアを積み、演技の幅も存分に広がっていた。残念ながらアカデミーショーの8部門で栄冠に輝きながら、ヘップバーンはなぜか主演女優賞のノミネートさえ叶わなかった。それでもこの映画にはヘップバーンの存在は不可欠と言うほかはないと思うし、誰でもそう感じることだろう。そのくらいに“はまり役”を見事に演じたヘップバーンが、強く印象に残った。
一方、「君住む街かど」はじめ、素晴らしい映画音楽がちりばめられているのもこのマイ・フェアレディの魅力的な側面だ。古き良き時代のラヴ・ソングが、やはりこの古き良き時代の名画に花を添えている。見れば音楽の総指揮はアンドレ・プレヴィンが務めている。さすが・・・!と膝を叩いてしまった。

このマイ・フェアレディを観たのは、実は同じ町内に住む方の自宅シアターだ。AVに精通した彼は、ちょっとしたスピーカーだったら自作してしまうというマニアだ。ターンテーブルのプレーヤーが2台もあり、もちろんいわゆるLPのアルバムも何百枚も所蔵している。当然のことながら、音楽鑑賞や映画鑑賞のための設備が、贅沢に取り揃えられている点は、何度お邪魔してもびっくりするほどだ。いつも彼とは時間が合わなくてすれ違ってしまうんだけれども、今回のコロナウィルスによる騒動で、ウチはキャンセルの続出。連休も暇になり、ウィークエンドに彼のお宅に長々とお邪魔出来ることになった。キャンセルは本当に参ってしまうけれども、マイ・フェアレディを見ることができたのは、とても良かった。映画鑑賞をお誘いくださった彼には感謝しかない。

案外いまだに見ていない映画(中でも名画)は沢山あるし、また見てみたい作品もたくさんある。例えばソフィア・ローレンの「ひまわり」とかヘップバーンの「ティファニーで朝食を」。
高価な何かを買ったり、美味しいものを食べることも贅沢だけれども、名画を観たり名著を読んだりすることもまた、贅沢の極みと言えそうだ。そしていましばらくは、そんなことが許されるくらいに時間を持て余しそうだ・・・。

2020年2月15日土曜日

北国が故郷だったら・・・。


愛知県名古屋市に生まれて、幼少の頃三河へ引っ越してかれこれ40年近くも暮らした。正直名古屋で暮らしたことは、ほとんど記憶に残っていないので、僕にとって故郷は三河(岡崎市)だ。
美瑛に来て、はや14年目になる。すっかり慣れたと言えばそうだけれども、子どもの頃から長年暮らした岡崎のことは忘れることはない。例えば夏の夜、美瑛で上がる花火を見ながら故郷の夜空を照らす大花火大会のことを思い出す。懐かしくて、かけがえのない故郷の記憶だ。


昨日旭川市の「冬まつり」に出かけた。いつしか少し過疎の始まった北海道の小さな町に暮らしていると、旭川は大都会だ(人口35万人)。駅から買物公園通りに展示される美しい氷の彫刻を眺めながら、旭橋のたもとの冬まつり広場に向かう。広場に近づくといよいよ人が多くなって、小さい子供たちがお祭りのお店であれこれ買ってもらった戦利品を抱えているのを見るのも楽しい。
時折3、4歳くらいのちびっこが、そりに乗せられて親御さんに引かれていく。たいていはもう一人乳飲み子がいたりして、親御さんも大変だからそりは助かるだろう。そりに乗った子ども(お兄ちゃんだったりお姉ちゃんだったり)は、手に自分と同じくらいの大きな綿あめの袋を抱いている。小さな子供はみんな着ぐるみみたいな冬服を着せられて、どの子も可愛い。そんな子がそりに乗って、必死に綿あめの袋にしがみついていて、ますます可愛く見えてしまう。


