2025年3月22日土曜日

由緒あるホテルの閉館が、ちょっと寂しいです。

 お隣、富良野市の少しハイクラスな宿”富良野ホテル”が、営業停止になりました。経営の真相は知るすべもありませんが、経営を担っていた第一ホテルグループは建物等の賃貸契約を延長せず、この(2025年)2月末をもって営業終了となってしまいました。

富良野は美瑛と違って、夏以外にも冬季の繁忙期があり、宿泊施設を経営する環境は良いと思います。世界屈指と言ってもいい富良野スキー場を有し、富良野の雪質の良さも相まって、冬季の人気も非常に高いです。その点びえいは真冬の集客はこれと言った訴求ポイントが無いので、夏にしか繁忙期が無いのは経営的には痛いところです。

また、南富良野町のかなやま湖ログホテルラーチもこの秋10月をもっていったん営業終了し、鶴雅グループに売却する方向で内定している様子です。

富良野ホテルへは、3年ほど前に1度泊まりに行ったことがあります。ちょっと高級感あるホテルで(実際高かったし)、僕にとっては場違いな雰囲気でしたが、たまにはそんな雰囲気の中、学んでくることもあるだろうと出かけました。

もともと、大手企業の保養所でスタートした富良野ホテルは、会議室と言うかオープン・スペースのような空間が結構あって、無駄とも思えるし空間遣いが伸びやかでいいかな、とも感じました。ダイニングスペースも広々としていて、さすがこのクラス!ワインの品ぞろえもボルドーの5大シャトーを中心に、著名なものは一通り持っているようでした(それだけでも数百万・・・)。20室足らずの客室数でしたが、やや高額な価格設定として、うまくやっていらっしゃるように思えたのです。実際に僕が泊まったのはちょうど今頃、スキー場も終わりになる3月下旬だったと記憶しますが、5、6組のお客様が泊まっていたと記憶しています。


そんなことをつらつらと思い出していると、全国の地価の上昇率で、住宅地では富良野市が全国1位(31.3%/この1年で)というニュースが飛び込んできました。JR富良野駅からは離れた北の峰周辺がその対象らしく、少し前のニセコ(倶知安町)の後を追うような状況だと思います。

ニュースを少しだけ見た範囲ですが、その人気(上昇の原因)はほとんどが外国人需要によってもたらされているようです。そして、日本でも(ニュースでは世界屈指の)雪質のいいゲレンデ(富良野スキー場)がそれを大いに後押ししていると報じていました。

ってことは、富良野ホテルなんかは北の峰からは少し離れるにしても、富良野スキー場は目と鼻の先。立地的にはすごくいい環境だと思えてなりません。


しかしながら、僕自身も宿泊業の端くれとして感じるのは、この業界の経営の厳しさです。まだ記憶に新しい(と言いながら、ちょっと薄れて来たかも?)コロナ禍で、全ての宿泊施設は大打撃を受けました。飲食業には手厚い対応が政府からなされ、私たち宿泊業にもその恩恵は(飲食業には及ばないでしたが)もたされました。

もちろんその恩恵だけではとても2年半のコロナ禍を乗り切ることはできず、大多数の宿泊業者は、金融機関から大きな借り入れをしたはずです。当館もそうです。そして2023年頃からその返済が始まっているので、返済開始から概ね2年後の今(2025年3月)、どこの宿泊業者も返済に追われているのが現状です。

そこそこ集客力のある宿泊施設は回転資金がつながると思いますが、もともと初期費用も運転資金も結構な額を必要とするこの業界は、少しの集客の翳りで、瞬く間に資金ショートを起こしてしまいます。いくら富良野の地価が高騰するといえども、ライバル乱立するこの地で、ちょっとした経営の方針ミスが致命傷になりえます。

私の手元に、昨年の夏打たれた、富良野ホテルのA4サイズ1枚のPRパンフがあります。シニアソムリエと共に3つのワイナリーをめぐる富良野ホテルのスペシャルプラン・・・。正直魅力的な素敵なプランだな、と思ったものです。繁忙期(8月)ゆえ、また高額(1泊12万円)なため、参加には至りませんでしたが、僕自身もこんな企画はやってみたいとさえ思いました。

その富良野ホテルさんも廃業。華やかに地価高騰がニュースになる富良野ではあるけれども、ちょっと舞台裏をのぞいてしまうと、厳しい現実が待っていますよね。

お話は少し飛びますが、先日(今月初旬)、所用で小樽にでかけました。懇意にしている宿仲間が取ってくれたのは、ノイシュロス・小樽という老舗ホテル。正直外観はボロボロでネット上では幽霊が出る、という噂もあるようでしたが、料理は丁寧に作られていて非常に美味しかったし、お部屋も快適でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ホテルノイシュロス小樽

このホテル、1965年の"祝津観光ホテル天望閣"が前身。何度もの経営破綻やM&Aを経て今に至っています。泊まった印象は、お客様をとても大切にしていると言うこと。

想像を絶するほどの初期投資を必要とするホテルではありますが、こういった丁寧な接客を心がける快適な宿泊施設が、何とか生き延びていって欲しいと願わずにはいられません。と同時に、同じ業界に身を置く僕自身も、あらためてこの世界の厳しさを肌に感じないではいられませんでした。


