2017年11月10日金曜日

小さな街で暮らす・・・、実店舗とどう付き合う?

愛車の冬タイヤ(スタッドレスタイヤ)への交換に際して、いろいろ思わされることがあったので、また自分に(もしかしたら読んでくださる方への参考程度に)メモを残しておこうと思います。

今年の春、新しい仲間として迎えた車の冬タイヤの準備はおおむね以下のような流れで、たぶんスムーズに完了できる腹積もりでした。
1)街のモータースにタイヤの見積もり。
2)可能な範囲で価格交渉後、タイヤ(&ホィール)発注。
3)そのモータースでタイヤ交換。
※タイヤ代金に加えてタイヤ交換賃とタイヤ預かり費も支払う。
以上だったのですが、いきなり最初の(1)で躓きます。ある程度は覚悟していたものの、ちょっと驚くほど見積額が高い。価格交渉と言ったって、何割も引いて欲しいと言うのも無理があります。実は、できれば街の実店舗でなるべくモノを買うようにしたい、と思う気持ちは強い(ホントですよ、ってわざわざ書くところが眉唾ものかもね)。巷には、ネット販売で、価格だけを見れば安価に商品が手に入るチャンスがたくさんありますが、ネット販売はどうしても売りっぱなしになる傾向です。実店舗がないから、経費(店舗を借りたり、そこで発生する光熱費や人件費など)が格段に抑えられるわけですから、同じにしろと言うのは野暮だと思うんです。買った後に起きる大小の不具合や、発注サイドの(つまり今回で言えば僕自身の)ミスも含めて、ネットと実店舗ではアフターフォローも差があります。それで私が密かに思っているのは、
・ネット価格の1割増し→良く出来ました。
・同15%増し→妥協点でしょうね。
・同20%アップ→許容の上限です。
・同20%以上上乗せ→残念ですがネットで買います。
おもに家電品なんかはどうしても比較してしまいますが、街の電気屋さんには無くなって欲しくないですし、いざ、という時には頼りにもなります。昨年購入後2年で掃除機に不具合が発生した時には、修理完了まで展示品を貸して下さったり・・・。こういうことってネットでは願うべくもないことですから、単純に価格だけでは決められない部分です。

で、タイヤ(&ホィール)に戻ります。今回は35%アップくらいの見積もりで、ここから2割くらいは引いて欲しいと言うのも勇気が要るし、もしそれが叶えられたらそもそも見積もりはなんだったの・・・と疑心暗鬼になってしまう。どうしたものかと小さな頭を悩ませ、薄い胸を痛めながら考えること5日(もう雪が積もり出すぞ!)、価格交渉をすることなくネット(カーポート、マルゼンさん)で調達することにしました。

タイヤを届けてくれた宅配のお兄さん曰く「みんなここでタイヤ買ってるよね。僕何セットも届けてますよ、もう」と・・・。やっぱりそうな んだと思いつつ、愛車のトランクにタイヤ4本お兄さんと一緒に積んで、モータースへタイヤ交換をしてもらいに行きました。

するとモータースの社長が、「タイヤ交換はやるけど預かりは勘弁願いたい。ウチも保管場所には限りがあるので、自分で調達したタイヤは自分で保管下さい」、と言うのです。僕のホンネは、交換は自分で出来ないこともないが、タイヤの保管は場所を取るのでそこを何とかしていただけないものかと思ったものの、今回はつべこべ交渉せずに夏タイヤを引き取って帰って来ました。
ちなみにモータースの社長がおっしゃるには、ウチの仕入れはネットより高いので勝負にならない。せめて車検などを常にウチに出してもらえるとか、オイル交換はウチでやらせてもらえるとか、そういうお客様のタイヤは預からせていただきたい、と言っていました。であれば逆にそのあたりを交渉のテーブルに事前に置いて、社長さんと私との間で妥協点を探れたんじゃないかなと・・・、実際に車検やオイル交換でお世話になっているんだから!
ただ今回の愛車は、購入時に5年間の点検費用のうちの消耗品(おもにエンジンオイル)分の格安前払いパックで済ませてしまったので、旭川のディラーに行かなくちゃいけないだなぁ・・・。ディラーさん(ウチはスバルです)も囲い込みに余念がありません。

 

本屋さんの実店舗の減少に、歯止めがかからないと言います。日本著者販促センターの集計による表をお借りします。これって活字離れに加えて、まるっきりネット販売に替わっちゃってるからだろうなと・・・。文具屋さん、家電屋さん、CDショップ(DVDだけど)などなど、実店舗の経営が厳しいのは周知です。でも、実店舗の有難みはかけがえのないもの・・・。
価格差との折り合いをどうつけるのか、できれば実店舗を経営している方のお話をじっくり聞きながら、考えて行きたいです。ちなみにここ美瑛の家電屋さんは、いろいろ試行錯誤をされながらがんばっていらっしゃいます。もちろん価格ではネットには届きませんが、ソフト的なサービスには抜かりがない。やるなぁ!

