大学3年生の夏、希望者、私も含めて3人は、真夏の旭川にアルバイトに来ていた。場所は林産試験場。今から45年も前のことになる。毎夏私の通った大学の、とある学科から、定例的にアルバイト要員を派遣することが習わしとなっていたようで、希望すれば数名を受け入れてくれた。先輩が就職しており、たぶん活躍されていたのだと思う(後に、この施設の所長になられたと聞き及んだ)。
大学は静岡市にあって、そこから遥か彼方の北海道旭川市にアルバイトに行くとなれば、普通は”大丈夫かな?”と諸々のことが気になるが、旅費はアルバイト代で何とかなる点、試験場の寮が利用でき、3食を賄ってもらえる点、勤務時間以外は全く拘束されない点などに目がくらみ、思い切って挙手をしたのがつい先日のことのようだ。
いざ、行くと決まってからは着替えなどのささやかな荷造りを済ませ、3人で私のクルマに乗り込むこととして、旭川までのルートを市販の地図で(ネットのマップなんてあるはずもなく)確認した。道中は、宿泊施設は利用せず、ひたすら交代制で運転するもの、地図見ながらナビするもの、寝るものの役割分担で強行した。3人のうち一人は免許取り立てだったが、何しろ強行軍なので時折運転をお願いせざるを得ず、結果怖い思いも数度あったけれども、運よく事故には至らなかった。一番のピンチは青函連絡船に乗る時にやって来た。ちょっと青森港までの時間配分に読みの甘さがあり、青函連絡船の最終便に間に合うかどうか、かなりぎりぎりのタイミングになっていたと思う。運転を車の持ち主である僕が担い、かなり速度違反をしつつ、無理な追い越しを何度もして30分ほど巻き戻して青森港に着いたのは4時くらいではなかっただろうか・・・。ところが無知な私たちに厳しい現実が突き付けられる。連絡船の乗船は予約が基本で、特にクルマは予約で概ね満車であり、載せてもらえる可能性がほとんど無いことがわかった。
しかし、それでは困る。今夜北海道に上陸し、明日中には旭川市まで着いていなくてはならない。明後日からは勤務なのだ。まぁ無知丸出しの僕たちは、次善の策などの持ち合わせもなく、翌日最早の船に滑り込んで、函館から今まで以上に飛ばすか・・・というくらいしか代案が無かった。当時は高速道路は皆無だったので、函館から旭川までは10時間くらいかかったと思う。
ところがどういう風の吹き回しか、乗船予定のクルマに一定数のキャンセルが出たらしく、希望すれば最終便に乗せてもらえることが判明。あまりの嬉しさに、青森港で学生としてはかなり贅沢なまぐろ丼をかき込んで、お腹も気持ちも満タンでフェリーに乗り込んだ。そこから先はほとんど記憶が無い。次の記憶のページには、試験場で勤務する自分たちの事しか残っていないのだ・・・。
当時、林産試験場は旭川の市街地にあって(旭川市緑町)、古い庁舎が広い敷地に点在し、合板の暴露試験や木材の破砕機によるチップのサイズを測ったりしていたと記憶する。そこで月曜8時から土曜の正午まで勤務し、土曜の午後から翌週月曜日の朝までが、待ちわびた自由時間だった。
初めの1週間は、大人しく過ごした。歓迎会なんかもやってもらって、終業後の5時からソフトボールの試合もあったりした。最初の週末は慣れていない旭川市街の散策に出かけたんだと思う。札幌よりもまだ果ての旭川市は、当時45万人くらいだった静岡市(清水市との合併前)の繁華街と比べても遜色ない賑わいだった。日本で最初の歩行者天国なども展開され、出来たばかりの旭川西武百貨店は、ものすごい賑わいを見せていた。
そして、愛知・静岡で暮らした僕らにとって、真夏の旭川はあまりにも爽やかで過ごしやすかった。特に深夜から早朝にかけて、肌寒いと思えるほどの気温と湿度の低さには驚いたものだ。寮長の奥さんが「寒くはないかい」と心配してくれたのも、納得がいくところだった。
