2024年1月27日土曜日

国産ウィスキーが・・・高い!

 もう1か月ちょっと前のこと、久しぶりに映画を見に行った。アニメーション物で「駒田蒸留所へようこそ」という作品だ。ストーリーは震災を乗り越えて、オリジナルのモルトウィスキーづくりに情熱を傾けるオーナー家の末裔(長女)を主人公にした、ビジネス・サクセス・ストーリーだ。

作品は比較的淡々と語られ、うまく起承転結の展開に乗せてあって見やすかった。でも、ややあっさりとした内容で、強く感情を揺さぶるようなところもなかった点が、ちょっと物足りなくもあった。

さて、こういう映画を見ると、往々にしてそのストーリーの核となるものに自分も触れたくなることがある。今回のそれは、紛れもなく”ウィスキー”だ。普段はお酒を飲むと言えばほぼ100%ワインだし、ごくたまに新鮮な魚介が手に入ると日本酒を開けることがあるくらいなのだが、やはりウィスキーを飲みたくなるから映画の力は大きい♬


ウチのお酒の置き場を探し回ると、バランタイン(ファイネスト(一番ベーシックな奴))と、もうずっと昔に出かけたサントリーの蒸留所で買った白州東蒸留所8年の2種類が残っていた。白秋はもう100mlくらいしか残っていない・・・。

タンブラーっぽいグラスもどうにか見つけてきて、オンザロックで2種類を飲んでみる。どちらも芳醇でとてもおいしい!ウィスキーって、こんなに美味しいんだ・・・なんて、相当映画に毒されてる分を差し引いても、たまにはウィスキーもいいな、と感じた。特に白州の複雑な味わいは、とても美味しい。

翌日町内の酒屋さんに行って、いつもは見ない”ウィスキー”のコーナーを物色した。ここ2~3年(もっとかな?)国産(サントリーやニッカ)のウィスキーが高騰していることは何となく知っていたが、実際にプライスタグを見て驚いた。でもって、サントリーの看板商品「山崎」や「白州」は展示なし。聞けば”値段はいくらでもいいからって言っても、入手できないんですよ”と・・・。ぐるっと見回して、ニッカの「余市」を購入することに。6千円でわずかにお釣りがくる価格設定は、相場的には良心的だが、ニッカの希望小売価格は4千5百円だ・・・。一方、かって高嶺の花だったスコッチウィスキーは、信じられないくらいに廉価になっていた。ウチにあったバランタインファイネストは1,500円もしないし、学生時代に憧れだったジョニーウォーカーの黒ラベルでさえ3,000円で手に入る。ニッカの余市が倍の価格だと思うと逡巡してしまうが、映画を見た影響で国産のモルトウィスキーに魅かれた・・・。



その2週間後くらいに、隣町(上富良野町)の大型スーパーでサントリーのグレインウィスキー「知多」を見つけて、これまた買ってしまう(映画の影響は実に大きい)。3,980円(税別)の売価は、サントリーの希望小売価格(4千円)とほぼ同じ。国産ウィスキー入手困難な中で、けっこう良心的な値段だ。

ところで、いったいどうしてこんなに国産ウィスキーが品薄&高騰しているんだろう?サントリーのシングルモルト”山崎”は、ノンヴィンテージ物でさえ、希望小売価格の3倍を超えるプライスタグが、ネット通販でも普通にぶら下がっている。こういう疑問も、ネット全盛の今は情報入手が可能だ。興味本位で調べてみると、面白いことがわかる。
きっかけは2010年ごろにサントリーが仕掛けた販売戦略、”ハイボール”が当たったこと。これで国産(特にサントリー)ウィスキーの消費がアップ。さらに2014年9月から半年間放映されたNHKの朝ドラ”マッサン(ニッカウィスキーの創業者、竹鶴政孝がモデル)”の人気でさらにウィスキー消費が増えたこと。加えて、このころ相次いでサントリーやニッカのウィスキーが海外で賞を授与され、海外でも日本のウィスキーの需要が高まったこと等が原因だ。ちなみにウィスキーは製造から商品化まで10年近い(ものによっては15年、20年・・・)時間がかかり、需要と供給のバランスをとることが難しい。 

