2021年12月20日月曜日

究極の贅沢は・・・。

 NHKに、“世界は欲しいモノにあふれてる”という人気番組(だと思うんだけど)がある。時折時間が許す範囲で見るけれども、世界中の「何かいいもの」を探訪するその番組は、見ていて楽しいなぁと思う

と同時に、欲しいモノを手に入れる喜びは、さらには作る喜びに発展していく運命にあるなぁと、勝手に思い込んでいる。例えば詳しく知らなくて墓穴を掘りそうだけれども、ロレックスの限定版の腕時計を手に入れることができたら(買うことができたら)ハッピーだけれども、それを作る、あるいは製造する1工程に関わることができるとしたら、さらに嬉しいに違いないんじゃないのかな、と考える。

ロレックスの時計はあまりに無縁なので、もっと手近な例としては美味しいものとか、お気に入りのバッグとか服とか・・・。どこそこの○○はめっちゃ美味しいから、それを手に入れたいし、食べたい。予約でいっぱいでなかなか手に入らないけど、運良く手に入れたら、そしてそれを食べることができたら、嬉しいに違いない。さらに、もし可能であれば、自分自身で作ることができたら、さらに喜びは増すんじゃないだろうか・・・?

 

まるで屁理屈のようなこんなことを書いているのは、僕自身の経験からなのです。先日2度目の訪問で、お隣の上富良野町の多田ワイナリーさんへ行き、“シャルドネ2019”を購入して飲んでみた。すると期待をはるかに上回る美味しさで、驚きを禁じ得なかった。
多田ワイナリーは、シャルドネやピノノワールを扱うワイナリーとしては最北端(2021年末現在)。美瑛から少し北の東川町や、さらに北の名寄市にもワイナリー(森臥)がありますが、シャルドネ等の品種は扱っていない。お偉い方が「温暖化で北海道のコメが美味しくなった」と言ったとか言わないとかですが、さすがにこれらの葡萄品種は、上富良野町が現時点では北限のよう・・・。その北限のワイナリーが醸すシャルドネの味や如何に・・・って、ちょっと気負って栓を抜いたわけですが、美しい艶のある黄色のワインは、芳醇な味わいにあふれていました。すごい!



あれ、全然僕自身の経験にたどり着かないんですが、そのことを少し・・・。2018年、自分自身でワインを醸造できないだろうかとの積年の思い止まず、懇意にしている友人と共に、思い切って大好きな三笠市の滝澤ワイナリーのオーナーにお会いしました。事情を話すと包容力のある温和な表情で「ウチで修行のお手伝いをしましょう」となった。要はワイナリーでワイン醸造のお手伝いをしながら、そのノウハウを学んでいきなさいな、というお許しをいただいた。実際にワイナリーで作業をさせていただいたことについては語ると果て無いので止めておきますが、とにかく「自分で作る」という喜びを得るために、とても無謀なことをやったものだと思う・・・。
でも、まぁ、自分で葡萄を育てて、実を収穫して、ワイナリーに持ち込んで工賃をお支払いすればワインにしていただけるのですから(でもってワインを醸造する作業にも関わることができますから)、とんでもなくハードルが高いわけじゃない(と思う)。

 

このことは、ずっと心の端っこに引っかかっていて、美味しいワインを探す(または見つける)、飲む、という行為のその先に、美味しいワインを“作る”、飲む方が相当幸福度は上なんじゃないかと思えて仕方がない。まぁ、無いものねだりと言うか、隣の芝生は・・・かもしれないけれども、究極の幸福って、実は自分自身で生み出せることなんじゃないかと思えて仕方がない。
さらには、そうやって自分が作ったものが、多くの人からも歓迎の意とともに受け入れられたら、それはもう大満足間違いなしだ(きっと)。
残念ながらコロナ禍の厳しい経営状況で、自社ワイナリーの夢はいったんは霧消してしまったけれども、いずれまた、必ずやトライしてみたい。そう思わせる強いインパクトが、多田ワイナリーのワインにはありました。美味しかった、ホントに!