2025年2月28日金曜日

F40型のBMW135ⅰに乗り換えます。

 今乗っているF20初期型のBMW135ⅰから、1つ新しいF40型の同モデルへ買い替えることにしました。F40型は4輪駆動車なのです。すぐ前に投稿した最新のF70型の一つ前のモデルです。

新たにやって来たF40型_135i

買い替える一番の理由は、何をおいても冬季はFRの駆動方式を持て余してしまうから・・・。まぁこれに尽きます。誤解されてしまうかもしれませんがFR(後輪駆動)のクルマ、大好きです。さらに言えば、運転していて非常に気持ちがいい♬ 

何ていうのかな、ドライヴフィールに、高級感があります(運転した感覚に、高級感も何もあるか?とおっしゃるなかれ。間違いなくFR車には高級感はありますよ!)。じゃあ、なんで持て余すのさ?ってなりますが、要は冬道、特にいったん融けた路面が急な低温下で凍り付いた(ブラックアイスバーン状態、なんて言います)路面だと、FR車は簡単にグリップを失って、どこに行くのか制御不能状態になってしまうのです。そんなことがこの2月だけでも3回もありました。隣町、上富良野町に買い物に行くときに、ちょっとお高そうなアウディに追われながら、下り坂の左コーナーでつるつると対向車線にはみ出し、あわわ、どこ行っちゃうんだ???と焦ったり、旭川に行く途中に国道の美瑛坂はたぶん凍っているだろうと1本裏側(東側)の道を行ったらそこも凍っていて、やっぱり下り坂で4輪ともグリップを失いました。あわや大クラッシュ・・・・と言う場面でしたが、幸い対向車はなく、30mほど滑ると路面が乾いてグリップを取り戻しました!

こんな有様じゃあ、遅かれ早かれ事故を起こすぞと。まぁ運よく(運だけで)12年半もの間FRのBMWを乗り続けてきました。幸いクラッシュはしませんでしたが、スタックしたことは3,4回では足らず、両手の指の数くらいはやっています。また、前輪のブレーキが凍結して、ロックしたまま走り出してしまい、しばらく走ってから動けなくなっちゃったことも毎冬4,5回は経験しました。

少しずつ経験を積んで、いろいろなトラブルを回避する(または起こらないような運転を心がける)ように努めては来ました。でもね・・・、あまりあれこれ悩まずにササっと出かけたい気分の時ってありますよね。逆に冬はFR車はダメだとあきらめて、ウチの他車(=スバルの4駆)ばかり使えば、ほどなくバッテリーは上がるし、所有する意味はあるのかってことになっちゃいます。

おりしも、懇意にしている宿のお仲間さんに言われたのは”立派な車庫借りてバッテリー外して冬の間は仕舞っておくか、4輪駆動車に買い替えるかしたら!”と。そうなんです、その通り。もう割り切って冬の間は乗らずにお蔵入りさせておくのか、普段使いできる4駆車に替えるのかの単純な2択です。

その単純な2択を前にしてもなお、私の未練がましい気持ちは消えません。エンジン縦置きに6気筒の3,000c.cエンジンを載せたF20型135ⅰは、それは気持ちよく走るのですよ・・・。

お世話になったF20型135i

それでモラトリアムのように愛車を真冬もちょっとだけと言いながら動かしては、怖い思いをする繰り返し。

そんな日々に決定的な出来事が起こります。1月初旬、お世話になっている旭川BMWさんから連絡が入り、見てもらいたいクルマがありますよと。

1. F40型の程度のいいクルマを下取りしました。

⇒ぜひ試乗しませんか。

2. 今の愛車はブレーキがそろそろ限界で、前2輪のディスク交換が必要。

⇒簡単に言ってくれますが、30万円に近い出費です。

さっそくお邪魔してみてみると、1.6万キロしか乗っていないクルマはピカピカ。モデルのグレードは同じで(135ⅰ)、4駆。エンジンは2,000c.cの4気筒になりましたがパワーは概ね同等(トルクは全く同じ)なので、大雑把に言えば4駆になっただけ。ぜひ試乗をと言うことで、促されるままに雪道をドライヴすると、なんと快適なことよ!!!あー、4駆のBMWもいいもんだなぁーと営業さんの思うつぼにはまったわけです。

実のところFRのBMWに乗っていたのは、やせ我慢の部分もありました。後部座席の居住性含むクルマのパッケージ的には圧倒的に不利なFR車を、敢えてその運転フィールを優先させて選んでいる、という自己満足感。さらには今やほとんど無くなってしまった気持ちのいい直列6気筒エンジン。3,000c.cは燃費面でも自動車税面でもコスト高ではあるけれども、それでもこのエンジンしかFR車は選べないから、というこだわり感。とまぁ、そんなミエに囲まれて乗る愛車は、やせ我慢と言いつつもホントに快適(冬以外は)で気分のいいものなのです。