うーん、街の実店舗とどうお付き合いして行ったらいいのか・・・、悩む。

2017年10月30日月曜日

母の死・・・、少し「書く」と言うことに慣れよう・・・。

この1年、たった10記事程度しかブログを更新できませんでした(ごめんなさい、ってあんまりアテにされていないとは思うんですが)。とにかくゴールデン・ウィークが始まる頃からなんとなくそわそわして、「書く」ということに集中できなくなる(大したこと書いているわけでもないのに)。
まがりなりにも宿屋業をなりわいとしている身にとって、繁忙期(と言うものがあること自体、ありがたいことなのです)に向かうシーズンは、決まって準備不足が露呈して、その埋め合わせに予定外の時間を取られたりもする。それに加えて日に日に速度を上げて変わる季節への対応や、ありがたい予約の控えを台帳に整理したりと、けして器用とは言えない僕にとって、ちょっとした固まった文面を仕上げるのはハードルが高い。

他方、書きたいことはけっこうある。それがこちらに来て読んでくださる方の「読みたいモノ」とイコールであるはずがないのだけれども(ニア・イコールであることを願ってはいます)、それでもお伝えしたいようなことは些末なことが多いとはいえ、いっぱい・・・。というわけで、もう少しコンスタントに(頻度高く)ここに書くことができるように、まずは書くことに慣れて行こうと思う。
それで、今回は比較的書くのに難しいことを考えなくてもいい(感覚的に書きやすい)テーマを選んで書き記しておこうと思う。というわけで習作っぽい(って全部習作なんですけどね)感じになっちゃいますがご容赦ください。

で、今回は母の死です。昨年(2016年6月に)父が他界しました。誤嚥(うまく食べ物を飲み込めなくなること)になってから、だんだん弱って行って、静かに死を待っている様な感じだったから、いよいよかな・・・という雰囲気だった。
一方先々週(2017年9月下旬)に天に召された母は、なんの予兆もなく突然に逝ってしまった。死亡診断書に書かれた「心筋梗塞」という4文字が、目に焼き付いた。1年ちょっとの間にたて続けに両親を失くしてしまうのは、もちろん予想だにしなかったこと。悲しいと言えばもちろん悲しいんだけれども、母がいなくなってしまったその事実をうまく消化しきれない自分がいるというのが今の偽らざる気持ちです・・・。
母は、2012年あたりから、認知症が顕在化して来て当時要介護「3」の父とふたりで暮らすのには無理が生じて来ました。母の強い意志もあって、母だけを私のいる北海道へ愛知県から連れて来たのが2014年。まだ雪の残る浅い春、母の居宅をわずかに残った当館「四季」の一角に建てて、母の北海道暮らしが始まったのでした。もちろん3度の食事は私の妻が用意してくれたし、洗濯だって、掃除だって、母がやると言うことはなくなって来ていたし、物忘れのひどくなった母にはどれも難しいことでした。
残念ながら認知症は少しずつ進行し、自分の名前を書くことさえ難しくなってしまう母との暮らしは、毎日見ているがために昨日と同じと感じるものの、1か月前・半年前と比べたら確実に記憶と言う大切な脳の機能が破壊されて行く母がそこにはいたのでした。

私と妻は、少しずつ記憶で保たれていた部分のお行儀と言うかマナーと言うか、そういうことがまともに出来なくなる母に手を焼き、時には無駄と知りながら激しい口調で接したことも少なからずありました。
けれども母が好きな食材を見つければ優先的に購入して食べさせ、最後まで覚えていた唱歌(りんごの唄、みかんの花咲く丘、おぼろ月夜、茶摘みなどでした)を毎日のように一緒に歌い、紙風船を突きながら時間を過ごしたりしました。

2017年夏(7月初旬)、それまで週に4~5回お世話になっていたディ・サービスに、一番の繁忙期の間(体育の日まで)、ショート・ステイ(ロング・ステイというべきか)としてお世話になることで行っていた母。たまに「下着が足りないから持ってきてください」とか何とか言われて施設に行って見ると、感情の高ぶりがあったり無かったりはするものの元気だった母。
9月も下旬になったその日、突然のお客様からのキャンセルで時間のできた私たちは、母を一時帰宅させてもらって一緒に昼食を食べ、紙風船で遊び、唄を歌い、もうすぐ帰って来るんだよと言いながらまた施設に送って行ったのは、9月25日。家内と「帰って来ると大変だね」と悪口を言ったりしていた矢先、翌26日夜7時45分頃、昨日まったくどこにもそんな気配のなかった母が「心肺停止状態ですので・・・」との電話。あわてて、お客様のための料理を出したり食べ終わったお皿を返したりしていたエプロン姿のままで施設に駆け込むと、母は顔面蒼白で、人工呼吸器をつけられて心臓マッサージをしてもらっている真最中。大声で「お母さん」と呼ぶも、「近づき過ぎないでください」と救急隊員の方に言われて(蘇生作業の邪魔になるので)我に返ったのも束の間、午後8時23分に死亡診断書が発行されました。