 
美瑛に移住する前、会社勤めしていた僕の仕事は商品の生産管理だった。ちょっと小難しい響きがしないでもないが、要は需要に合わせて商品供給するために(作りすぎず、足りなくもない範囲で)、生産計画を練るポジションだ。おおむね半年先の需要を見通しながら、購買部門にパーツの入手などの情報提供をし、詳細のスケジュールは2か月前に確定させて行く(もちろんその後も微調整は入る)。なのでいつも頭の中は2~3か月先読みしていてせわしない。真夏に晩秋のことを思いながら計画を組む作業は、ちょっと気ぜわしいし世間とはズレた感覚だ。まぁデパートのショウウィンドウを見れば、同じような時間感覚で飾られていて、思わず笑ってしまったけれども・・・。で、ウィスキーに話を戻すと、こちらは10年先の需要を見込まないといけない。マッサンの大ブレークを想定して生産計画を組むことは事実上不可能だし、裏を返せば当たらなくても仕方がないとも言える。そう思うと、きっと今は増産に転じているはずだから、今の供給不足と高騰は、2030年ごろには解消すると予想してみる。
国産ウィスキーの人気の原因の一つに、国産の樽も影響している。海外ではホワイトオークが主流の樽だが、日本ではミズナラがほとんど。このミズナラの樽で醸すウィスキーが、芳醇で複雑な味わいになると言うのだ。確かにバランタインよりも白州のほうがより複雑な余韻で美味しかった(気のせいか・・・?)。ここ北海道では、ウィスキーと言えばニッカになるわけだが、僕自身のソウルウィスキーは、白州だ。早く白州が希望小売価格くらいで手に入る日が来るといいんだけどな。あ、そういえば、定価4,500円の”山崎”も”白州”も、この4月から7,500円に値上げらしい。もっとも実売価格ははるかその上を行っているので、当面入手価格は変わらないとは思うけどね。

2023年11月19日日曜日

必要は、発明の母。

 なんでも欧州のことわざらしいこの言い回し。時折、自分の暮らしにピタッと当てはまる場面がある。一番そのプレッシャーにさらされるのは、お客さまからの要望だ。今回は、卵を使ったものを、食べられないというご希望です。

"ふーん"、と軽く流すことはできない。最後に召し上がっていただくデザートには、メレンゲが使われることが多い。アパレイユ(プリンとか)も、当然ダメってことになる。となると、僕の手持ちのデザートは、全滅だ・・・。


いや、ちょっと待てよ・・・。こんな時、こういうレシピをデータベースにしておくと便利なのだが、そういうことに疎い(どうも、のど元過ぎれば・・・の傾向にある)僕は、こういう大事なことを、ちゃんと整理整頓しておくのが苦手だ。

ま、とにかく自分が過去に作ったことのあるデザートを片っ端から思い出してみた結果、ゼリー系のものと、タルトタタンが該当するようだとなった。ゼリー類はこの時期ミスマッチなので辞めるとして、タルトタタン・・・。ここ何年かやってない。でもまぁ、何度もやったことはあるし、ちょうどリンゴの美味しい季節だからやりましょうと決心した。

この決心するまでがとっても大切で、お客さまからのご希望と言う状況が、普段やっていないデザートの再登場を可能にしてくれる。自分自身のデータベースはないけれども、ありがたいことにネットに投げてみると、果てしない事例が見てとれた。

昔やっていた僕のレシピだと、角状の型にリンゴを敷き詰めて行って、お出しするときに型から出して6個に切っていたが、型崩れしやすくてそこは難儀だった。よくある丸型の事例が一番Youtubeにも掲載されているのだが、目を引いたのが小さめのプリン型を使って、1人分ずつ焼き上げてお出しするヤツだ。1個ずつ型抜きするのがちょっと手間だが、型崩れして出すとき再成型する手間(再成型不可能な場合もある!)からは解放されそうだ!

さっそく試作品を作ってみる(いきなり本番でやる自信はないもの)。リンゴの種類を選ぶようだけど、上手くリンゴをあめ色に煮ることができれば、そんなに難しい工程はない。今回は、シナノスィートという黄色いリンゴ(固くて、荷崩れしにくいところがポイントです)を使いやってみた結果、上手く試作できた。リンゴの種類はちょっとした難題で、紅玉(デザートにはイチオシですよね)的な(固さがあって荷崩れしにくく、しっかりした酸味もあるもの)が望ましいけれども、いつもそんなリンゴが手に入るわけじゃない。まぁ、あるものの中から良さそうなものを選びながらやって行きましょう。

シナモンパウダーを加えてしっかりとキャラメル色に煮たリンゴを型に敷き詰めて、その上にこれまたしっかり目に立てたホィップを載せる。赤(苺かな)と緑(今はやりのシャインマスカット!)なんかを添えると、綺麗だよね。


ところでこのお話には後日談があって、すぐ後に4泊するお客様のご予約が・・・。それで、このタルトタタン騒動の時に思い出した、もう一つの忘れかけたデザート、クリームブリュレもやってみようとなりました。実はこのブリュレ、以前にトライした時にどうも完全にモノにできないまま中途半端でやめちゃったので、この機会にレパートリーにしたかったのです。