さて、今回のお題のオロロンルートにやっと触れようと思う。2週目の週末は、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖を周った。安いユースホステルを予約し、ごった返す北海道の真夏の観光地で、旅行気分を味わった。そして、3回目の週末、僕らは土曜の正午と共にお昼ご飯をかき込み、稚内へと向かったのだ。日本の最北端に行っておきたい。ただ単にそれだけの動機だった。旭川を発って(たぶん深川経由で)留萌に行き、そこから海岸線をひたすら北上した。当時その道をオロロン街道と言ったかどうかは記憶が無い。
当時の僕の愛車は、8年落ちくらいのカリーナGTだった。1,600c.c.ではあるものの、当時は珍しいDOHC車だった。学生が乗るには少しばかり値が張ったが、クルマで飛ばして走ることが何より好きだった僕は、その点は厭わなかった。その愛車を駆って、北海道の海岸線をハイスピードで北上する。日が暮れる前に稚内まで行きたかった。
結構なスピードで飛ばしているにもかかわらず、出たばかりの真新しいブルーバード・ターボ(910型)が僕らを抜き去って行った。さらにアクセルペダルを踏みこんで、ブルーバードを追った。北上する海岸線の国道232号線は、左に日本海が広がり右側は緩やかな緑に覆われた丘が、果てしなく続いていた。青い海と青い空、そしてどこまでも続く道と緑の丘。まるで今で言ったらジブリの世界のような、誰にもある記憶の一部だけど、それが果てしなく続く非日常感は、僕らが最果ての地北海道にいる実感を深く刻み込んだ。ブルーバードはものすごく早かったけれども、何とかついていくことができた。そうしてたぶん、1時間近くも海岸線の国道を古いカリーナGTはブルーバードを追っていた。
あれから45年も経つ。僕はあの頃と違い、66歳になった。そしてあの日と同じように国道232号線を飛ばしながら、大海原と果て無く続く道と緑の丘を眺めた。なんて変わらない風景なんだろう・・・?またあの時と同じ赤い910型ブルーバードが追い越してきそうな気がする。いろいろな・・・もう数えきれないほどたくさんのことを忘れてしまったけれども、あの時この道を古いクルマのハンドルを握ってブルーバードに追いすがった記憶は、なぜかぴたりとフォーカスが合ったままだ。
随分と45年前の記憶に浸りきってしまった・・・。せっかく今日行って来たのだから、今日の出来事をメモとして記しておこう。美瑛から留萌まで、およそ1時間40分ほど。深川(深川西IC)から留萌まで高速道路が利用できる(無料)。留萌から北上して小平の鬼鹿港(おにしかこう)にあるすみれ食堂は行く価値あり。今回はさらに北上し苫前を越えて羽幌まで行った。羽幌の渋谷水産直売店の食堂は素晴らしかった。えび(甘エビ)が特産で春先から今頃までが旬。今日はうに丼をいただいたが、人生で最高のうに丼だった。うにの新鮮さ、ボリューム、そして味わい深さは白眉。極めつけは価格(2025年5月で2,200円)。いつかうにと言えばの積丹で食べてみたいが、ここ羽幌のうに丼はリピートしたい!
留萌から海沿いの国道232号線を北上しほどなくすると、留萌灯台がある。なかなか絵になる灯台だ。灯台までクルマで上がる道を運よく探し当てた。これっぽっちも案内(看板や表示)がないので、知っていないとなかなかたどり着けないのではないかな(Google Mapにも、道路は記されていない)。日本海も留萌市も一望できて、寄る価値あり。アプローチの案内は皆無だが、不思議なことに灯台に着くと説明看板などはしっかりある。帰りに深川市内にて速度違反で警察に捕まってしまった・・・。深川市内は過疎化が進み、商店街でもシャッターを下ろしている店舗が多く「こんなところだと、ネズミ捕りも無さそうだな」なんて話していた矢先の事でした。50km制限の道路を78kmで走行と記録され、減点3、罰金18,000円を課されました。高額納税者になってしまったよ(涙)。悲しいかな、苦節13年で2022年11月に手に入れたゴールド免許は、1期(5年)で失うことに・・・!