本心では、いくら運転していて気持ちがいいと言ったって、4か月にも及ぶ冬になるたびに心臓が飛び出るような怖い思いをするクルマに、いつまでも乗っていられるわけじゃない、とわかっていました。そこへ飛び込んできた、旭川BMWの営業さんは、およそ全てのことが分かっていたのかもしれませんね。

時に、今回の愛車の乗り換えを機に、他にはどんな車に乗ってみたいかなぁーと少しネットをさまよってみました。一番しっくりくるのはレクサスLBXのモリゾーRRです。4駆でしかもマニュアル車。あのWRCを席巻するGRヤリスと同じエンジンを積んでいます。が、価格も800万円に迫ろうかと言う紛れもない超高級車。

元祖にあたるGRヤリスはどうかと言えば、さすがにレクサスの6掛け程度とは言うものの充分高額である上に3枚ドア。使い勝手は二の次どころか無視と言ってもいいくらいの「走り屋」仕様。やる気満々の時にはこの上ない相棒になってくれそうですが、時にはリラックスした気分で乗りたいケースには、どうしてもミスマッチになりそう。もちろんその価格は、クルマの性能から言ったら大いに抑えられているには違いないのですが、あまりに「走り」に徹したクルマに仕上がっているので、持て余しはしないかと気になります。

アウディの商品群も魅力的ですが、少しばかりお洒落過ぎているような気がします。オジさんの代表のような僕が乗るにはちょっと気が引ける。親戚筋のゴルフRは、これはこれで少々優等生過ぎて、イメージとしての面白みにちょっぴり欠ける・・・。なんて消去法で絞り込まれてくるのは、今回のBMW135ⅰなのかもしれません。
そのBMWも十分高額で、まったくもって背伸びをした買い物には違いないのですが、ディラーの担当営業さんが、あまりに頑張ってくれたので折れたっていう側面も!。

と、いつもにも増してまとまりのないお話になっちゃいましたが、無事、本日納車。替えたからには、大いに運転を楽しみたいです。自動運転になって欲しいなんて思ったことの無い僕にとって、運転すること自体が楽しみなのです。


2024年11月21日木曜日

試乗記です。4代目BMW135iに乗ってみました。

 このタイトルで記載するのは2度目で、前回は2016年の2月でした。今は日本導入の無くなっちゃったアウディS1に、札幌で試乗した時の事でした。

今回はBMW135i。2024年10月に、モデルチェンジされた新型が日本にも上陸して、お世話になっている旭川BMWさんから、新しい営業担当の方のご挨拶と135iに試乗できる旨の案内が来たのです。

私自身のための備忘録的な意味合いの多いこのweblogですので、記憶が混濁しないうちに(と言ってもちょっと調べればわかるんだけど)、大雑把な変遷をメモします。

・BMWの1シリーズ日本導入は2004年9月頃。

・トップグレードの130iを2005年10月にリリース。

・独BMWは2011年6月に新型1シリーズ(2代目)を発表。

・1年遅れの2012年8月、新型M135iを発表。3Lエンジンはターボ化。

  ※この135iの2014年型が、今の私の愛車。

・2019年5月末、ドイツBMWは新型(3代目)BMW1シリーズ発表。

  ※ついにミニとプラットフォームを共有して、FF化!

  ※発表時に135iもラインナップ。エンジンは2Lターボ&4駆。

・2024年6月、独BMWは新型(4代目)BMW1シリーズをリリース。

・2024年10月、BMWジャパンが翌11月に4代目1シリーズを導入と発表。

とまぁ、こんなところがアバウトな流れ。

で、今回気になるのは

2004年発表した初代1型⇒2011年に2代目へ(7年)。

2011年の2代目⇒2019年にFF化して3代目(8年)。

2019年の3代目⇒2024年に4代目(5年)。

となるわけで、4代目の登場がちょっと早くないか・・・、と。マイナーチェンジに留まらず、いっきに4代目導入が気になったので試乗にも行きたくなっちゃった。

さて、さらに僕個人に視点を移すと、初代130iも2代目135iも乗って来た(今も乗っている)身として、やはり北国北海道でFR車は少し辛い。2代目に乗り換えた時、雪道のスタビリティーが大幅に向上していたので、めちゃ嬉しかったのだが、それでもスタックする時もある。さらには前輪だけ凍り付いて、前輪ロックしたまま発進しちゃうこともある(こうなると、もう大変!)。そんなFRのBMWのオーナーにとって4駆を与えられた3代目は非常に魅力的なことでした。

で、どうして4代目の登場が早かったのだろう、という答えは、試乗で感じた範囲だけど

1.インパネ見て、大幅なデジタル化に唖然とした。

2.3代目のボディデザインが、ちょっと野暮ったかったのかな?