こちらもネットで予習して、試作して・・・の流れで、何とかなりそうだと判明。ちょっとしっかりバニラビーンズ使って、グラニュー糖でもいいけど、せっかくなので鹿児島の友人からもらったカソナード(サトウキビで作った黒砂糖)で最後のバーナー焼きして・・・。1回バーナーでハデに火傷したけど、こちらもお客様に美味しく召し上がっていただけるようになりました♬

ネットでいろいろな情報入手できる、とても便利な時代になりましたね。しかも動画がいっぱい掲載されているので、細かい(文字では伝わりにくい)微妙な加減もわかります。「よし、やってやろう!」と決心すれば、だいたいのことは欲しい情報が見つけられるのは、すごく便利だなと思いました。本当は、長いコロナ禍の時間をもて余していた時に、手持ちの技術の棚卸をして整理整頓し、何度か試作品にトライしてモノにしておけば良かったんだけど、元来怠け者の僕は、お客さまから条件付けられないとできないタイプのようです。

2023年3月16日木曜日

17回目の冬の終わりに。

はじめて美瑛の冬を知ったのは、確か2006年の1月だっただろうか・・・。美瑛に、愛知県から移住することは心に決めていて、どこに自分の拠点を据えようか、あれこれと(と言っても選択肢は少なかったように記憶する)不動産を物色しにやって来ていた。

胸の中には溢れんばかりの憧れや夢があって、それにまけないくらいの不安や焦燥感にも押しつぶされそうになっていたっけ。何しろほどなく25年勤めた会社を辞す決断はとっくにしていたし、会社勤めしかやったことの無い僕に自営業というものが務まるのかどうか、わずかな自信も、若干の勝算さえも持ち合わせて居なかった。ただただ、やってみたい、行ってみたいと言う気持ちだけに急き立てられて、気が付いたら美瑛町の不動産を購入する契約書にサインをし押印もしていた・・・。

 

けして、人生において大きな決断をたくさんしてきた経験があるわけでもない僕にとって、ここ美瑛への移住は、紛れもない一大決心だった。ささやかながら、それまで積み上げて来た会社勤め人としての、全ての信用を失ってしまう行為であったし、見返りに何かが用意されているわけでもなった。例えば、新たにクレジット・カード1枚作る事さえ、相当ハードルが高くなってしまい、ざっくり言えば無理と言うケースが多いのが現実になった。

 

あの、わけもわからないような一大決心から、17年の年月が流れた。僕は何度か失敗をし、勘違いをし、そしてそこそこ地道に働いて、2017年には共同経営者の出現もあり(むしろ、そちらから強いプッシュを受けて)2軒目の宿泊施設「丘のほとり」をオープンさせていた。多忙だったけれども、いろいろな夢が叶うフェーズにいることに、ちょっぴり酔いしれていたかもしれない・・・。成功者の端くれになったような、勘違いをしていたんだと思う。

そこに、コロナ禍がやってきた。2020年1月、神奈川県で最初の感染者が確認されると、瞬く間に日本中に伝播してしまった。3月、ついに今まで経験のない宿泊者数ゼロ、という月を迎えてしまった。翌4月もゼロだった。緊急事態宣言と称して、旅行はもちろん、移動やイベント開催にも制約がかけられた。未知の病原菌(コロナウィルス)の存在に、日本中がコロナ狂騒曲に怯え切ってしまった。普段楽観的な僕でさえ、この狂騒曲は半年ではとても鳴り止まないだろうと感じた。へたすると1年くらい続くか・・・・。


ところが現実はさらに容赦なく、コロナ禍によるいろいろな規制を受ける日々が丸2年以上も続いてしまう。年間の集客数は4分の1になり、ささやかな別チャネルによる売り上げ増を図るも(パンの販売とか)、あっという間に資金ショートを起こしてしまいそうな状況に陥った。幸い政府の動きは早く、無利子貸し付けや、純然たる補助金(返済義務なし)や、正規雇用している社員に対する助成金などいろいろな支援策(おもに金銭的な支援)を施策として早々に実施してくれた。一部(飲食店などでは)、補助金太りが指摘されるケースもあったけれども、どこかに線引きをする以上、不公平なケースも出来てしまうわけで、そこに大いに不満をぶつけても意味のないことだと思う。とにかく政府の対応に救われた感は否めない状況だった。

 


2022年に入ると、それまで以上に感染者は急増するケースが何度かあったけれども、緊急事態宣言の発令は皆無になった。もちろん手厚かった補助金政策も次第に無くなって行ったけれども、2022年夏以降コロナのワクチン接種の浸透とともに、復活を実感できるほどに国内のお客様の来館が戻って来た。このまま回復基調で推移すれば、コロナ禍前までとはいかないまでも70~80%くらいの売り上げ確保ができるようになり、大赤字から脱出できる可能性が出て来た。