北国の子供たちは、当たり前だけれどもやがて大きくなって東京や大阪の学校に進学したり、就職することになる場合もあるだろう。僕が初めて美瑛で迎えた冬、厳しい寒さのイメージが頭にこびりついて、無用な心配ばかりしていた。でもって、失敗して家の配管凍らせたこともあったな・・・。
で、北国北海道で育った子たちが、東京や大阪で迎える冬ってどんなんだろう?雪がないのはいいなぁと思うんだろうか?雪はねしたり、ブーツや長靴のお世話にならなくて済むことが、楽だなぁと感じるのかもしれない。でもきっと、2年目か3年目の冬に、物足りないと思うような気がする。あるべき雪がない、来るべき凛とした寒さがない。北海道は季節感と言う点ではすごくダイナミックなのだから!
いや、むしろ彼らが強く思い知るのは夏の蒸し暑さだろうか。美瑛(や旭川)だって、年に何度か30℃を超える日がある。愛知県の夏を思い出す、逃げ場のない暑さ。でも、湿気は全然ない。美瑛の夏は、夕方になるともう暑さはお終いで、深夜から早朝にかけて20℃前後まで気温が下がる。本州の熱帯夜は、こんな生やさしい夜じゃない。しかも来る日も来る日も暑い。もしかしたら東南アジアより暑くて寝苦しいかもしれない。

と、また着ぐるみを着た可愛い子供たちを眺めている。彼らは雪で寒いなんてぐずつかない。氷点下20℃でも、元気に遊んでいる。暮らしてみると、温度だけはものすごく低い冬も、そして爽やかでからっとした夏も暮らしやすいと思う。旭川市でも、近年は少しずつ人口減少が始まっているらしい。もちろん子供たちがたくさんいてくれたらいいんだけど、都会から移り住んで来てくれてもいいと思う。
ちょっぴり雪道の運転は大変だけれども、それでもそれにおつりが十分来るくらいにいいことがいっぱいある。

2020年1月6日月曜日

すべてに洗練されたけれども、改善しない燃費よ。愛しのスバルWRX。


新型スバルWRXが愛車として入れ替わって、2週間ほどが過ぎた。距離も500km弱乗っただろうか。まだまだこれかいろいろ知ることになると思うけれども、ここまでに理解できたこの車の個性も多い。
ここのところ愛車ネタばかりで申し訳ないけれども、古臭い流行語で言えば「マイブーム」ということでお許しいただきたい。

唯一にして最大の欠点は燃費が芳しくないことだと思う。街中(アップダウンは多いものの、信号などによるストップ&ゴーは少ないはず)中心だと8km/lに及ばない。2Lターボで1.5トンのクルマだから、けして大いに期待していたわけではないけれども、ほぼ進化なしの結果だろう。1996年からこのWRX系のEJ20エンジンを積む車に、これで4台乗り継いできたけれども、ほとんど燃費に関しては改善されていないと思う。たぶんそれは、スバルがこのエンジンをリスト落ちさせざるを得ない最大の理由ではないだろうかと推察する。
一方で歴代WRXと比べて、良くなったところもたくさんある。EJ20エンジンで言えば、低回転からもりもりパワーが出ている。ま、それも燃費向上に至らない原因の一つだと思うが、もともと苦手だった低回転域の力強さは格段に良くなった。実のところ自分が手に入れた最初のWRX1996年製)でさえ、2400回転くらいで加速に鞭を入れても(つまりアクセルペダルを思いっきり踏み込んでも)、本来の力強さは感じられなかった。3200回転くらいから上では、突き抜けるほどの力強さがあって、上までストレスなく回ってくれるエンジンではあったけれども、シフトチェンジを横着にやると、全然早い車ではなかった。でも、現行車は違う。2400回転あれば、満足できる加速フィールが得られる。たまたま当家で所有しているBMWの直6エンジンのフィールにちょっぴり近い。3Lクラスのトルクが、低回転からついてきているのは嬉しい。
さらに、回転フィールそのものが、とても緻密で滑らかなことも記載したい。S207S208)やタイプRAのように、ピストン類の計量によるバランス取りはしていない、従来通りの308馬力エンジンだけれどもメカとしての精度の良さがありありと違う。これまたBMWの直6的だと感じてしまう。
乗り心地も悪くない(もちろん素晴らしい快適さとは言えないですけどね)。ガチガチって言うほどは締め上げられていなくて、充分ストロークする設定は乗員にとって居心地のいい落としどころだ。もちろんボヨヨンと揺れが収まらないようなだらしなさは皆無だ。もともと固め(明らかに固め)のサス設定でやってきたWRXでも、ここまでしなやかにできるんだと感心してしまった。結果ハンドリングが気持ちいい。狙った通りのラインに容易に乗せられるし、今の北海道ではカウンターの戻しも簡単に決まる。もちろん自慢の全輪駆動は、この車のイチオシの秀逸さだ。