2021年12月15日水曜日

ノートPCを購入しました。

 デジタルカメラの購入に際して、宿泊施設としてのワーケーション需要喚起の目的を意識して、ノートPCも同時に購入しました。もっとも主目的は、長年おつきあいしてきた現ノートPCが、いよいよお疲れになってきたため・・・ということがホントの理由です。

前回ノートPCを入手したのは、当館スタッフ専用の事務機器として購入。今回はワーケーション+私のビジネスマシンとしての利用です。

ノートPCとのお付き合いもずいぶん長いので、僕がどういった基準で選んでいるかに関しては、今まで大きく変わらなかったと思いますが、今回はかなり変化が・・・!

ちなみに前回は↓

https://biei4seasons.blogspot.com/2018/02/blog-post_28.html

前々回は↓

https://blog.goo.ne.jp/shiki_nyan2014g/e/f3348197acd5dc8f9a32f187091c3d7f

先回自分用に購入したレッツノートは、気が付けば11年目。途中HDDをSSDに換装したりしながら、まぁまぁ不自由なく使ってきました。なので自分のPCを選ぶ時の指針は活かしたいところですが、さすがに今回は11年前の時より優先する選択指標がずいぶん変わりました。まず、画面が小さいとつらくなってきた昨今、少し大きめのサイズが欲しいなぁと感じていること。今まで使い込んできたレッツノートは12.1インチ。当時はまだ無いと不安だったDVDドライヴ付きで、1.34kg。持ち出すのに“重くてちょっと”とはならないけれども、画面の小ささ(=キーボードもこじんまり、と言うか少し狭苦しいんですよね)が、この年になると大いに作業性に影響ありなのです。老眼になって、細かい字が読めない・・・年を取ったもんです!

さらには、メディアのドライヴ(DVDなどの)も、ほとんど使わなくても事足りるようになって来ました。どこかに出かけた先でさえ、ネットに接続できれば、けっこう不自由なくPCを使うことができるようになりました。 

そう、今回は思い切って14.5インチ以上の画面サイズのものを探しました。使用履歴から、大してメモリーやビデオカードに負荷のかかる作業はしないので(特にノートでは)、ここは妥協(あまりこだわらずに)。で、前回から気にしていたマイクロソフトのSurfaceの中から画像サイズの大きなもの(マイクロソフトだと、14.5はないので15インチのLaptop4)を選びました。ちなみにCPUは、Core i5とか7とかもちろん9ではなくてAMD製です。ここも妥協したわけでもないのですが、コスパいいとの口コミ多くて♪

かなり美しいPCです。

 
いざ、開梱。まるで日用品に毛が生えた程度のシンプルなシロモノ家電でも購入したかのような、お洒落で小さな箱。開けると美しいアルミ素材の持つカタマリ感あるボディが♪

ほんのわずかな取説と、これまた綺麗に畳まれた充電用ケーブル。
えー、これだけしかないの?と思わず口をついて出てしまったほどに、内容物は少ない。そのわずかな取説を頼りに、ケーブルをつないで充電しながらラップトップのふたを開けた。すると自動的に電源が入って、コルタナっていうフォローが役目の音声ガイドを遮りながら、一通り最初の設定を終えます。


 あっという間に使えるようになっちゃう。メーラーもGoogleだけでいいと思えばインストールしなくていいし、マイクロソフトのPCだけあって、Office(Home&Business)はインストール済み。

PCそのものの設定(PINとか)とOfficeのライセンス・キーを入れたら、もう普通に使えるようになりました。ものの20分・・・。かって、丸1日(自作のデスクトップだと2日)かけていろいろな設定を順次行い、と同時にOfficeなどのソフトを1時間以上もかけてやったのは、遠い昔です。

 

気になる使い勝手は・・・このブログも、さっそく新しく手に入れたLaptop4で書いています。えーとキーボードのタッチ、そしてキーピッチはとても快適です。キーのタッチ感は非常に軽快。深すぎず浅すぎず、手ごたえとしての反力も文句なし。ちょっとがんばったら、テンキーだって無理なく設えることもできたと思うほど、サイズが15インチだと、デスクトップ並みに快適です。1,540gは、このサイズだったら許容範囲だと思います。充電用ケーブルも、Dellと比べたらスマート!