たぶんまだ5年以上は元気なんじゃないか(脳の記憶領域以外は)と信じていた僕らにとって微塵も想定していない母の死でした。
私は勝手に想像してみます。たぶん母はしばしの間、正気に還ったのだろうと。そして自身のあり様を思って、もうこれ以上生き続けるのはやめようと思ったんじゃないかと・・・。もちろんそんなことはあるはずがないのですが、そう思えてならないのです。
認知症、文字にすればたかが3文字のその病は、少しずつ、でも確実に人となりを壊して行きます。きっと母はその現実を受けとめることが出来なかったのだろうと思えるのです。僕は認知症の母にどのくらい正面から接して、それをしっかり受け止めることが出来たか、と自問すれば、極めて怪しいと言わざるを得ません。

自分自身、母の死とともに「認知症」に対して非常に恐怖心を抱くようになりました。年をとるということは、昨日出来たことが出来なくなること・・・。そしてその中には昨日は記憶出来ていたことが、出来なくなること、も含まれることでしょう。それは実生活の中であちこちに支障が出て来ることと同時に、絶対に忘れたくない大切な想い出を失っていくことでもありますね。そんなことに耐えられるのだろうか、自分は?

いつしか消えてなくなってしまったはずの母が傍らに来て、小さな声で、でもはっきりとささやきます。「今はとにかく精一杯暮らす。それしかないよ」と。

2017年9月26日、夜8時23分。母死去。ありがとう、今になってあらためて母へ感謝する気持ちを噛みしめています。

2017年3月18日土曜日

民泊・・・、その是非に関する個人的なこと。


先に結論を言ってしまうと、「賛成」です。僕のような宿屋業をなりわいとする身にとって、民泊はどうなのだろう?端的に仕事の奪い合いみたいになって、歓迎しないと一瞬思ったこともありましたが、今はとてもいいと思うようになりました。

その一番の理由は、ここ数年の爆発的なインバウンドの増加です。もともと日本のインバウンドの推移は、300~400万人くらいで毎年わずかに増える程度でした(1995~2001年くらいまで)。この微増傾向に、おおいに刺激を与えたのは2002年の小泉内閣(一次)に発足した観光庁のビジットジャパン戦略です(戦略そのものは2003年より)。
http://www.mlit.go.jp/common/001119572.pdf

観光庁の資料にある通り、以降リーマンショックや大震災の影響で足踏みしながらも、インバウンドの増加傾向は加速。2013年には1,000万人を超えて、なんと2016年には2,400万人を突破しました。15年ほどで6倍にも増えた訪日外国人を受け入れる宿泊施設が足りなくなってしまうのは、数字からも明らかです。この5年間だけでも3倍(300%)という激増ぶりです。

さらに2020年には東京でオリンピックを開催することで、この年をピークに政府は4,000万人のインバウンドを実現させるよう戦略を練っています。計画通りにコトが運ぶかどうかはわかりませんが、少なくとも増加傾向はしばらく続くと考えられます。
さて、その受け皿となる宿泊施設ですが、私の経営する様な小さな宿(宿泊数10人くらいの)が増えたところで、1千万人単位で増える訪日外国人の受け皿となるには焼け石に水と言わざるを得ません。大型の宿泊施設はどうかとなると、立地の問題が大きく立ちはだかる上に、初期費用も半端な額ではないために、インバウンドの増加と並行して追いつくほどに建設されるはずもありません。となると既存のモノで代用する民泊は、案外理に適っていると思えるのです。さらには市町村が所有する、集合住宅も選択肢になるかもしれませんね(いろいろ課題もありますけど、利用価値は高そうです)。

また、古くは(参考にならないかもしれないけれども)前回の長野五輪の時に激増した同県内の建物(競技会場もそうですが、宿泊施設も!)が五輪の閉会とともに過剰となり多くの施設が廃墟となったり、閉鎖して解体したりと憂き目に合った。結果だけを見て「見通しのない過剰投資」というのは簡単だが、それぞれにそれぞれの必然があった可能性だってある。このサイトの3番目↓
https://matome.naver.jp/odai/2139218754669500801
順番に倒産に追い込まれて行くさまは目も当てられない悲しい状況だと思うけれども、そうなる過程では、他の多くの健全な施設でさえも危機にさらされていたはずだ。