インパネも見やすくなった。ま、これは旧型がひどすぎたから、進化してもらわないと困る。旧型では暗すぎて、夜間以外はとにかく見づらいクルマだったが、その心配はなくなっていた。ブーストメーターがアナログ風のデジタルメーターで付いているが、はっきり言って不要だと思う(コントロール下にはないしね)。むしろ油温計とかあった方がまだ使える(見る機会が増える)かな。細かいことを言いだすと、やや個人的な趣味にもなるのでこれ以上のことは記さないが、全般に見やすくなったのは歓迎できる。
それから、ボディシルエットもバランスの取れた悪くないスタイルを与えられた。歴代WRX史上いちばんスタイルのいい車ではないだろうか(ちょっと自画自賛か?)。二世代前くらいのBMW3に似ている。

とここまでおおむね絶賛してしまったが、今少し気になっている車はマツダ3だ。このところ(この10年くらい)マツダがリリースする車は、完成度が高い。特にここ数年では、明らかにプレミアムカーに舵を切っている(プライスもそれを裏付けている)。
マツダ3にはスバルの様な超絶かっとびエンジンの設定がないが、ボディシルエットにも内装の質感にも、高級感があふれる。いでたちの美しさに、オーラが出てきていると思う。エンジンだって2Lスーパーチャージャーで180馬力に乗せている(ターボじゃないところに上質感があると思う)。パワーだけではない、燃焼効率の良さの追及も、自動車業界をリードしている。大メーカーとは言えないマツダは、とっくに電動化に関しては諦めているが、そのリソースを現状のエンジン(ディーゼル含む)の燃焼効率の極限追及につぎ込んでいる。そういったあれこれを勘案するとWRXのベースモデルたるインプレッサに比べたら、マツダ3はプレミアムに対する本気度では勝っている。スバルには類まれな水平対向エンジンがあるし、無敵の4駆もある(これらを左右に綺麗に対象に配置し、低重心でクルマを駆動させている)。持ち駒的にはスバルがプレミアムカーの資質足りうるアイテムを多く有しているけれども、マツダのブランド力確立に対する執念にはわずかに劣っているのではないだろうか・・・。マツダは古くは悪くない車を(めちゃくちゃ良くもないけれども)、低い価格で(値引き幅を大きくして)売りさばくスタイルでやってきたが、今のマツダにはその呪縛はもうない。好き嫌いが無いとは言えないが、今のマツダ車を支えるシルエット(鼓動デザイン)には、マツダの美しいデザインに賭ける強い意志が宿っている。

北米で大成功を収め、SUV人気に沸くスバルは、次世代への準備がちょっぴり遅れているってことはないだろうか?スバルがプレミアムブランドとなって、手が届かない車だけを供給する作り手になって欲しいとは思わないけれども、マツダの見せる情熱は、ちょっぴりうらやましかったりする。



今までに比べたら少し綺麗なシルエットを与えられたWRXに乗りながら、ふとマツダ3のことを思い出してしまった。マツダ3が少し長めに割り込んだけれども、最後のEJ20マシンを手に入れた喜びは何物にも代えがたい。なるべく長い間このエンジンを愛用したい、そう強く感じさせるだけの魅力がEJ20にはある。