次に液晶ですが、鏡面仕上げのグレアなので、ちょっと映り込みがうるさいと言えばうるさい。タッチ入力できる仕様なので、ノングレアができなかったのかもしれませんが、ここは少し残念なところ。でも、画像は綺麗です。自分のFacebookの記事を開いて、写真を拡大表示してみると、ちょっとした感動さえ!

難点を強いてあげるとしたら、インターフェイスがめちゃ少ないこと。個人で利用できるのはUSBのAが1つ、Cが1つ。あとはマイクロフォン端子。これしかない。LANさえつけられない・・・。当然Wifi機能はあるし、Bluetoothも内蔵なのでそんなに問題がないと言えばないんだけど、USBのAだけでももう1口欲しかった・・・。結局マウスも今までのものを流用できずに、Bluetooth版を購入することになりそうです(だって唯一のUSBのAをそれで使い切っちゃうもんね)。

 

こうしてインターフェイスを見るだけでも、あらためてPCの利用方法が大きく変わってきたことを実感します。いろいろなデータはクラウドに入れておけば、外付けのメディアは不要だし(個人的にはMEGAを使っています↓)
https://mega.nz/login

Facebookだってインスタだって、持ち歩くもんじゃないし、ソフト類もライセンスで(サブスクリプトで)使うとなると、果たしてPCそのものさえ持ち歩かなくても、出先でお借りしたPCでほとんどのことができちゃう。


あ、そうだ!このPCも、同時に購入したデジタルカメラも、お客様にお使いいただくとすごい有効活用になりそうです。ご自由に顔認識なんかを設定してもらったら困っちゃうけど、PCやカメラをお持ちにならなくても、もっと軽装で来ていただいて、旅の荷物は最小限でいらしていただけたらいいですね。もちろん、コロナ禍に生きる今ですから、接触箇所を清潔にしておくのはマストですけど・・・。 

うん、決めました。お客様に無償でPC(Laptop4 15in)とデジタルカメラEOS RまたはXT2をお貸ししましょう。ご希望の方は、ご予約時にお申し付けください!

2021年12月11日土曜日

デジタルカメラもついに、ミラーレス機全盛に・・・。

まったくの“想定外”にことなのだけれども、新しいデジタルカメラをお迎えすることになった。デジタルカメラの遍歴を記載し出すと、果て無い・・・。カメラメーカーさんやその小売店さんに多くのお布施をお支払いしたものだと思うけれども、それ以上に貴重な「画像」と言うかけがえのない財産を与えてくれた。

デジタルカメラと言うものが世に出て、普及して、たぶん25年くらいになると思うけれども、かっての新製品からにじみ出るような“ワクワク感”は、すっかり減じて行ったと思う。まぁそう感じるのは僕だけかもしれないけれども、デジタルカメラの生産量も販売額も、25年前から比較したら劇的に減った。言うまでもなくスマホの影響が絶大なのは間違いないだろう。カメラに興味のないユーザーにとってさえ、スマホにはもれなくカメラ機能が付随する。せっかくあるんだからと使ってみたら、けっこう綺麗に画像が撮れる。これに加えてわざわざカメラを持とうと言う人は、かなりな写真好きに違いない。結果デジタルカメラは縮小の傾向⇒デジタルカメラは「好事家」の持ち物に⇒普及機はどんどん減って、マニア向けのものに・・・。という推移になってしまった。

http://www.monox.jp/digitalcamera-news-camera-sales-2012.html

https://gyokai-search.com/3-camera.html

 

ちなみに僕自身が最初に手にしたデジタルカメラは、オリンパス社のC-1400XLだった。1998年だったと記憶する。けっこうなハイエンドマシンで、意外ときれいな写真が撮れた。141万画素のセンサーで、レンズ一体型だったけれども、一眼レフ機で、妙にかさばり、どこそこレスポンスが悪かった。この時代では、ただただいい写真を撮ることができるカメラだった。その後は