厚生労働省のwebsiteより

そんなわけで、僕個人としては大型の(過剰な)箱(ホテルや旅館)をじゃんじゃん建てることには賛成しかねる、という判断です。それでもインバウンドが増えるから、ルールをしっかり整備して、民泊をやったり空室の目立つ公団やら市営住宅やらを活用したりがいいと思うんですよね(浅はかかな?)。

補足ですが、インバウンドの増加に政府が舵を切っているのも、ある程度理解しています。これも総論賛成、各論はちょっと・・・みたいなことになるかもしれませんが、国内の人口動態を見たら、衰退ぶりは雪崩を打って起きているとしか思えません。
総人口は緩やかに減っている、というのが現状ですが、その中身たるや65歳以上の老人(65歳でも老人とは言えないほどに活力のある方も増えてはきましたが)が激増中で、その下の年齢層は猛烈に減っている。
生産人口と言える15歳から64歳もがくんと減り、さらに将来労働人口になるであろう19歳以下の人口推移たるや目を覆いたくなるほどです。1億2千万人の日本の人口の中身は、年々歳々「年寄りばっかり」の1億2千万人に変貌しているわけです。厚生労働省の資料↓
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/81-1a2.pdf

その抜粋です。
厚生労働省のwebsiteより


こうなると、ビジネスの先細りは必至。というわけで、政府としてはインバウンドのもたらす経済効果に活路を見出そうとしているのはある面当たり前なのかもしれません。僕たちのなりわいを考えるうえでも、国内のビジネスなら老人向け、そうでなければインバウンドへ訴求するようなビジネスに強いて言えば活路があるのかなぁと感じています。

2017年3月17日金曜日

クルマを購入します!

スバルのwebsiteより
普段、お客様のご送迎時などに「もう少し大きな(たくさんの人が乗れる)クルマがあったらなぁ」と思いながら過ごしたここ数年。時にはカミさんと2台体制で駅まで行ったりもしました。そんなことを繰り返しながら、ついにこの春(たぶん4月納車)に、1台クルマを追加することに決めました。
新しい当館の仲間になってくれるクルマはスバル・エクシーガ・クロスオーバー7です。名前にもあるように7人乗り!これからはちょっぴりたくさんのお客様をお乗せすることができます♪

実は、たまに7人乗りのレンタカーを使うこともあって、自分の7人乗りの好みはある程度絞れていました。たいていレンタルしていた車種は、トヨタのアイシスで、たまにウィッシュ。いわゆるデカい1ボックスではないヤツです。ざっと条件を箇条書きにすると
・4輪駆動車(お客様をお乗せするので、「冬も安心」に)。
・7人乗りで、1ボックスじゃない。
・荷室も多少は余裕欲しい。
・全長4,700ミリ程度まで。
トヨタのwebsiteより
とまぁこれだけです。候補はレンタカー利用していたトヨタの2社に加えて、日産のラフェスタ、マツダのプレマシー(MPVが好きなんですが、すでに生産中止)。ホンダのストリームにも興味ありましたが、現在は6人乗りになってしまったので候補から外しました。トヨタのシェンタやホンダのフリードは、さすがに窮屈で7人フル乗車したら荷室もなしって言うんじゃ目的に合致しないのでパス。
さらに日産のラフェスタは、マツダのプレマシーのOEM品と判ったので、これもパス(本家のプレマシーがいいよね)。
初日、トヨタ店(アイシス取扱店)とマツダのディラーを2軒はしごして、どちらの対応も好感持てたんですが、トヨタでは遠まわしながらエスクワイアなる1ボックスを勧められました。まぁトヨタの対応で不快感あるようなことはないんですが、帰宅後もう少し調べてみるとどうもアイシスは商品的にそろそろモデルチェンジかなぁと感じました。ついでにマツダのプレマシーも2010年登場とあって、こちらもフルモデルチェンジをいつしても不思議ではないタイミングです。
マツダwebsiteのより
もっとも下取がどうとか、最新型じゃないとイヤだとかではないので、それが大きな値引きの要因になればかえってありがたいなぁと思いながら、挨拶代わりにいただいた新車見積もりの値引きは、どちらも車両本体からざっと20万円。ごく最近カローラ・フィールダーを購入するに至った知人は、巷では30万円以上の値引きもあるらしいよ、とネット情報を伝えるとそれを糧にがんばって38万円の値引き(オプションパーツ込みだけど)まで到達(よくやるなぁと、感心しちゃった)。値引き交渉は必要だけど、実のところそれほど気乗りがすることでもないので、面倒だなぁと思ったりもしました。企業戦士(これも死語ですかね?)時代には、購買をやらされていたことで、モノの値段を決めるにあたってシビアになりがちな私。今さら駆け引き的に値引き交渉してじっくり攻める、なーんてできればやりたくないなぁ・・・。今度はカローラ店に行ってウィッシュの見積もりもいちおう取ろうか、と帰宅して妄想中に、ニュースサイトの宣伝で掲載されていたのがスバルのクロスオーバー7。あれ、スバルにも候補車あるなぁーと気付きました。