長い(丸々3年に及ぶのか!)のコロナ狂騒曲が、やっと最終楽章に入った様子で、真っ暗だったトンネルの中から、出口の光がはっきりと見えて来た気がした♬自分が精いっぱい働く中で、会社が軌道に乗りつつあることを実感できるのは、素晴らしい体験だと思う。

 

ところが好事魔多し・・・、とはよく言ったものでこんな時に限って、また厄介ごとが転がり込んでくる!2017年に設立した会社の共同経営者が、白旗を上げたのだ。コロナ禍で、なんとか会社を存続させるために、必死で無い知恵絞って、出来る限りの節約に努めてやってきた僕としては、極めて残念な通達だ。

コロナ禍で、会社・自分・共同経営者の3つが、どこも倒産しない状態を維持する必要があった。一番危なっかしいのは紛れもなく会社で、僕自身の老後はかなり心配ではあるものの、ささやかながら年金もいただけるようになり、まぁその日暮らしで繋げるくらいの状況にはある。会社だけは何とかしよう、共同経営者のためにも倒産させてなるものか・・・。そう意気込んで、綱渡りをしてきた。ところが共同経営者が「もう駄目です、資金を回収させてほしい」と申し入れてきた。蓄えの全くないわが社から、数千万円の資金引き上げを要請してきた。もちろん、この時期に無理は承知でのこと。悩みに悩んだ末の申し入れだった。

 

「話が違うじゃないか」と喉から出かかる言葉を、やっとの思いで飲み込む。彼だって、言わずに済むならそうしたかったはずだ・・・。とにかく、会社は急転直下、大ピンチに追い込まれることになった。

コロナ禍を、どうにかこうにかしのぎきった今、もう会社には(そして僕自身にも)、余力はない。共倒れの文字も、ちらちらと浮かんでは消える始末だ。


 
でも、なんだろう・・・?いい解決案があるわけでもないのに、妙に「何とかなる、何とかこの窮地を脱出できる」という予感が、脳裏を駆け巡るのだ。17年前の冬、何ひとつ先のことが見えないあの頃のことを思えば、はるかに知恵も人脈も出来たように思う(貯蓄はないけど)。少し日が長くなり始めた3月1日、大ピンチの真っただ中で根拠のない勝算に麻痺しているのは、どうしてだろう・・・?

そう、とにかくあの夢いっぱい、不安もいっぱいだったあの冬から17年が過ぎた。回り道だらけの17年だったけれども、不思議に根拠のない自信めいたものが背中を押す。移住したのは2007年の早春で、開けた2008年あたりは、たぶん一番(紛れもなく、今以上に!)経営が厳しかった。開業間もない私の最初の宿「四季」は、丸2年を待たずに店じまいするしかないのか・・・、あの頃は本当に追い込まれていた。ちょうどその頃、アンジェラ・アキの歌う「手紙_15歳の君へ」という曲が流れていた。確か歌詞の中に、未来の自分に向かって不安の思いを打ち明ける内容だったな。懐かしい・・・。

 

過ぎて行った日々を、客観的に克明に覚えておっくことは難しい。2007年からの3年間ほど、底なしの不安と隣り合わせだったことを思うと、コロナ禍から立ち直りつつ今は、遥かに気が楽で、ポジティブな気持ちで居られる・・・。何とかなる、どうにかできる、必ず乗り切る、そんな思いが心に中に少しずつ溢れている。まぁ油断はできないけどね♬

2023年2月18日土曜日

ホフマン・ジャイエ、ジルの愛したコート・ドール。

 美味しい道産ワインが増えていると思う。特に白ワインにおいては、かなりのレベルに達して来ていると感じる。味わい、香り、うまみ・・・そういったあれこれが、いわゆるテロワールらしさと共に、うまくワインに結実して来ている。

だから、シンプルに美味しい。道産食材との相性ももちろん、素晴らしいフィット感を味わえる。シャープな酸や深いコクがあるわけではないけれども、綺麗で上品な酸や、香り高い葡萄の味わいが、何とも言えない。野菜やほのかに甘みを宿したホタテの稚貝との相性が素晴らしい。

 


道産ワインのレベル向上は目を見張るものがあるものの、赤ワインにおいてはまだまだ発展途上と言わざるを得ません。と言うのも、北海道では日照時間が決定的に足りない。赤ワインの原料となる黒葡萄(ピノノワールとかメルローとか)がしっかり熟すのに、必要な日の光が十分ではない・・・。それでもここ数年(良いこととばかりは言えないけれども)、北海道の夏も結構暑い。黒葡萄が熟すのには、少なからず貢献しているように思う。その影響もあってか、時折楽しむ滝澤ワイナリーや多田ワイナリーのピノノワールは、間違いなくレベルアップしている♬