  ※4代目は大幅変化でもないけど、とてもクールでカッコいいのだ。

3.FFの乗り味を、早々に洗練させたかった。

  ※3代目乗っていないけど、ちょっとじゃじゃ馬っぽかったらしい。

と、そんな風に見受けられた。そしてたぶんBMWのお家事情やライバル各社の動向などがさらに大きな要因だったと想像するも、そこは想像の域を出ませんよね。


さて、試乗記と銘打つからには、その印象を書き留めておかなくちゃ。まず1点目のデジタル化については、インパネが大きな一体画面になり、ほとんどの操作は僅かなタッチでなされる。ワイパーやヘッドライトの操作こそ従来に準じたメカニカルなものだけれども、室内の温度調整や音楽の音量&ラジオのオンオフなど、すべてスマホ的な操作でコントロールできる(ま、私のような老人には、慣れを要するけどネ)。

でもって、オートマのミッションまでデジタルライクなのだ。もう、ミッションを操作している、という感覚じゃなくて、ボタンでDとかRとかに入れる感じ。たぶん・・・容易に誤操作しそう。クラッチ踏む儀式の向こうに、ミッションを操作するんだという実感は、皆無。

思いのほか静かで、やれセンターライン踏んだとか、もうすぐ踏切だとか騒がないのはありがたかった。高級車に乗るとある、斜め後方から迫るクルマの警告が、さりげなくサイドミラーに注意喚起の点滅があるのがありがたかった。

わずかな時間の試乗なので戸惑っているうちに終わっちゃったけど、何とか運転するのに困るほどではなかったと思う。慣れたら便利なんだろうね。


次に乗り心地。これ、すごく良かった。固すぎずヤワ過ぎず、いい塩梅。エンジンのリニア感も文句なし。2代目の3Lターボに比べると、ちょっと神経質かもしれないけど、充分なパワーもトルクもある(車重ほぼ一緒だから、比べ安い)。アイドリングも思いのほか静か。ただし4本出しのマフラーは、過剰演出だと思う。

3代目の乗り心地が、少しせわしないと噂だったので、そこを早々に改善したかったのかもしれないなぁと勝手に想像してみる。FFのグレードには乗る機会が無かったので何とも言えないけど、FFベースの4駆については素晴らしい乗り心地だった。

唯一気になったのは、ステアリングのレスポンスがややスローだった点。これも想像だけど先代の乗り味が、神経質だとか大人気ないとか、そういう評価だったので、思い切って大人びた印象に持って行ったのかもしれない。エンジンとシャシのバランスから見ると、およそのんびりしたハンドリングで、やる気満々の革巻きのハンドルが浮いていた。

加えて、後席がものすごく広くなった。3代目は未知だけど、初代&2代目と比べたら1ランク別の広さがある。きっとセンターデフの要らないFF車は、さらに広さを実感できそう。また、ハッチゲートの開閉もボタン一つで出来るようになり、両手に荷物もって開け閉めする際には超便利になった。

もう1つ、4代目で良かったなぁと感じたのは、サイズをほとんど大きくしなかったこと。もともとBMWのエントリーモデルであるのと同時に、コンパクトなサイズが売りの1つでした。モデルチェンジを重ねるごとにサイズアップするのがクルマのお決まりのパターンにあって、サイズをキープできたことはホントに素晴らしいと思う。

2代目135i:4340・1765・1430(全長・全幅・全高)に対して

4代目135i:4361・1800・1459(〃)だから、ほとんど大きくなっていない。取り回しに便利なサイズを維持できた点は、大いに評価したい!


さて、いいことずくめの4代目。カッコいいしね。なので、ここは思い切って買い換えますか・・・、なぁーんて展開したいところだけど、そうはならない。何しろ4代目の135iは端から700万円なのだ。2013年当時、2.7Lのポルシェボクスターは600万円だったことを思うと(って、さすがに昔話だけど)、おいそれと手の届くクルマではなくなっちゃった。

BMW旭川さん、試乗に当たってセールスさんが同乗するものと思いきや、どうぞご自由にと!そのまま乗って帰ろうかなと思ったけど、私の2代目(10歳)が人質になっていたのでした。


前回2016年に記した試乗記の時とクルマ選びに関する大まかな視点は変わらない僕にとって、今回の4代目135iはとても刺さるクルマだったけど、プライスだけは絶対に越えられない壁になっちゃった。

その点では、いま日本をけん引する唯一の(と言ってもいいよね)トヨタ、GRヤリスに目が移る。ヤリスもプライスは生半可なものではないにしても、数百万円は低い。もちろん洗練とかオシャレとかは微塵も期待できないかもしれないけど、そこはあまり気にならない私。6速マニュアルだし、2ドアハッチバックと言う不便さを我慢できれば、ヤリス、いいかもしれません。


追記:画像はwebCGさんからお借りしています。


2024年1月27日土曜日

国産ウィスキーが・・・高い!