それで2日目はスバルへ。たまたまの連休を逸するとしばらくお休みがなさそうなので、できれば有意義に!と少し意気込んで旭川のスバルのディーラーへ行くと、いきなり出ばなを挫かれるハメに陥ります。「クロスオーバー7ですが、年次改良入りますので、1月22日が現行版の受注受付最終日になります」って、今日は1月21日だから明日じゃないの!?なんでネットで宣伝してるんだか??
マイナーチェンジとかではありませんから、製品としてはおおむね変更はない模様ですが、マイナーチェンジ後の納車は5月から6月にかけてくらいになります(ってさすがに遅いだろ!)。少なからず落胆しながらも、性懲りもなく見積もりもらう。値引きは20万円をわずかに超えたところ。クルマは2015年投入の新型なので、年次改良前に来て少しスバルとしてはがんばった見積もりかなぁと思いながら2日目終了。

帰宅後、パソコンに向かってネット情報をかき集める。アイシス、プレマシーに比べると、スバルの4WDは数段実力が上の模様だ(予想通り。プレマシーはフルタイムの4WDじゃないし)。さらに気に入ったのは、クロスオーバー7は1モデルしかなくて、グレード選択に悩まなくてもいい。たいてい松竹梅あって、値段設定も微妙で、下のグレードに欲しい装備付けたら上のグレードとほぼ同じ値段になって、それなら高い方にしようと要らない装備も付いて来たり・・・、のようなヘンな選択肢がないのが嬉しい。アルミホィールとスバル自慢の衝突回避システム、アイサイト標準装備。アイシス、プレマシーよりプライス設定が高めだけれども、装備品のことを思うと、案外似たところまで来てしまう。大きければいいわけではないけど、ボディの余裕も(つまり荷室のキャパも)スバルに軍配となり、アイシスの兄弟車のウィッシュを検討するまでもなく、スバル1択になった。

3日目、もうディラーに出向く時間もないし、昨晩欲しいオプション(ナビと、ETCと、フィン形状のアンテナ。相変わらずのフロアマットとか、標準装備にならないのかねぇ、そろそろ。納車4月初旬なので、今回はスタッドレス・タイヤにまわす予算はない)決めておおいたので、ディラーに電話。
前日応対してくれた営業さんお願いして、パーツ伝えてキリのいい価格を告げる(33万円の値引きです)。これでやっていただけるのなら決めますので、と言うと「では、即答できませんのでちょっぴりお時間いただいてこちらからお返事差し上げますので少し待ってください」と。およそ1時間ほどすると電話があり、「あれこれやりましたが3万円ほど届かなくて・・・。もう少し交渉を(って所長の決済でももらうんだろうか?)してみますが、最初にご提示いただいた価格に合せました場合には、購入決定でよろしいですか?」とおっしゃる。いまさら、やっぱり買わないとか、できればさらに2万円値引き上乗せして欲しいって言うのは野暮な話なので、ここは「ええ、そのつもりです!」と。
つまりこの時点で、値引きの条件は飲むから決定してね、というサインが出たわけで、3日目にして車購入の交渉終了です。しかも最終日は電話でなんて、さすがに初めてだなぁ。
もちろんほどなく電話があって「いただいたお値段にする許可を取りましたので、よろしくお願いします」となったのは、想定内の出来事でした。


BMWのwebsiteより
ところでその後の補足を少し・・・。25日、アイシスのトヨタ店から電話があって「いかがでしょう・・・?」と。さすがにトヨタさん、チェックに怠りなし。月の開けた2月8日マツダから電話連絡。これはいい意味で、マツダの最近のスタンスかもしれません。マツダは好調で、どうだどうだとお客を追い回す営業をするべきではない状況なんだろうなぁと勝手に推察。
もうひとつ・・・。27日、ネット上で更なるライバル車を目の当たりにしました。BMW218dグランツァラー4WD。ミニのプラットホームを流用した、BMW史上初のFF車に、4WD版が登場したのです。知らなかった・・・!しかもBMWにしては、破格のプライス設定(って言っても高いですけど)。スバルが条件飲んでくれたので、いくら契約書かわしてないと言ったって、乗り換えることはご法度なのでしませんが、事前に知っていたらどうしたかなぁー。ちょっとだけ(と言いながら少し本気で、机上にて検討開始!)、あれこれ比べた結果、やっぱりいくらバーゲンプライスを掲げていても、価格差の開きを埋めるほどスバル、悪くないなぁと・・・。