2000年頃 オリンパスC3030ズーム、324万画素

2002年頃 キヤノンD60 650万画素

2008年頃 キヤノンKiss X2 1240万画素

2012年3月 パナソニック Lumix GF2 1300万画素

2013年1月 キヤノン 6D 2060万画素

2015年2月 キヤノン KissX7 1800万画素

201510月 富士フィルム XT10 1670万画素

20183月 富士フィルム XT2 2430万画素

202112月 キヤノン EOS R 3170万画素

と、まったく飽きもせずに連綿と続く。ワクワク感が無くなって来たとか書いているくせに、このありさまだ・・・。フジのXT2購入後、3年8か月と言うのは少し長い間が開いた方かもしれない。カメラをいつ手に入れたのか、その理由を考えるのも個人的には面白いけれども、多少はここに目を通してくださった方のお役に立てた方が良いので、省略です。




 

さて、やっと長い長い序章の末に現れたEOS Rです。現時点でキヤノンのミラーレスのデジタル1眼機は、ローエンドのEOS RPからスタートしてRR6、R5、R3の全5機がラインナップする。他メーカーも気にすれば底なし沼になっちゃいますが、僕はレンズ資産がキヤノンなので、いちおうキヤノンに絞ります(フジはフルサイズがありませんし)。で、なんでRにしたのか・・・?PRじゃダメだったのか、ということに関して書き記しておきます。理由は単純にXT10購入時の反省からでした。XT10XT1リリース後に、センサー共用でXT1の実力をそのままに、よりコンパクトなマシンで出てきたフジのカメラでした。僕はこのXT10に飛びついちゃったんだけれども、ちょっと使いにくかった。小ささのために多くの犠牲を払っていて、あちこち操作系が狭苦しいマシンでした。気に入った写真が撮れたし、なにしろコンパクトだったので、持ち出す機会は多かったけれども、いわゆる撮影テンポは上がらないカメラだった。結局従来から使っていた、EOS kiss X7を優先して使うことになっちゃった(何のために買ったのやら?小型軽量ミラーレスに惚れたんじゃなかったのか!)。我慢しきれずに2年半後にXT2(XT1の後継機)を手に入れてみたら、これが軽快で使いやすい。最初にXT1にしておけば良かったなぁと反省しきり・・・。

その経験を踏まえて、RPはパスして(キャッシュバックもあったけど)、Rに。R6より上は、単純に手が届かなかった。いくら業務用にも使うと言ったって、プロでもない僕にR6やR5のプライスは全くの非現実的なものです。

さて、EOS Rの使い勝手です。まず重量580gは、僕の持っているカメラと比べたら、フジのXT2よりおよそ100g重くて、キヤノンの6Dより100g軽い。EOS R用のレンズは予算の関係でマクロ35mmの1本だけしか手に入れられませんでしたが、これもかなり軽い。XT2はボディが小さい(薄い)ので、460gと言ってもカタマリ感あって、ズシって来るのに比べたら、そこまでは重く感じない(実際には重いけどネ)。

さらに記載しておきたいのは、手に持ったグリップ感がすごくいい。右手の握り部分の深さがけっこうあって、しっくり馴染んでくれる。6Dにちょっと重いレンズ点けると、気分も重くなっちゃうけど、ぜんぜんそんな重々しい気配がない。キヤノンのインターフェイスも僕には慣れていて違和感ないし、メカの操作部も随所に改善点あって(安易にダイヤルが動かないような工夫とか)、はっきり進化を遂げた部分がわかる!

そして、吐き出す「絵」は、というとこれまた素晴らしいの一言。6DやXT2を初めて使ったときにも増して、ハッとする美しさがある。たぶんこれは、センサーの画素数によるところが大きいんだろうと想像する。撮った写真を確認する液晶も上位機種のR6を凌駕する3.15210万画素と精彩で言うことなし(でも、電池の減りは早いかも)。おまけに、シャッターを切った感触が軽快で心地よい(これ、結構重要でしょ!)。結果、撮影テンポに何ら支障がないのでついたくさんシャッター切っちゃう・・・。 

最後にひとつだけ、今のところの不満点。同梱のPC接続用のUSBケーブルがC to Cになっていた。Macや最新のノートならいざ知らず(たぶん問題ない)、普通のデスクトップ機ならAでしょう?USBケーブル別売のフジにも参るけど、ここはねぇ・・・! 