 もう1か月ちょっと前のこと、久しぶりに映画を見に行った。アニメーション物で「駒田蒸留所へようこそ」という作品だ。ストーリーは震災を乗り越えて、オリジナルのモルトウィスキーづくりに情熱を傾けるオーナー家の末裔(長女)を主人公にした、ビジネス・サクセス・ストーリーだ。

作品は比較的淡々と語られ、うまく起承転結の展開に乗せてあって見やすかった。でも、ややあっさりとした内容で、強く感情を揺さぶるようなところもなかった点が、ちょっと物足りなくもあった。

さて、こういう映画を見ると、往々にしてそのストーリーの核となるものに自分も触れたくなることがある。今回のそれは、紛れもなく”ウィスキー”だ。普段はお酒を飲むと言えばほぼ100%ワインだし、ごくたまに新鮮な魚介が手に入ると日本酒を開けることがあるくらいなのだが、やはりウィスキーを飲みたくなるから映画の力は大きい♬


ウチのお酒の置き場を探し回ると、バランタイン(ファイネスト(一番ベーシックな奴))と、もうずっと昔に出かけたサントリーの蒸留所で買った白州東蒸留所8年の2種類が残っていた。白秋はもう100mlくらいしか残っていない・・・。

タンブラーっぽいグラスもどうにか見つけてきて、オンザロックで2種類を飲んでみる。どちらも芳醇でとてもおいしい!ウィスキーって、こんなに美味しいんだ・・・なんて、相当映画に毒されてる分を差し引いても、たまにはウィスキーもいいな、と感じた。特に白州の複雑な味わいは、とても美味しい。

翌日町内の酒屋さんに行って、いつもは見ない”ウィスキー”のコーナーを物色した。ここ2~3年(もっとかな?)国産(サントリーやニッカ)のウィスキーが高騰していることは何となく知っていたが、実際にプライスタグを見て驚いた。でもって、サントリーの看板商品「山崎」や「白州」は展示なし。聞けば”値段はいくらでもいいからって言っても、入手できないんですよ”と・・・。ぐるっと見回して、ニッカの「余市」を購入することに。6千円でわずかにお釣りがくる価格設定は、相場的には良心的だが、ニッカの希望小売価格は4千5百円だ・・・。一方、かって高嶺の花だったスコッチウィスキーは、信じられないくらいに廉価になっていた。ウチにあったバランタインファイネストは1,500円もしないし、学生時代に憧れだったジョニーウォーカーの黒ラベルでさえ3,000円で手に入る。ニッカの余市が倍の価格だと思うと逡巡してしまうが、映画を見た影響で国産のモルトウィスキーに魅かれた・・・。



その2週間後くらいに、隣町(上富良野町)の大型スーパーでサントリーのグレインウィスキー「知多」を見つけて、これまた買ってしまう(映画の影響は実に大きい)。3,980円(税別)の売価は、サントリーの希望小売価格(4千円)とほぼ同じ。国産ウィスキー入手困難な中で、けっこう良心的な値段だ。

ところで、いったいどうしてこんなに国産ウィスキーが品薄&高騰しているんだろう?サントリーのシングルモルト”山崎”は、ノンヴィンテージ物でさえ、希望小売価格の3倍を超えるプライスタグが、ネット通販でも普通にぶら下がっている。こういう疑問も、ネット全盛の今は情報入手が可能だ。興味本位で調べてみると、面白いことがわかる。
きっかけは2010年ごろにサントリーが仕掛けた販売戦略、”ハイボール”が当たったこと。これで国産(特にサントリー)ウィスキーの消費がアップ。さらに2014年9月から半年間放映されたNHKの朝ドラ”マッサン(ニッカウィスキーの創業者、竹鶴政孝がモデル)”の人気でさらにウィスキー消費が増えたこと。加えて、このころ相次いでサントリーやニッカのウィスキーが海外で賞を授与され、海外でも日本のウィスキーの需要が高まったこと等が原因だ。ちなみにウィスキーは製造から商品化まで10年近い(ものによっては15年、20年・・・)時間がかかり、需要と供給のバランスをとることが難しい。 

 
美瑛に移住する前、会社勤めしていた僕の仕事は商品の生産管理だった。ちょっと小難しい響きがしないでもないが、要は需要に合わせて商品供給するために(作りすぎず、足りなくもない範囲で)、生産計画を練るポジションだ。おおむね半年先の需要を見通しながら、購買部門にパーツの入手などの情報提供をし、詳細のスケジュールは2か月前に確定させて行く(もちろんその後も微調整は入る)。なのでいつも頭の中は2~3か月先読みしていてせわしない。真夏に晩秋のことを思いながら計画を組む作業は、ちょっと気ぜわしいし世間とはズレた感覚だ。まぁデパートのショウウィンドウを見れば、同じような時間感覚で飾られていて、思わず笑ってしまったけれども・・・。で、ウィスキーに話を戻すと、こちらは10年先の需要を見込まないといけない。マッサンの大ブレークを想定して生産計画を組むことは事実上不可能だし、裏を返せば当たらなくても仕方がないとも言える。そう思うと、きっと今は増産に転じているはずだから、今の供給不足と高騰は、2030年ごろには解消すると予想してみる。
国産ウィスキーの人気の原因の一つに、国産の樽も影響している。海外ではホワイトオークが主流の樽だが、日本ではミズナラがほとんど。このミズナラの樽で醸すウィスキーが、芳醇で複雑な味わいになると言うのだ。確かにバランタインよりも白州のほうがより複雑な余韻で美味しかった(気のせいか・・・?)。ここ北海道では、ウィスキーと言えばニッカになるわけだが、僕自身のソウルウィスキーは、白州だ。早く白州が希望小売価格くらいで手に入る日が来るといいんだけどな。あ、そういえば、定価4,500円の”山崎”も”白州”も、この4月から7,500円に値上げらしい。もっとも実売価格ははるかその上を行っているので、当面入手価格は変わらないとは思うけどね。