長々書いてしまいましたが、新しい愛車が来るのは4月初旬。きっと元気にお客様を乗せて、美瑛を気持ちよく駆け抜けてくれるはず。期待しましょう。

追記1:ナビってワープロ(今はなき)に似ていませんか?なんだかパソコンの機能を限定して使っている感じ。パソコン(携帯)そのままつけてた方がいいんじゃないかなぁ。
追記2:今回の愛車、当家にやってくる初めてのAT車(CVTですけど)です。マニュアルしか乗ったことのない我が家で、大丈夫でしょうか???
追記3:いい加減にフロアマット等は車両価格に入れてもらいたいですね。これ、つけないお客様っているのかなぁ?それでなくてもあとから定価にあれこれ付加されるクルマ価格の現状(税金とかあるので仕方ないけど)。少しでも定価に近づけて欲しいですよね。
追記4:レクサスは値引きしないんですって。値引き交渉に使う時間やエネルギーを、本来の営業活動に使うためだとか。素晴らしい!

新しい年度が始まります・・・。

できる、そしてやるんだと決心せよ。方法は後から考えればいいんだから。

と、この言葉にどれだけ背中を押されたか数えられない。有名なエイブラハム・リンカーンのそれこそたくさんある名言のうちのひとつだ。そもそも・・・言っていることには無理がある。こんな道理がまかり通れば、何だってできてしまうではないか。
およそ150年少し前のアメリカで、たぶんそんなことはリンカーンもわかっていたはずだ。それでも・・・、やると決めればできる。方法は後から見つけるんだから、と言い放つだけの何かがあったんだと思う。
科学においてはタブーに違いないのだけれども、科学ではないいろいろな日常の場面で、いかに「できない」ことが多いんだろう・・・?そのことをつぶさに見ていたリンカーンは、やるぞ、と決心することが足りないなぁと見抜いていたんだろう。ともすると「できないよ、なぜかと言うとね」なんて出来ない理由さがし(言い訳)ばかりがうまくなっていたりする。それは押し付けられた中で発するウチは、好きなだけ言ったらいいさ、ということもできるだろう。でも、まさに自らその場に舞い降りた立場なら、出来ない理由なんか探し回っている場合じゃない。それこそ方法なんてなんだっていいから、とにかくやるしかない、と言うことだろうと思う。

当館「四季」にもおよそ10年の歳月が流れました。今になって来た道を振り返ってみると、まさに「できると信じて」いなければ、到底続けられないような日々が多かったような気はします。
現在(2017年3月17日、午前4時半)気温はマイナス4℃。ちょっぴり長い冬も、どうやら峠を越し、長くなった日が春の到来を告げています。2007年4月に、フェリーで名古屋港から苫小牧に降り立った日が昨日のことのよう・・・。別段10年という節目に感慨深くなるわけでもありませんし、10周年記念イベント、なんてことも計画しておりません(なんと、企画力のない!?)。10年は(たぶん15年も)、ひたすら続いて行くうちの通過点のように感じています。明日またここで、美瑛に、「四季」にいらっしゃるお客様がいる・・・そのことが5年先のことはわからないけれども、明日は続く(そしてあさっても、来週も続く)。この継続していく感覚が、なんとも嬉しい・・・。お客様だって飽きることはあるんじゃないかと考えるし、やっている自分たちだって「もういいや」と思うことが無いとは言えない。そうだけれども、それでもやっぱり美瑛が好き。黄色やオレンジを大地にぶちまけたような秋色の北海道は、毎年のように惚れ惚れするほどに美しいし、銀白の丘がブルーやオレンヂに染まる真冬の大地はすがすがしいばかり。4月末からハウスものが出回るアスパラを食べると、つくづくおいしいと思う。

とまぁ、なんだか回想ばかりが続くわけですが、去る13日に、10回目になる確定申告を終えました。1万円に届かないながら、開業してはじめて「所得税」なるものを支払いました。あ、そう言えば消費税を今月中に納めなくちゃね・・・(これはけっこうな負担ではあるけれども、ちゃんとしないとね)!で、所得税なんですが、昨年もちょっぴり支払うことになるだろうなぁと思っていたんだけれども、払わなかった(そこまで所得が出ていなかった)。ちょっと不思議な言い方かもしれないけれど、残念!って感じた。見栄はって、「所得税払ってます」って言いたかった・・・。今回はそれをリベンジできたカタチで、やっと(って誇張して言うほどの額でもないんだけれども)ちょっぴりの所得税を払って、ほっとした。

「四季」が営業を始めた2007年、所得税を払うという将来像は、ほとんど見えていなかったと思う。仕事を手にする(=ウチの場合は集客する)ということの難しさを、何年も思い知らされる時間が続いた。何を続けて何をやめるか、とにかく今のままじゃダメだなぁという感覚が、数年間はあった。
結局のところ、これが良かった的な決定打はなかったけれども、地道に自分の「好き」を可能な範囲で育むことが出来たことが、いつしか経営好転につながって行ったのは紛れもない。まぁ自分たちにはそれしか選択肢はなかった、ということも事実だけれども、続けられたことには感謝しか思いつかない。

来年もまた、所得税が払える程度にはがんばりたい。いつか「所得税をこんなに納めなくちゃいけないなんて、たまりませんよ」とかなんとか言えたらいいなぁと、今は思うけど・・・、そういう立場にホントになったら、まっぴら御免だと思うのかもしれないですね!