2021年9月5日日曜日

9月には帰らない・・・。

 いつからだろう、休暇に山岳地帯に行って、避暑を過ごすのが夏の楽しみのひとつになっていた。1週間か8日間かある夏季休暇の2日ほどを休日出勤して仕事にけりをつけ、3~4泊を白馬や蓼科の行きつけの宿で過ごすのだ。

お天気次第で、1度は山登りにトライする。たいていは白馬の八方尾根のリフトを乗り継いで八方池まで登り、余勢に任せて唐松岳まで行ってみたりした。八方池を過ぎて山岳ルートを行くと、だんだん息が上がり、苦しくなってくる。普段鍛えてもいない体に鞭打って、たくさんの重装備の登山家に追い越されながら(もちろん道を譲り、「どうぞ」、「どうも」とあいさつを交わして)、ゆっくりゆっくりと曲がりくねった道なき道を行く。上手くできたもので、視界に飛び込んでくる光景は、体の辛さと比例してどんどん素晴らしいものになる。コマクサのやチングルマたち高原植物の歓迎を受け、次第に高山独特の視界が広がる。雪渓、ところどころに残る緑の草たち。

唐松山荘までたどり着いたら、片道3時間ちょっとの強行軍は終わり(まぁちょっと山に行く人からしたら、チョロいもんだろうけれども)。八方尾根のリフトの最終便に滑り込むために、そそくさと下山を急いだ。


あの、定番の夏の想い出から20年も25年もたってしまった今(そう、2021年初秋の9月初旬)、スタッフの一人が大雪山山系の黒岳に登ろうと誘ってくれる。聞けばロープウェイとリフトを乗り継いで、そこからは1時間半から2時間の上りで山頂に到着と言う。行きたい気持ちと、すでに62歳になった自分が、誰にも迷惑をかけずに行って戻ることができるだろうか・・・、と疑問がつきまとう。“ペースを落としてゆっくり行けば大丈夫”と背中を押され、もう少し近い(クルマで35分)旭岳の登山道よりずいぶん歩きやすいらしいと行ったこともないルートと比較してみたりして、重い腰を上げる。

ロープウェイの影が森の上をすべる。

2021年9月4日午前5時15分、美瑛を出発。6時45分に黒岳ロープウェイ駐車場に到着し、ロープウェイ+リフト往復券(大人一人3,000円)を購入して朝霧が晴れて行く空を仰ぐ。いい日になりそうだ♬

7時ちょうどのロープウェイに乗り込み、10分弱の空中散歩がスタートした。定員101人のロープウェイには規制があるのかどうかわからないが、ざっと25人の乗客が。見たところ、スニーカーやパンプスの人は皆無で、皆ちゃんとした登山靴を履いていて、ちょっぴり気後れする。ほどなく黒岳駅に到着。最後のトイレを済ませて待ち時間なしでリフトに乗り15分、いよいよ山岳ルートの山登りがスタートした。お天気は晴れ、曇っていた空が次第に晴れて、ごく弱いやさしい風が時折尾根を駆け下りてゆく。

ロープウェイの到着地点、黒岳駅

いきなりのけっこうな急斜面に面食らう。こんなルートを1時間半とか、まぁどう考えても今の自分には無理だ・・・、そう思いながらつづら折りの登山道を数度曲がると視界が広がった。ほんの100mも歩いただろうか、7合目の看板。リフト乗り場の駅の屋根がけっこう小さく見下ろせる。「ふぅ」と深呼吸して、また登る。道は緩急を繰り返し、はぁはぁと息が切れた頃、今度は8合目の看板と木製のベンチが現われる。思わず腰かけて上着をリュックに押し込み、お茶を少しだけ口に含んだ。

もう少しで着くはず!

