先に結論を言ってしまうと、「賛成」です。僕のような宿屋業をなりわいとする身にとって、民泊はどうなのだろう?端的に仕事の奪い合いみたいになって、歓迎しないと一瞬思ったこともありましたが、今はとてもいいと思うようになりました。
その一番の理由は、ここ数年の爆発的なインバウンドの増加です。もともと日本のインバウンドの推移は、300~400万人くらいで毎年わずかに増える程度でした(1995~2001年くらいまで)。この微増傾向に、おおいに刺激を与えたのは2002年の小泉内閣(一次)に発足した観光庁のビジットジャパン戦略です(戦略そのものは2003年より)。
http://www.mlit.go.jp/common/001119572.pdf
観光庁の資料にある通り、以降リーマンショックや大震災の影響で足踏みしながらも、インバウンドの増加傾向は加速。2013年には1,000万人を超えて、なんと2016年には2,400万人を突破しました。15年ほどで6倍にも増えた訪日外国人を受け入れる宿泊施設が足りなくなってしまうのは、数字からも明らかです。この5年間だけでも3倍(300%)という激増ぶりです。
さらに2020年には東京でオリンピックを開催することで、この年をピークに政府は4,000万人のインバウンドを実現させるよう戦略を練っています。計画通りにコトが運ぶかどうかはわかりませんが、少なくとも増加傾向はしばらく続くと考えられます。
さて、その受け皿となる宿泊施設ですが、私の経営する様な小さな宿(宿泊数10人くらいの)が増えたところで、1千万人単位で増える訪日外国人の受け皿となるには焼け石に水と言わざるを得ません。大型の宿泊施設はどうかとなると、立地の問題が大きく立ちはだかる上に、初期費用も半端な額ではないために、インバウンドの増加と並行して追いつくほどに建設されるはずもありません。となると既存のモノで代用する民泊は、案外理に適っていると思えるのです。さらには市町村が所有する、集合住宅も選択肢になるかもしれませんね(いろいろ課題もありますけど、利用価値は高そうです)。
また、古くは(参考にならないかもしれないけれども)前回の長野五輪の時に激増した同県内の建物(競技会場もそうですが、宿泊施設も!)が五輪の閉会とともに過剰となり多くの施設が廃墟となったり、閉鎖して解体したりと憂き目に合った。結果だけを見て「見通しのない過剰投資」というのは簡単だが、それぞれにそれぞれの必然があった可能性だってある。このサイトの3番目↓
https://matome.naver.jp/odai/2139218754669500801
順番に倒産に追い込まれて行くさまは目も当てられない悲しい状況だと思うけれども、そうなる過程では、他の多くの健全な施設でさえも危機にさらされていたはずだ。
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厚生労働省のwebsiteより |
そんなわけで、僕個人としては大型の(過剰な)箱(ホテルや旅館)をじゃんじゃん建てることには賛成しかねる、という判断です。それでもインバウンドが増えるから、ルールをしっかり整備して、民泊をやったり空室の目立つ公団やら市営住宅やらを活用したりがいいと思うんですよね(浅はかかな?)。
補足ですが、インバウンドの増加に政府が舵を切っているのも、ある程度理解しています。これも総論賛成、各論はちょっと・・・みたいなことになるかもしれませんが、国内の人口動態を見たら、衰退ぶりは雪崩を打って起きているとしか思えません。
総人口は緩やかに減っている、というのが現状ですが、その中身たるや65歳以上の老人(65歳でも老人とは言えないほどに活力のある方も増えてはきましたが)が激増中で、その下の年齢層は猛烈に減っている。
生産人口と言える15歳から64歳もがくんと減り、さらに将来労働人口になるであろう19歳以下の人口推移たるや目を覆いたくなるほどです。1億2千万人の日本の人口の中身は、年々歳々「年寄りばっかり」の1億2千万人に変貌しているわけです。厚生労働省の資料↓
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf
その抜粋です。
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厚生労働省のwebsiteより |
こうなると、ビジネスの先細りは必至。というわけで、政府としてはインバウンドのもたらす経済効果に活路を見出そうとしているのはある面当たり前なのかもしれません。僕たちのなりわいを考えるうえでも、国内のビジネスなら老人向け、そうでなければインバウンドへ訴求するようなビジネスに強いて言えば活路があるのかなぁと感じています。