新年度が、まもなく始まります。「四季」にもまた、新しい年度がやって来ます。初心に帰って襟を正して、背伸びしないで・・・2017年度もいい年だったなぁにできますように。

2016年11月23日水曜日

ふるさとから北海道に思いを馳せて。

またしても似たような書き出しで恐縮ですが、まったくもって時間が流れて行くスピードについて行けていません。もう11月・・・どころか、それも終わりそうな季節です。はぁー。

途中経過書き記して置きたいことはたくさんあるのだけれども、全部を(苦手な整理立てて)やってるうちに日が過ぎて、あれれ12月に突入という憂き目に合いそうな予感がしますので、てきとーに(いつもテキトーなのでわざわざ注記するまでもないのですが)書きたい気分のことを先に書いてみます・・・。

当館「四季」は思い切った新しい展開をしたいと決めて(その新しい展開が何かは、また詳しくご説明いたしますが、増設のようなものとご理解ください)、あれこれ準備に追われています。まずもって、設備・備品と言うことで、6月下旬に他界した親父に線香上げながら(いちおうこれが主目的のつもりですが)この11月12日より1週間ほど帰省しました。
で、線香上げたあとに、家具やら板やら食器やら・・・。ついでに美味しいパン屋さんものぞきました。6月からずーっとほとんど休みなく走って来て、10月下旬まで。で、やっと11月に時間が出来たので、美瑛を離れて故郷の愛知県、お隣の岐阜県他をまわりました。アイテム選びについてはじっくり時間をかけて報告(備忘録)書くつもりですが、今書きたいのは、故郷愛知のこと、そして私が25年間お世話になった会社のこと、あらためて故郷から思う北海道美瑛町のことなどなどです。

半年ぶりに戻った愛知県は、予想以上に暖かくて(暑くて?)、自分が北海道人になったことをちょっぴり実感。そして美瑛から比べたら目もくらむような都会の交通量を縫ってレンタカーを走らせ、何度も信号待ちしてやっとの思いで目的地へ、という展開に、最初はほとほと疲れました。でも、数時間もすると慣れて来て(なにしろ40年以上も住んだふるさとですからねー)、愛知県で流れる時間にフィットして行く自分がいた。ホッとする、って感じではないけれども、このタイト感もいいなぁと思わないではない・・・。美瑛にいる時はとことんのんびりしまくりか?と言うと実はそうでもなくて、寝る間を削ってあれこれやったり、冬の到来に追われて雪対策をしたりしていて、また違った慌ただしさはあります。でも、まぁ全然別の時の流れではあるよね(って、全然わからないと思うけど)。

通うのが楽しみだったパン教室で、師匠が待っていてくださったり、高山まで出かけて、古くからお付き合いのある製材業者の工場で、まばゆいばかりの大きな1枚板を確認したり、金沢(のお隣の白山市)で食器をあれこれと選んだり、合間に高校と大学時代の旧友に相手をしてもらいながら1週間で1,200kmを走り回って帰って来ました。
北海道の1,200kmって案外ラクに行けちゃうものなんですけど、愛知→静岡→高山→白山→また愛知の1,200kmは、けっこう手強い(疲れます、ホントに)。白山は初めてだったのですが、愛知のあちこちはもちろん、静岡も高山も良く知った場所。懐かしいを通り越して、今でもここが自分が住んでいる場所くらいに馴染んでしまう。やっぱり故郷っていいなぁ!北海道とはまた違った美味しいものがいっぱいある。味噌煮込みうどんを食べ、ウナギを食べ、そうそう、こんな美味しさがあったんだよなぁーと♪
懐かしさと美味しさと、そしてなんとも居心地のいい1週間のピークは、高山のパン屋さん、トランブルーへ行った時のこと。心が大きく揺さぶられて、さぁ、また北海道でやりたいことを思いっきりやるんだ!と襟を正せた。どうしてトランブルーと、私の北海道への思いが関係あるのかと言うと、説明すればちょいと長いです。えーと、トランブルーのパンは、そのデキから言ったらどう見ても破格なんだけど、高山と言う地方都市、いや正直言えば田舎町(規模的にね)で歓迎されるだけのマーケットは無い(と思うんだよなぁ)。でも、オーナー(成瀬氏)は、この地高山で美味しいパンを食べてもらいたいと、強い信念でこのお店を少しずつ軌道に乗せて行ったらしいのです。彼の得意なパンは、パイ生地で、クロワッサンとかデニッシュなんかは、僕程度のぼんくらからしたら芸術品に思えてしまう。いつも高山に行く時と同じように、僕とカミさんは食べられる限りのパンを買って、成瀬氏の2冊目になる本も買ってしまった。言っていいのかどうかビミョーなんだけど、正直パンは安いと思う。名前出して問題あるかもしれないけどドンクなんかよりも安いくらい。僕はドンクのパンは美味しいから好きで、機会があれば買っちゃうんだけど、トランブルーのパンは値段同等(いや少し安いですよね)で、格段に美味しい。
パンの世界大会で銅賞とったり、NHKのプロフェッショナルに出たりと忙しい成瀬氏だけれども、頭が下がるのはたくさんのお弟子さんを抱えて、彼らを1人立ちさせるために必死に頑張っていらっしゃること。彼のパンに対する飽くなき厳しい接し方は、時に弟子たちを震え上がらせることだってあるんだろうけど、このパンを見たら、そして食べたら、パンを志す若者が虜になってしまうのも無理はない・・・。