2023年11月19日日曜日

必要は、発明の母。

 なんでも欧州のことわざらしいこの言い回し。時折、自分の暮らしにピタッと当てはまる場面がある。一番そのプレッシャーにさらされるのは、お客さまからの要望だ。今回は、卵を使ったものを、食べられないというご希望です。

"ふーん"、と軽く流すことはできない。最後に召し上がっていただくデザートには、メレンゲが使われることが多い。アパレイユ(プリンとか)も、当然ダメってことになる。となると、僕の手持ちのデザートは、全滅だ・・・。


いや、ちょっと待てよ・・・。こんな時、こういうレシピをデータベースにしておくと便利なのだが、そういうことに疎い(どうも、のど元過ぎれば・・・の傾向にある)僕は、こういう大事なことを、ちゃんと整理整頓しておくのが苦手だ。

ま、とにかく自分が過去に作ったことのあるデザートを片っ端から思い出してみた結果、ゼリー系のものと、タルトタタンが該当するようだとなった。ゼリー類はこの時期ミスマッチなので辞めるとして、タルトタタン・・・。ここ何年かやってない。でもまぁ、何度もやったことはあるし、ちょうどリンゴの美味しい季節だからやりましょうと決心した。

この決心するまでがとっても大切で、お客さまからのご希望と言う状況が、普段やっていないデザートの再登場を可能にしてくれる。自分自身のデータベースはないけれども、ありがたいことにネットに投げてみると、果てしない事例が見てとれた。

昔やっていた僕のレシピだと、角状の型にリンゴを敷き詰めて行って、お出しするときに型から出して6個に切っていたが、型崩れしやすくてそこは難儀だった。よくある丸型の事例が一番Youtubeにも掲載されているのだが、目を引いたのが小さめのプリン型を使って、1人分ずつ焼き上げてお出しするヤツだ。1個ずつ型抜きするのがちょっと手間だが、型崩れして出すとき再成型する手間(再成型不可能な場合もある!)からは解放されそうだ!

さっそく試作品を作ってみる(いきなり本番でやる自信はないもの)。リンゴの種類を選ぶようだけど、上手くリンゴをあめ色に煮ることができれば、そんなに難しい工程はない。今回は、シナノスィートという黄色いリンゴ(固くて、荷崩れしにくいところがポイントです)を使いやってみた結果、上手く試作できた。リンゴの種類はちょっとした難題で、紅玉(デザートにはイチオシですよね)的な(固さがあって荷崩れしにくく、しっかりした酸味もあるもの)が望ましいけれども、いつもそんなリンゴが手に入るわけじゃない。まぁ、あるものの中から良さそうなものを選びながらやって行きましょう。

シナモンパウダーを加えてしっかりとキャラメル色に煮たリンゴを型に敷き詰めて、その上にこれまたしっかり目に立てたホィップを載せる。赤(苺かな)と緑(今はやりのシャインマスカット!)なんかを添えると、綺麗だよね。


ところでこのお話には後日談があって、すぐ後に4泊するお客様のご予約が・・・。それで、このタルトタタン騒動の時に思い出した、もう一つの忘れかけたデザート、クリームブリュレもやってみようとなりました。実はこのブリュレ、以前にトライした時にどうも完全にモノにできないまま中途半端でやめちゃったので、この機会にレパートリーにしたかったのです。

こちらもネットで予習して、試作して・・・の流れで、何とかなりそうだと判明。ちょっとしっかりバニラビーンズ使って、グラニュー糖でもいいけど、せっかくなので鹿児島の友人からもらったカソナード(サトウキビで作った黒砂糖)で最後のバーナー焼きして・・・。1回バーナーでハデに火傷したけど、こちらもお客様に美味しく召し上がっていただけるようになりました♬

ネットでいろいろな情報入手できる、とても便利な時代になりましたね。しかも動画がいっぱい掲載されているので、細かい(文字では伝わりにくい)微妙な加減もわかります。「よし、やってやろう!」と決心すれば、だいたいのことは欲しい情報が見つけられるのは、すごく便利だなと思いました。本当は、長いコロナ禍の時間をもて余していた時に、手持ちの技術の棚卸をして整理整頓し、何度か試作品にトライしてモノにしておけば良かったんだけど、元来怠け者の僕は、お客さまから条件付けられないとできないタイプのようです。

2023年3月16日木曜日

17回目の冬の終わりに。

はじめて美瑛の冬を知ったのは、確か2006年の1月だっただろうか・・・。美瑛に、愛知県から移住することは心に決めていて、どこに自分の拠点を据えようか、あれこれと(と言っても選択肢は少なかったように記憶する)不動産を物色しにやって来ていた。