 


と書いておきながら、ブルゴーニュワインのお話をしたいと思います。今日飲んだワインは、ホフマン・ジャイエのオート・コート・ド・ニュイの赤ワイン。ブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエの遠戚(お父さんのロベール・ジャイエが、アンリの従兄弟)にあたるジャイエ・ジルのワイナリーで、世代交代に当たり(跡継ぎのないジャイエ・ジルは)、ブルゴーニュへの情熱溢れるスイス人アンドレ・ホフマンへとワイナリーを託すことになります。

もともとジルの醸すワインは、しっかりと葡萄を熟成させたうえでやや凝縮感のあるワインとなっている。4~5万円もするエシェゾーに手を出すわけにはいかないけれども、このオート・コート・ド・ニュイも、たっぷりとしたうまみを内包していて、力強い酸とコクが口の中でどこまでも広がる味わいは、ブルゴーニュの赤ワインの真骨頂と言っていいだろう。シャルロパン・パリゾやロシニョール・トラペなんかも近い味わいだったように記憶する。

2018年1月、ジャイエ・ジルは他界(66歳の若さ)。ワインメーカーをホフマンと若きブルゴーニュ人アレクサンドルヴェルネへとバトンを渡しました。

 


ワインはとても深いコクと共に、まかないのイワシのオーヴン焼きに絶妙なバランス。飲んでいて、とてもハッピーな気分に包まれるのです。そして、ジャイエ・ジルが、ホフマンとヴェルネに託した愛すべき、コート・ドールの黄金の丘。ワインを飲むとそのワインにつながるいろいろな物語が脳裏を駆け巡ります。美味しい・・・と思うと同時に、ジャイエ・ジルの愛したワイン畑が、見たこともない僕の頭の片隅に、像を結ぶのです。

2022年11月12日土曜日

苦節13年目にして、「ゴールド免許」を手に入れる。

この10月、長きに渡って失い続けていたゴールドの運転免許証を取得した。僕が美瑛に移住したのが2007年、ほどなく速度違反で捕まってしまう(2007年8月ころ)。その後も数度、一旦停止無視なんかで半年おきくらいにつかまり続け、2009年の更新時には、愛知県で手に入れていたゴールド免許を失い、青い免許証となった。違反回数も影響したのか、当時の免許証の更新期間がそうだったのか、3年後に更新時期を迎えるも、直前に見通しの良い交差点で、一旦停止無視で検挙されてしまい、2012年の更新時にまたもや青免許に・・・。

 

言い訳以外の何物でもないことは理解しているが、とにかく北海道の僕の住む道北や、少しオホーツク海寄りの道東地方は、速度超過運転になりやすい。広々とした大地、見通しのいい1本道、対向車も先行車もなし。制限速度上限の60km/hで走るのは、正直難しい。ましてや少々急いでいる場合などは、自制するのは不可能とさえ言いたいくらいだ。

あまり違反による罰金を払い続けたくもないし、ゴールド免許のわずかな恩恵も気になるしで、次回こそゴールド免許を!と祈りつつ、次の更新時期(今度は同じ青色免許でも、5年後でしたね)の2017年を待った。更新時期を半年後にしたとある5月下旬の昼下がり、旭川から美瑛に戻る僕は、不意に白バイに追走されてしまう。あっと思った時には白バイがサイレンを鳴らしていた。わずかに14kmオーバーで、また4年半おとなしくしてきた努力もむなしく、この年の更新も青色免許と相成った。あー、もう半年だったのに・・・と歯ぎしりしても、白バイの警察官は非情と言えば非情だ。もっとも、それなら今回だけは・・・なんて展開になるはずもなく(このSNS盛んなネット時代に)、また青免許と5年間お付き合いすることになった。


 
時は流れ、そして迎えた2022年秋のこと。意識していなかったわけじゃないけど、10月早々に免許更新の案内が届いた時には小躍りして喜んでしまった。紛れもなく、更新の免許の種類に「金」の文字があり、講習時間も1時間で終わる旨記載されていた。今は、誕生日の前後1か月(延べ2か月間)で取得できるので、早いタイミングで近文の運転免許試験場に出向いた。5年前と比較したら、ずいぶん人の流れの動線が整理されて、係の方の配備も適正になり、わかりやすく進化していてびっくりした。講習内容は