長い時間をかけて少しずつ少しずつお店に人気が出て来るのを辛抱強く耐えて、今では毎日のように開店前からお客さんが並ぶ(その1人が僕だ)。地元の人も、遠方から来た人も、みんな成瀬さん(とお弟子さん)が焼いたパンが欲しくて、大人しく順番を待つ。
彼の本には「東京で開業していたらどうだっただろう・・・?と思うことがる」そうだ。都会には、彼の焼くパンを求めるであろう大きなマーケットがある。それでも成瀬氏は高山を出ることなく、小さなマーケットを相手についには大人気店にまで育て上げた。そして彼の目線は、彼の技を伝授した若者たちが、それぞれの小さな街でそれぞれに継承し開花させてくれることの手助けにフォーカスされている。

きっとビジネスとしたら、早々に都会に出て、数店舗の展開を仕掛けることが得策だったような気がする(し、たぶんコンサルティングではそう方針決定されるんじゃないかな)。でも、成瀬氏のハートはビジネスの成功だけではないことは明らかだ。彼には信念がある。きっとその強い信念だって、長い時間の流れの中で、揺らいだり、薄れたりすることもあったはず。でも、僕が知るトランブルーは10年も前から今もなお人気店だ。都会に打って出なくても、彼は高山で見事に(ビジネスとしても)成功して見せた。

信念ってなんだろう。クレバーさや交渉力や、そんなあれこれと同じような土俵にあるのかもしれないけれども、時にものすごい実現のためのパワーを与えてくれる。そう言えば、僕にも小さな信念があったんだ(ってすぐに忘れてしまうようなものって信念と言えるのかなぁ?)。そう、僕は北海道が好き。きっと世界中には僕のように北海道好きがいっぱいいると思う。北海道の素敵を知ってもらう一助になれたらとても嬉しい・・・。

そんなことを思い出したら、北海道に無性に帰りたくなった。でもって笑っちゃうんだけど、帰ってすぐに自分で焼いたライ麦パンとくるみレーズンパンのデキの良かったこと!成瀬氏が乗り移っていた、なーんて浅はかな気分にもなろうと言うくらいに、4個焼いたパンは見た目も味わいも素晴らしかったんだな(とこれ以上ない手前味噌。ここまで言うか?)。ご来館のお客様にも大好評で、ちょっぴり残ったパンを欲しいと言うので持って行ってもらっちゃった。

2016年10月2日日曜日

慌ただしく過ぎた夏と、美しい秋に。

前回記事を書いたのが5月だったので、もう丸5か月間更新しませんでした。大変申し訳ない・・・。

この間、父が逝去し、新スタッフがやって来て、また当館「四季」に繁忙期がやって来て、なんと史上初の台風3連発プラス1がありました。5か月間・・・、あっという間に、もちろん当館のwebsiteを更新できないままに、時だけが過ぎて行きました。

父の葬儀に際しては多くの方のお世話になり、また今さら気づかされることも多々あり、故郷を去ってこの北の大地に飛び出してきた自分自身の人生をもう一度振り返る機会になりました。

そんなこんなで気がつけば10月です。早い。いつしか半袖を着るのは厳しくなって、長袖へチェンジ。朝・夕の冷え込みが、気持ちいいと肌寒いの中間くらい。
でもって、秋の丘は美しさをぶちまけたかのように、とにかく綺麗。たぶん繁忙期であんまり丘に景色を眺めに行く機会もなかったからって言うのもあると思う。それでもこの時期の丘は、見惚れる。
もうすぐカラマツが黄色く色づいてきます。そして黄金色から淡いきつね色へ。

また写真をアップしながら、あれこれ思うことについて少しずつ書き記して行きます。