胸の中には溢れんばかりの憧れや夢があって、それにまけないくらいの不安や焦燥感にも押しつぶされそうになっていたっけ。何しろほどなく25年勤めた会社を辞す決断はとっくにしていたし、会社勤めしかやったことの無い僕に自営業というものが務まるのかどうか、わずかな自信も、若干の勝算さえも持ち合わせて居なかった。ただただ、やってみたい、行ってみたいと言う気持ちだけに急き立てられて、気が付いたら美瑛町の不動産を購入する契約書にサインをし押印もしていた・・・。

 

けして、人生において大きな決断をたくさんしてきた経験があるわけでもない僕にとって、ここ美瑛への移住は、紛れもない一大決心だった。ささやかながら、それまで積み上げて来た会社勤め人としての、全ての信用を失ってしまう行為であったし、見返りに何かが用意されているわけでもなった。例えば、新たにクレジット・カード1枚作る事さえ、相当ハードルが高くなってしまい、ざっくり言えば無理と言うケースが多いのが現実になった。

 

あの、わけもわからないような一大決心から、17年の年月が流れた。僕は何度か失敗をし、勘違いをし、そしてそこそこ地道に働いて、2017年には共同経営者の出現もあり(むしろ、そちらから強いプッシュを受けて)2軒目の宿泊施設「丘のほとり」をオープンさせていた。多忙だったけれども、いろいろな夢が叶うフェーズにいることに、ちょっぴり酔いしれていたかもしれない・・・。成功者の端くれになったような、勘違いをしていたんだと思う。

そこに、コロナ禍がやってきた。2020年1月、神奈川県で最初の感染者が確認されると、瞬く間に日本中に伝播してしまった。3月、ついに今まで経験のない宿泊者数ゼロ、という月を迎えてしまった。翌4月もゼロだった。緊急事態宣言と称して、旅行はもちろん、移動やイベント開催にも制約がかけられた。未知の病原菌(コロナウィルス)の存在に、日本中がコロナ狂騒曲に怯え切ってしまった。普段楽観的な僕でさえ、この狂騒曲は半年ではとても鳴り止まないだろうと感じた。へたすると1年くらい続くか・・・・。


ところが現実はさらに容赦なく、コロナ禍によるいろいろな規制を受ける日々が丸2年以上も続いてしまう。年間の集客数は4分の1になり、ささやかな別チャネルによる売り上げ増を図るも(パンの販売とか)、あっという間に資金ショートを起こしてしまいそうな状況に陥った。幸い政府の動きは早く、無利子貸し付けや、純然たる補助金(返済義務なし)や、正規雇用している社員に対する助成金などいろいろな支援策(おもに金銭的な支援)を施策として早々に実施してくれた。一部(飲食店などでは)、補助金太りが指摘されるケースもあったけれども、どこかに線引きをする以上、不公平なケースも出来てしまうわけで、そこに大いに不満をぶつけても意味のないことだと思う。とにかく政府の対応に救われた感は否めない状況だった。

 


2022年に入ると、それまで以上に感染者は急増するケースが何度かあったけれども、緊急事態宣言の発令は皆無になった。もちろん手厚かった補助金政策も次第に無くなって行ったけれども、2022年夏以降コロナのワクチン接種の浸透とともに、復活を実感できるほどに国内のお客様の来館が戻って来た。このまま回復基調で推移すれば、コロナ禍前までとはいかないまでも70~80%くらいの売り上げ確保ができるようになり、大赤字から脱出できる可能性が出て来た。

長い(丸々3年に及ぶのか!)のコロナ狂騒曲が、やっと最終楽章に入った様子で、真っ暗だったトンネルの中から、出口の光がはっきりと見えて来た気がした♬自分が精いっぱい働く中で、会社が軌道に乗りつつあることを実感できるのは、素晴らしい体験だと思う。

 

ところが好事魔多し・・・、とはよく言ったものでこんな時に限って、また厄介ごとが転がり込んでくる!2017年に設立した会社の共同経営者が、白旗を上げたのだ。コロナ禍で、なんとか会社を存続させるために、必死で無い知恵絞って、出来る限りの節約に努めてやってきた僕としては、極めて残念な通達だ。

コロナ禍で、会社・自分・共同経営者の3つが、どこも倒産しない状態を維持する必要があった。一番危なっかしいのは紛れもなく会社で、僕自身の老後はかなり心配ではあるものの、ささやかながら年金もいただけるようになり、まぁその日暮らしで繋げるくらいの状況にはある。会社だけは何とかしよう、共同経営者のためにも倒産させてなるものか・・・。そう意気込んで、綱渡りをしてきた。ところが共同経営者が「もう駄目です、資金を回収させてほしい」と申し入れてきた。蓄えの全くないわが社から、数千万円の資金引き上げを要請してきた。もちろん、この時期に無理は承知でのこと。悩みに悩んだ末の申し入れだった。

 