・あおり運転の禁止。

・高齢者の免許返納のすすめ。

などについて説明があり、時代の流れを感じる。あおり運転については、あおられる前に道を譲ろう、あおられてトラブルになるなんてバカバカしいといった説明もあり、大いに納得する。もともとあおる側の非を声高に非難するケースがほとんどだけれども、場合によっては(いや、けっこうな確率で)あおられる側にも問題はあると感じていたので得心した。もうひとつの免許返納については、僕も他人事ではいられなくなるんだなぁとぼんやり考えた。次回更新時には69歳。元気はつらつとはいかないまでも、問題なく普通に車の運転ができることを願わずにはいられない。


 
ところでこの5年間、安全運転に徹してスピード違反などに十分留意してきたかと問えば、そうでもないというのが本音ではある。小学校時代からの知人に言わせれば、ただ単に幸運だったのであり、奇跡に近いらしいけれども、もうひとつ、捕まらない経験値を身に着けた点が大きい。僕の住む美瑛・旭川・富良野界隈で、どこで違反の検挙の密度が高いかは、少なくない違反金を納めるとともに、再発しないように情報収集に心がけた。加えて、先頭を走るときには、いつにも増して用心した。まぁその結果、晴れて金免許が手に入ったから、結果オーライなわけだけれども、ネズミ捕りをする現場で、多くのレンタカーや他府県ナンバーの車がお縄になっているのを見るにつけ、疑問を禁じ得ない。本当は事故が起きないように注意喚起することが目的のはずだが、いつしか違反金のノルマ(まことしやかにノルマがあるような指摘がされるよね?)達成が短絡的な目的にすり変わっていないことを祈りたい。何しろ楽しみにしてやってきた北の大地で、おまわりさんの「いらっしゃいませ」は勘弁願いたいものだよね。

 


最後になるけれども、運転免許証も数年後(遅くとも4~5年後)には、マイナンバー・カードに統合される可能性があるようだ。当面は保険証との統合からスタートするようだが、早晩運転免許証も加わるということらしい。

このことには、いろいろな(反対の)意見も出ているように認識しているが、個人的には大賛成だ。まずもって、1枚のカードを管理すればいいってところが大きい。ほかにもたくさんのカードを持ち歩かざるを得ない宿命にある私たちにとって(特に、昭和生まれのいいおじさん、おばさん)、地域電子通貨含めてマイナンバー・カード一括管理は、これ以上ないほどの親切なサービスになると思う。個人情報が漏れるとか、知られたくないとか、そんな意見が散見されるが、たぶん、おのおのの個人情報にはあまり価値はないと思われる。ビッグデータとしての総合的な情報はとても必要とされるものに違いないが、そこで気にしているおじいさん、あなたの情報は見えるけど使いませんって!

そんなことより、あれやこれやの脱税をとっ捕まえるためにも、官庁のお仕事のOA化による合理化推進のためにも、ぜひマイナンバー・カードの普及が進んだらいいのになぁと思う。ホンネでいえば、義務化だって異議なしです。

2022年5月29日日曜日

トップ・ガン マーヴェリックを見る。

 

トム・クルーズが主演するこのタイトル映画を、ロードショー初日の5月27日に見た。この映画は昨年(2021年)に公開予定だったが、件のコロナウィルス感染症防止の影響を受けて、1年先延ばしになっての公開となった。

 


諸紙に、あるいは数多のネット上の情報で十分知られている通り、この映画は1986年公開のトップ・ガンの続編になる。36年(当初の映画公開予定からすれば35年)のスパンで撮られた第二作としては、僕の知る限りもっともスパンの空いた続編映画ではないだろうか?

この長スパンの要因は、二つの時代背景的な要因が指摘されている。ひとつは映画の撮影スタイルのCG化が進み、本作のような最新の米軍戦闘機を扱うような映画の場合は、コストの面からも実写がされにくい傾向にあること。さらにもうひとつは、最新の戦闘機のパイロットという役柄を、かなりの部分を実際に演じることのできる俳優が、現実問題いないということのようだ。

けれども1986年に1作目のトップ・ガンでスターに這い上がったトム・クルーズはじめ、撮影スタッフも実写にこだわり、迫力や臨場感を追求した結果、この映画はCGなしのオール実写で撮られることになった。

映画の撮影経費を考えると、空恐ろしくなってしまうけれども、1作目のトップ・ガン公開後には米海軍の戦闘機乗りに大勢の応募があったようなので、広い視点で見れば、社会的には費用対効果はクリアできているのかもしれない。

 