20年前の、あの夏の想い出が頭をよぎる。あの頃はトイレの事さえ気にせずに、飲みたいときには欲しいだけ水分補給をしていたんじゃないかな。歩くペースも落ちたような気がするけれども、意外とイケるじゃないかとも思う。「あそこの岩と、始まった黄葉のシーンはちょっとした撮影スポットですよ」とスタッフが言うけれども、それほどいいとも思えなくてシャッターは切らずに進む(ゴメンネ)。ひたすら重くなる足を持ち上げて、9合目。またベンチもあったけれども先客ありのため、見栄を張ってスルーして登る。2つコーナーを過ぎると残り500m(トータル1.7km)の看板に、かなり励まされた。と、同時にスタッフが「山頂に着く前に、ちょっと急なルートがありますけど」という一言にビビってしまった・・・。正直なところ、もうほとんど余力がない。シャレにならない気分で、渾身の力を込めて足を前に出した。すれ違う人の「もうほんの少しですよ」に大いに背中を押されて前に進む。もう休憩を挟まない、休んだら動けなくなりそうだ。

やっとの思いで到着♬

スタッフの示唆した通り、厳しい角度の登山ルートに体中の血液が沸騰したような気分になる。もう何があっても絶対止まらない(止まれない)。きっと残り200m程度だろう。はぁはぁ・・・ぜいぜい、息が苦しい。まだ足が動く・・・。

無心でもがいているとほどなく視界がぱっと広がった。黒岳山頂のポールと、360度広がる絶景に息をのむ。あー、あの25年前の夏の想い出と同じ光景だ。またこんな素晴らしい景色に出会うことができた。

美しい山岳風景に癒される。

石の上に腰を下ろし、おにぎりを頬張って、またお茶を飲む。冷たい風が頬をなでてゆく。寒いと言うよりは気持ちがいい。汗に濡れたシャツを、ちょっぴり乾かしてもくれるのだ。

なぜかこうして山に登ると、思い出されるメロディーは「9月には帰らない」だ。海辺を舞台にしたこの歌詞が、なぜか頭に浮かぶ。きっと“明日あたり灯台へ、波しぶき見に行こう”というフレーズが、「山の景色を見に行こう」に勝手に書き換わってしまっているからだ。

まだ先を目指す人が多い。

かなり長い間山頂で休んだ。ほとんどの人が重い荷を背負ってさらに北へと進む。少し下って右に曲がり、小さな点になって地平線に消えてゆく。きっと旭岳まで縦走して、数日は標高2000m界隈でテントを張って過ごすのだろう。

オシャレなのに誰もいないカフェ。

気が付くと、駐車場のあるロープウェイの乗り口まで下りて来ていた。黒岳にあやかって“Black Mountain Café”。アウトドア・グッズを展開するコロンビアのSRを兼ねるカフェでコーヒーを飲む。お洒落でシンプルなその店舗には、Rolling Stonesのナンバーが流れて、正午過ぎだというのに、そして土曜日だというのに、僕らのほかに誰も居なかった。


2021年4月20日火曜日

東風吹かば・・・

 匂いおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな

美瑛も花の季節になって来ました。これは超有名な、菅原道真の詩(うた)ですよね。大宰府に左遷された道真が、都(京)の我が家に残した梅の花に向けて想いをつづった・・・と認識していたのですが、まったくの誤認。道真が、京の自宅を出立するときに庭の梅を前に詠んだ句、ということのようです。

この詩に、ちょっと思うところが2つありまして、それを書いてみようかな。

ひとつ目は、道真も雇われの身。組織のおきてには抗うことは許されず、京から九州の大宰府に、いわば更迭される様子がこの詩に滲んでいます。案外さっぱりした気分で旅立ったのかもしれないし、未練に復讐心の炎を燃やしながらの出発っだったのかもしれない。真実は、わからないですよね。醍醐天皇にまつわる政争、まぁ今風には派閥争いなのだろうか?とにかく右大臣にまで昇りつめた道真も、左遷。

これって、今の世の中にもまるっきり同じようなことがあって、いつまでも似たようなことが続いて進歩しないとも思えるし、人の集まる組織においては、派閥争いは必定なのか(つまり組織における不可避な真理なのか)とも思えます。かく言う(書く)私自身も、25年も会社勤めをやりましたから、この手のあれこれと無縁ではいられませんでした。幸い自分自身が左遷の憂き目を見なくて済んだのは、ただただ運だけが良かったことと、そんなに昇りつめなかったことが原因でしょう。それでも、周囲の人たち(お仕えしていた上司とか、辞めた後の同僚や後輩たちが)、いろいろな形で失脚したり、栄転したりを聞くにつけ(辞めて15年目だと言うのに、まだ聞き及んでいる私!)、この道真の詩に普遍的な何かを感じないではいられません。と同時に、会社組織を辞して小さな小さな会社の経営者になった今、この手の気遣いとは無縁の日々。その代わり、経営者としての責務は荷が重いわけですが、組織の中の世渡りが好きではなかった(でも、結果うまいこと世渡りはしてきた)自分は、組織を脱したことは、良かったと感じています。