「話が違うじゃないか」と喉から出かかる言葉を、やっとの思いで飲み込む。彼だって、言わずに済むならそうしたかったはずだ・・・。とにかく、会社は急転直下、大ピンチに追い込まれることになった。

コロナ禍を、どうにかこうにかしのぎきった今、もう会社には(そして僕自身にも)、余力はない。共倒れの文字も、ちらちらと浮かんでは消える始末だ。


 
でも、なんだろう・・・?いい解決案があるわけでもないのに、妙に「何とかなる、何とかこの窮地を脱出できる」という予感が、脳裏を駆け巡るのだ。17年前の冬、何ひとつ先のことが見えないあの頃のことを思えば、はるかに知恵も人脈も出来たように思う(貯蓄はないけど)。少し日が長くなり始めた3月1日、大ピンチの真っただ中で根拠のない勝算に麻痺しているのは、どうしてだろう・・・?

そう、とにかくあの夢いっぱい、不安もいっぱいだったあの冬から17年が過ぎた。回り道だらけの17年だったけれども、不思議に根拠のない自信めいたものが背中を押す。移住したのは2007年の早春で、開けた2008年あたりは、たぶん一番(紛れもなく、今以上に!)経営が厳しかった。開業間もない私の最初の宿「四季」は、丸2年を待たずに店じまいするしかないのか・・・、あの頃は本当に追い込まれていた。ちょうどその頃、アンジェラ・アキの歌う「手紙_15歳の君へ」という曲が流れていた。確か歌詞の中に、未来の自分に向かって不安の思いを打ち明ける内容だったな。懐かしい・・・。

 

過ぎて行った日々を、客観的に克明に覚えておっくことは難しい。2007年からの3年間ほど、底なしの不安と隣り合わせだったことを思うと、コロナ禍から立ち直りつつ今は、遥かに気が楽で、ポジティブな気持ちで居られる・・・。何とかなる、どうにかできる、必ず乗り切る、そんな思いが心に中に少しずつ溢れている。まぁ油断はできないけどね♬

2023年2月18日土曜日

ホフマン・ジャイエ、ジルの愛したコート・ドール。

 美味しい道産ワインが増えていると思う。特に白ワインにおいては、かなりのレベルに達して来ていると感じる。味わい、香り、うまみ・・・そういったあれこれが、いわゆるテロワールらしさと共に、うまくワインに結実して来ている。

だから、シンプルに美味しい。道産食材との相性ももちろん、素晴らしいフィット感を味わえる。シャープな酸や深いコクがあるわけではないけれども、綺麗で上品な酸や、香り高い葡萄の味わいが、何とも言えない。野菜やほのかに甘みを宿したホタテの稚貝との相性が素晴らしい。

 


道産ワインのレベル向上は目を見張るものがあるものの、赤ワインにおいてはまだまだ発展途上と言わざるを得ません。と言うのも、北海道では日照時間が決定的に足りない。赤ワインの原料となる黒葡萄(ピノノワールとかメルローとか)がしっかり熟すのに、必要な日の光が十分ではない・・・。それでもここ数年(良いこととばかりは言えないけれども)、北海道の夏も結構暑い。黒葡萄が熟すのには、少なからず貢献しているように思う。その影響もあってか、時折楽しむ滝澤ワイナリーや多田ワイナリーのピノノワールは、間違いなくレベルアップしている♬

 


と書いておきながら、ブルゴーニュワインのお話をしたいと思います。今日飲んだワインは、ホフマン・ジャイエのオート・コート・ド・ニュイの赤ワイン。ブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエの遠戚(お父さんのロベール・ジャイエが、アンリの従兄弟)にあたるジャイエ・ジルのワイナリーで、世代交代に当たり(跡継ぎのないジャイエ・ジルは)、ブルゴーニュへの情熱溢れるスイス人アンドレ・ホフマンへとワイナリーを託すことになります。

もともとジルの醸すワインは、しっかりと葡萄を熟成させたうえでやや凝縮感のあるワインとなっている。4~5万円もするエシェゾーに手を出すわけにはいかないけれども、このオート・コート・ド・ニュイも、たっぷりとしたうまみを内包していて、力強い酸とコクが口の中でどこまでも広がる味わいは、ブルゴーニュの赤ワインの真骨頂と言っていいだろう。シャルロパン・パリゾやロシニョール・トラペなんかも近い味わいだったように記憶する。

2018年1月、ジャイエ・ジルは他界(66歳の若さ)。ワインメーカーをホフマンと若きブルゴーニュ人アレクサンドルヴェルネへとバトンを渡しました。

 


ワインはとても深いコクと共に、まかないのイワシのオーヴン焼きに絶妙なバランス。飲んでいて、とてもハッピーな気分に包まれるのです。そして、ジャイエ・ジルが、ホフマンとヴェルネに託した愛すべき、コート・ドールの黄金の丘。ワインを飲むとそのワインにつながるいろいろな物語が脳裏を駆け巡ります。美味しい・・・と思うと同時に、ジャイエ・ジルの愛したワイン畑が、見たこともない僕の頭の片隅に、像を結ぶのです。