映画の内容に話を移す前に、もう少し予備的なことにお付き合いいただきたい。まず1作目のトップ・ガンでは、戦闘機にF14(トムキャット)が使われた。今回はFA18(スーパーホーネット)が担っている。スペック的な詳細はネット上の情報にお任せするが、最新のアビオニクス(電子航空操縦装置、レーダー含む)に包まれたホーネットと、まだアナログのスイッチ類満載のトムキャットを比べると、外観こそどちらも双発の美しくさえ見える戦闘機ながら、そのポテンシャルの差はけた違いだろうと思われる(実際そうなのだが)。しかも、大変ありがたいことに、今や全機が退役した中で、映画のシーンにはF14がしっかり登場する。両機の飛行シーンを存分に満喫できる点も、間違いなくこの映画の魅力の一つだと思う。これらの複雑な操縦手腕が求められるタイプの違う戦闘機を曲がりなりにも扱いながら撮影をこなしたわけだから、トム・クルーズはじめ出演した俳優陣は、想像を絶する訓練を積んだに違いない。

操作もさることながら、スーパーホーネットは、8~9Gというものすごい重力場をものともせずに飛行する。その時の表情(顔のゆがみや、重力場に苦痛を訴えるさま)を実写することで、先に記した臨場感を最大限引き出した映画に仕上がっている。

映画の1シーンで俳優陣がビーチでフットボールに興じるシーンがあるのだが、みな鍛え上げられたボディで、実写が噂だけではないことが伝わってきた。

 

さて、あれやこれやと書きたいことがいっぱいで(これでも控えめにしたつもり!)なかなか映画の内容にたどり着けなかったが、いよいよそちらのことにも触れておこうと思う。

まず、いわゆる「いい映画だったかどうか」という点で、星5つ(満点)を迷うことなく差し上げたい。ストーリーは36年前の前作からつながる、少し複雑なものだ。ただ、前作で戦死した主人公の同僚の息子が、今度は現役のパイロットとしてトム・クルーズ(マーヴェリック役)の相棒を務めることになる点だけ押さえておけば、あとはすんなり展開についていくことができるはずだ。

前作で出演した時のトム・クルーズは、売り出し中の23歳。そしてロマンスのパートナーだったケリー・マクギルスは28歳だった。ケリー(チャーリー役)は、アメリカ人女優らしいゴージャスな雰囲気で、トム・クルーズとのキャストにはほれぼれしたものだ。36年後の今、ジェニファー・コネリーが新たな相手役を務めている。そして今回のこの二人が、またいい感じなのだ。50歳代という設定で、まだ枯れてはいないけれども、もちろん燃え盛るような恋人同士でもないふたりが、ゆっくりと心を許しあって行く。激しく愛し合うシーンは無い。慈しみあいながら昔話を語りながら寄り添う二人が素敵としか言いようがない。

もちろん一番の見どころの戦闘機の激しい攻防シーンなしにはこの映画は語れない。実写にこだわったトム・クルーズの意地が、全編にみなぎっている。まるで戦闘機のコックピットに閉じ込められたかのような臨場感がひしひしと伝わってくる。CGでも、もしかしたら近い映像は撮れたのかもしれないなぁと思わないでもないが、この映画は「実写です」という事前情報とともに見ているので、どうしても凄い!と感じてしまう・・・。

 

最後に、この映画は広義では戦争映画の範疇に入るかもしれない。少なくとも、戦闘シーンはけっこうある。戦争して勝利するということは、敗戦して命を失う相手がいる、ということでもある。だから、戦争映画のヒーローを、安易に崇める態度には疑問を抱いてしまう(特に近年の設定だと、一層)。トップ・ガンにおいても、生身の敵が大量の血を流しながら果てるようなシーンはないが、明らかに絶命するシーンはある。奇しくも2022年は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった年。現実では性懲りもなく私たち人類は、殺戮を繰り返している。アメリカは、ベトナム戦争の昔から、いや、第一次大戦のはるか昔から、ずっと殺戮に手を染め続けてきた国だ。今やその恩恵にどっぷりつかりきった日本で、何が言えるとも思えないが、やり方はさておき、自由と民主主義を守り続けたアメリカの歴史は、真っ赤に血で染まっている。そしてそれは、アメリカなりの矜持があり、その正義はこの映画の中にも貫かれている。

2022年5月9日月曜日

宿屋を始める彼らへ

 4年ほど前、この美瑛に和食でおいしい料理を提供するお店が、千代田の丘のさらに奥のほうに新規オープンした。もともとカフェ系の多い美瑛・富良野にあって、和食のしかもなかなかに美味しくて価格もリーズナブルなお店は重宝したので、何度か通った。いつも温かく迎えてくださるご夫妻のもてなしも心地よかった・・・。