もうひとつは、道真が心配するまでもなく、梅の花は季節を絶対に忘れないと言うこと。人は忘れ物をしますが(僕もいっぱいします!)、自然界の命あるものは、忘れ物なんて絶対しない。

今(2021年4月下旬)、巷では(世界的に)コロナ狂騒曲が吹き荒れていて大変ですが、ここ美瑛でも春の花たちが目を覚ましました。可憐に咲いているのは、気の早いのはクロッカス、そして福寿草。もうすぐ見ごろを迎えるのが、カタクリやエゾエンゴサク。たぶんGWを待たずに満開ですかね、今年は。すぐ後にミズバショウも続いて、しばらくしたら桜も・・・。桜の開花は、今年は早くて5月早々のようです(満開はGW後半)。

例年は、お客様をお迎えしていて手一杯のGWも、今年はたっぷり時間がありそうなので、思い切って旭川のカタクリの大群生地に、ゆっくり出かけてみようと思います。酒造で有名な男山さんが管理する突哨山。

https://www.otokoyama.com/blog/park

なんでも男山さんもコロナ禍で売り上げ激減で、今年はカタクリの一般公開まで余力がないので、中止・・・するつもりだったようですが、一般からの寄付が集まって、例年通り公開できる運びになったようです。僕も行ったら1本お酒を購入しようっと!


2021年2月7日日曜日

パンを焼く、この心躍る豊かな時間。

 コロナ禍で、あれこれ事情が変わってきた。なんといってもお客様がいらっしゃらない(来ることができない(特に海外の方は))。お役所も、これじゃヤバいとばかりにあれこれと施策を打ち出している。こんな経験は滅多にないので、たまには「えー?」と唸るような施策も発令されてしまう。

そのひとつが、美瑛町が町民に配布した「宿泊クーポン券」だ。全町民にお買物クーポンとともに、宿泊クーポン3,000円を配布したのは、昨年の5月の頃だったと思う。しかし実際に受け取ってみると(私も美瑛町民として)、使うのはちょっとビミョーだ。わが町民が、わざわざ町内の宿泊施設に泊まるだろうか・・・?例えば何かの記念日に、ご夫妻で泊まって2人で6,000円のクーポンがあるのは確かに嬉しい。かなりいいワインなんか飲もうかな・・・なんて思えなくもない。とは言うものの昨年12月が期限だったこの宿泊クーポン、消化率(利用履歴)はおよそ4割りらしい。あわてて利用期限をこの2月まで伸ばしたが、ウチも2枚とも(家族全員分)、まだ使わず仕舞いだ。

6月だったか、やんわりと宿泊施設側に「使う場を工夫してはどうか」的なサジェストが町から、観光協会から、あった。発行元の町は、宿泊施設に対する刺激策だったので、宿で何か買うのに充ててもいいということだった。ちょっと浅はかな施策だったとは思うけど、もう世に出てしまったモノは仕方がない。ウチで何買っていただけるだろう・・・?と1週間くらい考えてみたのだけれど、消去法的に残ったのがライセンスもある、パンの小売りだ。宿泊券で、パンを購入していただいてはどうだろう・・・。1枚3,000円の宿泊券だから、回数券方式でやってみようと思い立った。


パンについて、語れば長い。ので、ざぁーっと端折って、2000年ころからの想い出にお付き合いいただきたい(って、あまり端折っていないか!?)。確かまだお正月のお休みの、後半だったと思う。僕は200枚ほどある年賀状に目を通すともなく眺めていた。上司、同僚、部下たち・・・に始まって、お取引先、お客様、外注さんなどなど。そのほとんどは勤めている会社関係からのものだった。時折学生時代の恩師や同級生のものが混じるが、せいぜい2割もあっただろうか・・・?おせち料理も堪能しきったことだしと、コーヒーを飲みに休み明けで始まったカフェへ向かう道すがら、目に飛び込んできたのは「パン教室」の4文字の刻まれたポスターだった。