できる、そしてやるんだと決心せよ。方法は後から考えればいいんだから。
と、この言葉にどれだけ背中を押されたか数えられない。有名なエイブラハム・リンカーンのそれこそたくさんある名言のうちのひとつだ。そもそも・・・言っていることには無理がある。こんな道理がまかり通れば、何だってできてしまうではないか。
およそ150年少し前のアメリカで、たぶんそんなことはリンカーンもわかっていたはずだ。それでも・・・、やると決めればできる。方法は後から見つけるんだから、と言い放つだけの何かがあったんだと思う。
科学においてはタブーに違いないのだけれども、科学ではないいろいろな日常の場面で、いかに「できない」ことが多いんだろう・・・?そのことをつぶさに見ていたリンカーンは、やるぞ、と決心することが足りないなぁと見抜いていたんだろう。ともすると「できないよ、なぜかと言うとね」なんて出来ない理由さがし(言い訳)ばかりがうまくなっていたりする。それは押し付けられた中で発するウチは、好きなだけ言ったらいいさ、ということもできるだろう。でも、まさに自らその場に舞い降りた立場なら、出来ない理由なんか探し回っている場合じゃない。それこそ方法なんてなんだっていいから、とにかくやるしかない、と言うことだろうと思う。
当館「四季」にもおよそ10年の歳月が流れました。今になって来た道を振り返ってみると、まさに「できると信じて」いなければ、到底続けられないような日々が多かったような気はします。
現在(2017年3月17日、午前4時半)気温はマイナス4℃。ちょっぴり長い冬も、どうやら峠を越し、長くなった日が春の到来を告げています。2007年4月に、フェリーで名古屋港から苫小牧に降り立った日が昨日のことのよう・・・。別段10年という節目に感慨深くなるわけでもありませんし、10周年記念イベント、なんてことも計画しておりません(なんと、企画力のない!?)。10年は(たぶん15年も)、ひたすら続いて行くうちの通過点のように感じています。明日またここで、美瑛に、「四季」にいらっしゃるお客様がいる・・・そのことが5年先のことはわからないけれども、明日は続く(そしてあさっても、来週も続く)。この継続していく感覚が、なんとも嬉しい・・・。お客様だって飽きることはあるんじゃないかと考えるし、やっている自分たちだって「もういいや」と思うことが無いとは言えない。そうだけれども、それでもやっぱり美瑛が好き。黄色やオレンジを大地にぶちまけたような秋色の北海道は、毎年のように惚れ惚れするほどに美しいし、銀白の丘がブルーやオレンヂに染まる真冬の大地はすがすがしいばかり。4月末からハウスものが出回るアスパラを食べると、つくづくおいしいと思う。
とまぁ、なんだか回想ばかりが続くわけですが、去る13日に、10回目になる確定申告を終えました。1万円に届かないながら、開業してはじめて「所得税」なるものを支払いました。あ、そう言えば消費税を今月中に納めなくちゃね・・・(これはけっこうな負担ではあるけれども、ちゃんとしないとね)!で、所得税なんですが、昨年もちょっぴり支払うことになるだろうなぁと思っていたんだけれども、払わなかった(そこまで所得が出ていなかった)。ちょっと不思議な言い方かもしれないけれど、残念!って感じた。見栄はって、「所得税払ってます」って言いたかった・・・。今回はそれをリベンジできたカタチで、やっと(って誇張して言うほどの額でもないんだけれども)ちょっぴりの所得税を払って、ほっとした。
「四季」が営業を始めた2007年、所得税を払うという将来像は、ほとんど見えていなかったと思う。仕事を手にする(=ウチの場合は集客する)ということの難しさを、何年も思い知らされる時間が続いた。何を続けて何をやめるか、とにかく今のままじゃダメだなぁという感覚が、数年間はあった。
結局のところ、これが良かった的な決定打はなかったけれども、地道に自分の「好き」を可能な範囲で育むことが出来たことが、いつしか経営好転につながって行ったのは紛れもない。まぁ自分たちにはそれしか選択肢はなかった、ということも事実だけれども、続けられたことには感謝しか思いつかない。
来年もまた、所得税が払える程度にはがんばりたい。いつか「所得税をこんなに納めなくちゃいけないなんて、たまりませんよ」とかなんとか言えたらいいなぁと、今は思うけど・・・、そういう立場にホントになったら、まっぴら御免だと思うのかもしれないですね!
新年度が、まもなく始まります。「四季」にもまた、新しい年度がやって来ます。初心に帰って襟を正して、背伸びしないで・・・2017年度もいい年だったなぁにできますように。