その彼らが、このコロナ禍の影響もあって飲食店では立ちいかず、閉店して宿泊施設に転換するという意思表示をお伺いしたのは2021年の秋も深まるころ。正直なところ飲食店の経営に関して詳しいとは言えない僕にとっては、比較検討の難しい判断に違いないのだけれども、”相談に乗ってほしい”と言われて、とりあえずお話だけ伺うことにした。なんでも、飲食店の客単価の低さをどうにもできないご様子で、場所も確かに辺鄙なところでもあり、レストラン経営には不向きと思われているようだった。立地だけで考えれば、確かに飲食より宿泊向きだと言えなくもないが、コロナ禍でどちらが強いかと言ったら似たり寄ったりじゃないかというのが私個人の印象だ。むしろ幾ばくかの補償体制が手厚い飲食のほうが、今のご時世いいんじゃないだろうかとさえ思えたのに加えて、宿泊業の初期投資の高さを思うと(増してやウッドショックで木材が暴騰してもいるし)、しばらく(2~3年くらいは)見送ったほうがいいんじゃないかとお伝えした。

時は流れて年が明けて間もない頃、やはり宿泊施設への転換を決断し、資金繰りと業者さんへの手配をおおむね完了したと言う。おっと、もうやっちゃったんかい?と少々慌てるも、他人様のことではあるし、余計な口出しが許される範囲は限られると口をつぐんだ。とは言うものの、気になることは山ほどあり、リニューアルのための工務店さんはどこにしたのだろう、お部屋のレイアウトはどうか、調度品は何をどうそろえるんだろうなどなど果て無く思い浮かぶことはあった。

さらに時は流れてこの5月の連休の最中に、出来上がったので見に来て欲しいと再々要請が入る。無下に断る理由もないので、GW明けの今日スタッフ一人も連れて、カミさんと3人でお邪魔した。工務店さんは旭川の芦野組さんとのことで、手堅いところに依頼したなぁと感心する(実際に客室の出来栄えは、素晴らしいと感じた)。がしかし、いざ宿泊施設で経営となると、けして熟練者とは言えない僕でも、先達として気になることがたくさん思いついてしまう。価格のこと、食事のこと、おもてなしのこと・・・。どうやら彼らがモデルにしている宿泊施設があって、そこに準じたスタイルで始めようとしていらっしゃるようなのだが、そう上手く運ぶといいのだが簡単ではないだろう。ダブルブッキングのことなどを気にしていらっしゃったけれども、オープンしたばかりの宿屋さんにとって、ダブルブッキングなんて嬉しい悩みで、まずは何よりも集客を優先させなければならない。少々告知が遅れたとのことだけれども、先々まで入っているご予約は、ごく僅か。しかもそのうち1件は、数日前にキャンセルされたと言う。

とにもかくにも、もう設備投資はしてしまったので、後戻りはできない。もし戻れたとしたら、せめてここだけはと言いたい点は数あれど、それはタラレバになっちゃうので言葉を飲み込んだ・・・。今彼らに一番足りないのは、”お客様目線”ではないかと思う。自分たちはこの価格でないと困る(あそこもこのくらいだし)。あるいはこういう使い方をしてほしい、等々すべては自分目線で始まってしまっている。そこに滞在するお客様の目線になって、もう一度再検討してもらえたらなぁと強く感じた。

かく言う僕自身も、コロナ禍で大苦戦していた経営状態から、少しでも早く脱出できるようにと設備投資を重ねてきた。一番力を入れたのは、せっかくある広い庭の使い勝手の工夫だ。見晴らしもいいので、お客様に朝食を召し上がってもらうのに、オープンテラスで、なんてどうだろうとパーゴラ建てたり、パラソル立てたりあれこれやってみた。さらにはラズベリーやサクランボの木を植えて、お客様自身がそれらを摘んで召し上がっていただこうとも画策中だ(実が採れるようになるには、3年くらいかかりそうだけど)。曲がりなりにも”お客様の気持ちになって”考えたつもりだ。このGW中にご利用いただいたお客さまからもご好評をいただいたので、これからご滞在くださる皆さまにも、ぜひお使いいただけたらと願っている。

それにしても、新しく宿泊業をはじめる彼らのことを思うにつけ、自分は運がいいなぁと感じないではいられない。それは、スタッフはじめ、的確なアドバイスや価値ある情報を提供してくれる取引先さんに恵まれていたことだ。たとえ僕が今よりはるかに優秀なオーナーだったとしても、一人で思いつくことやできることなんて限界がある。いろいろな人から多面的な話・情報を得ることができれば、判断はどんどん進化する。僕が今やっていることすべてが概ね正解とは言えないと思うけれども、それでもリピーターさんの多い宿屋のオーナーになることができたのは、偏に「人」に恵まれていたからんだと、今回改めて気づかされた。

さしておすそ分けは出来ないけれども、新たに宿屋業にシフトする彼らにも、どうか成功して欲しいと祈りつつ・・・。