すでに40歳を過ぎて、それなりに責任あるポストにも就かせていただいていた自分は、当然と言えば当然だけれども会社だらけの人生にまみれていた。後悔はない・・・つもりだったけど、いずれ会社から去る時が来たら抜け殻みたいになってしまうのだろうか?そんな不安がゼロだったと言えば嘘になる。そして「仕事ではない何か」を無意識に求めていた僕の目に飛び込んできたのが「パン教室」のポスターだったのだと思う。

果たして、見学もできますと言うお誘いに乗ってみたものの、有閑マダムのサロンと化したその場所は、企業戦士の僕の居場所ではないと思い知らされ、早々に退散する羽目に・・・。なったのだが、店員さんの「男性教室もありますよ」の一言が決定打になって、その月の男性教室には、前のめりになって入会した僕の姿があった!


パンが焼ける、明けたオーヴンから立ち上る香りを嗅いだ時、僕はパン教室入会がどれほど正解だったかを確信する。美味しいパンが好きだ。そしてこの、小麦が焼ける香ばしい匂いの甘美なこと♬

数回出席するうちに、その男性教室にいらっしゃる先輩たちが、皆気さくで気づかいのある方たちばかりだったことにも気づく。加えて先生をしてくださるのは全教室(ジャパン・ベーキングスクール)のワルツ部門トップの片桐先生だ。なんでも男性教室は屁理屈を言う生徒が多いらしく、パンの理論(はっきり言って、生化学反応)に多少は詳しくないと、意地悪な質問にも答えにくい。ちなみにパン教室の同僚先輩方は、自動車メーカーの技術屋、画家、市会議員、高校教師・・・とまぁ多彩な人たちだった。

正直先生の指導は厳しかった。おかげで出来上がるパンは、いつもすごく美味しかった!パン教室にとって生徒はお客さまだから、ともすると先生は生徒の顔いろを気にしてしまうのではないか・・・?なんてことは微塵もなく、座学含めて常に向上心を持ってパン作りに向き合うことを強いた。最初の半年ほどは、僕は劣等生で、理論に加えて、成型における技術部分でも先輩たちに大きく後れを取っていた。まぁ仕方がないと自覚していたが、しばらくのうちに先生から「いつまでこの程度のことができないままなのか!」と叱られ始め、ちょっと面食らってしまった。でも、なぜかまったく「嫌だな」とか「もう辞めたいな」とは思わなかった。むしろ、もっと美味しい美しいパンを焼こうと、だからもっと教えてもらおう、ということが多かった。日頃は中間管理職真っただ中の僕にとって、いち末端生徒になってひたすら先生の指導を仰ぐのは、妙に心地よかった。そして何よりも片桐先生は、ご自身がパンに、常に真剣に向き合っていた。

いま、もう15年もパンを焼く日々を過ごしながら改めて感じているのは、パン作りの奥深さだ。正直、パンを作るためのレシピはおおむね単純なものだと言えるだろう。ケーキや料理と違って、扱う素材は両手の指ほどには至らない。しかしわずかな製法の違いが(時には手抜きみたいなことが)、決定的に完成したパンに影響する。ちょっとした時間の長短や、温度の違いで、すぐにパンは拗ねてしまう。
そうかと思えば、”しまった”と焦る気持ちをなだめる様に、”大丈夫だよ”と何事もなかったようにちゃんと焼きあがることもある・・・。

愛読書に「パン屋の仕事」という本がある。この本の著者、明石克彦氏よれば「レシピの字面に現れない、繊細なパン作りのあれこれ」をすくい取る心配りがないと、美味しいパンは焼けないらしい。この本との出会いは、岐阜県高山市の老舗パン屋「トランブルー」だ。私の師、片桐先生が、ただひとり「あの人はすごい」と言った孤高のパン職人成瀬正氏のお店。トランブルーのことを話し出したら、さらに話が長引いてしまうので、このあたりで・・・。とにかくそんなあれこれと片桐先生に感謝しながら、今日も美味しいパンを焼く。はっきり言って、これはコロナ禍のくれたささやかな至福の時間でもある。