2023年3月16日木曜日

17回目の冬の終わりに。

はじめて美瑛の冬を知ったのは、確か2006年の1月だっただろうか・・・。美瑛に、愛知県から移住することは心に決めていて、どこに自分の拠点を据えようか、あれこれと(と言っても選択肢は少なかったように記憶する)不動産を物色しにやって来ていた。

胸の中には溢れんばかりの憧れや夢があって、それにまけないくらいの不安や焦燥感にも押しつぶされそうになっていたっけ。何しろほどなく25年勤めた会社を辞す決断はとっくにしていたし、会社勤めしかやったことの無い僕に自営業というものが務まるのかどうか、わずかな自信も、若干の勝算さえも持ち合わせて居なかった。ただただ、やってみたい、行ってみたいと言う気持ちだけに急き立てられて、気が付いたら美瑛町の不動産を購入する契約書にサインをし押印もしていた・・・。

 

けして、人生において大きな決断をたくさんしてきた経験があるわけでもない僕にとって、ここ美瑛への移住は、紛れもない一大決心だった。ささやかながら、それまで積み上げて来た会社勤め人としての、全ての信用を失ってしまう行為であったし、見返りに何かが用意されているわけでもなった。例えば、新たにクレジット・カード1枚作る事さえ、相当ハードルが高くなってしまい、ざっくり言えば無理と言うケースが多いのが現実になった。

 

あの、わけもわからないような一大決心から、17年の年月が流れた。僕は何度か失敗をし、勘違いをし、そしてそこそこ地道に働いて、2017年には共同経営者の出現もあり(むしろ、そちらから強いプッシュを受けて)2軒目の宿泊施設「丘のほとり」をオープンさせていた。多忙だったけれども、いろいろな夢が叶うフェーズにいることに、ちょっぴり酔いしれていたかもしれない・・・。成功者の端くれになったような、勘違いをしていたんだと思う。

そこに、コロナ禍がやってきた。2020年1月、神奈川県で最初の感染者が確認されると、瞬く間に日本中に伝播してしまった。3月、ついに今まで経験のない宿泊者数ゼロ、という月を迎えてしまった。翌4月もゼロだった。緊急事態宣言と称して、旅行はもちろん、移動やイベント開催にも制約がかけられた。未知の病原菌(コロナウィルス)の存在に、日本中がコロナ狂騒曲に怯え切ってしまった。普段楽観的な僕でさえ、この狂騒曲は半年ではとても鳴り止まないだろうと感じた。へたすると1年くらい続くか・・・・。


ところが現実はさらに容赦なく、コロナ禍によるいろいろな規制を受ける日々が丸2年以上も続いてしまう。年間の集客数は4分の1になり、ささやかな別チャネルによる売り上げ増を図るも(パンの販売とか)、あっという間に資金ショートを起こしてしまいそうな状況に陥った。幸い政府の動きは早く、無利子貸し付けや、純然たる補助金(返済義務なし)や、正規雇用している社員に対する助成金などいろいろな支援策(おもに金銭的な支援)を施策として早々に実施してくれた。一部(飲食店などでは)、補助金太りが指摘されるケースもあったけれども、どこかに線引きをする以上、不公平なケースも出来てしまうわけで、そこに大いに不満をぶつけても意味のないことだと思う。とにかく政府の対応に救われた感は否めない状況だった。

 


2022年に入ると、それまで以上に感染者は急増するケースが何度かあったけれども、緊急事態宣言の発令は皆無になった。もちろん手厚かった補助金政策も次第に無くなって行ったけれども、2022年夏以降コロナのワクチン接種の浸透とともに、復活を実感できるほどに国内のお客様の来館が戻って来た。このまま回復基調で推移すれば、コロナ禍前までとはいかないまでも70~80%くらいの売り上げ確保ができるようになり、大赤字から脱出できる可能性が出て来た。

長い(丸々3年に及ぶのか!)のコロナ狂騒曲が、やっと最終楽章に入った様子で、真っ暗だったトンネルの中から、出口の光がはっきりと見えて来た気がした♬自分が精いっぱい働く中で、会社が軌道に乗りつつあることを実感できるのは、素晴らしい体験だと思う。

 

ところが好事魔多し・・・、とはよく言ったものでこんな時に限って、また厄介ごとが転がり込んでくる!2017年に設立した会社の共同経営者が、白旗を上げたのだ。コロナ禍で、なんとか会社を存続させるために、必死で無い知恵絞って、出来る限りの節約に努めてやってきた僕としては、極めて残念な通達だ。

コロナ禍で、会社・自分・共同経営者の3つが、どこも倒産しない状態を維持する必要があった。一番危なっかしいのは紛れもなく会社で、僕自身の老後はかなり心配ではあるものの、ささやかながら年金もいただけるようになり、まぁその日暮らしで繋げるくらいの状況にはある。会社だけは何とかしよう、共同経営者のためにも倒産させてなるものか・・・。そう意気込んで、綱渡りをしてきた。ところが共同経営者が「もう駄目です、資金を回収させてほしい」と申し入れてきた。蓄えの全くないわが社から、数千万円の資金引き上げを要請してきた。もちろん、この時期に無理は承知でのこと。悩みに悩んだ末の申し入れだった。

 

「話が違うじゃないか」と喉から出かかる言葉を、やっとの思いで飲み込む。彼だって、言わずに済むならそうしたかったはずだ・・・。とにかく、会社は急転直下、大ピンチに追い込まれることになった。

コロナ禍を、どうにかこうにかしのぎきった今、もう会社には(そして僕自身にも)、余力はない。共倒れの文字も、ちらちらと浮かんでは消える始末だ。


 
でも、なんだろう・・・?いい解決案があるわけでもないのに、妙に「何とかなる、何とかこの窮地を脱出できる」という予感が、脳裏を駆け巡るのだ。17年前の冬、何ひとつ先のことが見えないあの頃のことを思えば、はるかに知恵も人脈も出来たように思う(貯蓄はないけど)。少し日が長くなり始めた3月1日、大ピンチの真っただ中で根拠のない勝算に麻痺しているのは、どうしてだろう・・・?

そう、とにかくあの夢いっぱい、不安もいっぱいだったあの冬から17年が過ぎた。回り道だらけの17年だったけれども、不思議に根拠のない自信めいたものが背中を押す。移住したのは2007年の早春で、開けた2008年あたりは、たぶん一番(紛れもなく、今以上に!)経営が厳しかった。開業間もない私の最初の宿「四季」は、丸2年を待たずに店じまいするしかないのか・・・、あの頃は本当に追い込まれていた。ちょうどその頃、アンジェラ・アキの歌う「手紙_15歳の君へ」という曲が流れていた。確か歌詞の中に、未来の自分に向かって不安の思いを打ち明ける内容だったな。懐かしい・・・。

 

過ぎて行った日々を、客観的に克明に覚えておっくことは難しい。2007年からの3年間ほど、底なしの不安と隣り合わせだったことを思うと、コロナ禍から立ち直りつつ今は、遥かに気が楽で、ポジティブな気持ちで居られる・・・。何とかなる、どうにかできる、必ず乗り切る、そんな思いが心に中に少しずつ溢れている。まぁ油断はできないけどね♬

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