2025年4月29日火曜日

43年ぶりの同窓会、そして東京九段へ_その1。

 Facebookのメッセンジャーで連絡が来たのは、お正月を過ぎて間もない頃だった。アメリカ勤務の長かった大学時代の同窓生の一人が、退職して故郷に戻って来たとのこと。その彼の希望もあって久しぶりに同窓会を・・・という機運が高まった。前回はいつだっただろう?3,4年に1度くらいは集まっているものの、たまたま時間の合う5,6人程度で即興の寄り合いの場が持たれることはあったようだけれども、”同窓会”と銘打って全同窓生に声がかかるのは、たぶん10年ぶりくらいになるんじゃないかな?

幹事はみ~さんだ。彼女は地元(静岡)在住で、恩師とのコンタクトもスムーズと言うわけで、毎回アテにされている。話はとんとん拍子に進み、30名だった学科の仲間のうちなんと21名が集うことになった。1982年卒業の僕らにとって43年ぶりの同窓会になるわけだけれども、21人(参加率70%)ってどう考えてもすごいと思う。


日程が決まって、ほどなくフライトチケットを予約した。以外にも最寄りの旭川空港から羽田へ、JALで案外安くチケット入手できた(片道で7,600円ほど)ので助かる♬こうやって3か月も前に予定を入れることは滅多にないのだけど、決めてしまえば航空券は思いのほか安価に手に入るものなんだなぁと思う(逆に日程近づくと、すごく高くなりますよね)。

気が付けば同窓会開催の4月中旬になり、10:05発のフライトに向けて、出発した。快晴。空港までは20分足らずだけど、1時間前には行っていた方がいいような気がして8時半には家を出た。

空港についてあらためて思うのは、旭川空港の利便性だ。特段変わったことがあるわけじゃないんだけど、1日10便ほどしかない地方空港は、待たされることがほとんどないのでスムーズだ。メガ空港自慢のフードコートやお土産物売り場の充実は今一つかもしれないが(そんなに売り上げは望めないし)、空港ってこういう感じがいいよなぁといつも思う。都心には列車網が発達していて、空港は郊外にあればいいように思うんだよね。

快晴の旭川空港

さて、1時間ちょっとで羽田につき、空港内で軽くお昼を済ませて学生時代の想い出詰まる静岡へ新幹線で向かう。ここでちょっと見通しの甘さが露呈した。静岡って、のぞみはもちろん皆無で、ひかりも1時間に1本しか停まらない。なので各駅停車で次々追い越されっぱなしのこだまに乗る羽目になった。こだまも車両は700系で全然のぞみに見劣りするわけじゃないんだけど、静岡まで7駅ほどある停車駅で、ほぼ毎回1輌か2輌、追い越される(ので待ちが結構ある)。おりしも世の中リニア新幹線で沸く中、静岡県とJR東海の不仲は公然の秘密、静岡県ってこういうところでもちょっとした仕返しをされているのかな?と疑いたくなった。下記、少し古い記事ではあるが、ご参考まで。

https://toyokeizai.net/articles/-/209050

結局静岡に着いたのは14:50ほどで、会場には20分ほど遅れての参加になった。

学生時代にたまに出かけた海岸線の崖上のカフェ

午後3時からの同窓会は、お酒も入るからちょっと早いスタートだ。北海道美瑛町からの参加なので、遅れはご容赦いただいた。なんでもこの年になってもまだ勤めを継続中のメンバーが半分近くいるので、翌月曜日には出勤すると言う。ご苦労なことで・・・と思ってみたものの、自分も紛れもなくその一人だと気づかされた(翌日はお休みではあるけれども)。さすがに同窓会に出て来るだけあって、皆元気で65歳を超えているにしては若々しい。臨席くださった3人の恩師も80代半ばとは思えないほど矍鑠としていらした。幸い病気自慢、孫自慢の競い合いにはほとんどならず、実に楽しい時間を過ごした。会社をリタイアするもの、再雇用されて役職を失って働くもの、主婦、主夫、一応経営者・・・の同窓生の話は、聞き入ることが多い。このメンバーと初めて会った47年前、僕らはあまりにも無知で、傲慢で、そして等しく貧乏だった。

もちろんパソコンもスマホも、インターネットも無かった。恋したり、お酒を飲んだり、クルマに憧れたり、音楽に心酔したり、ちょっとだけ研究にも勤しんだり、忙しかった。なぜか皆が、仲が良かった。世間知らずなりに、お互いを認め合ってもいた。離れ離れになって43年、あらためて貴重な人脈だと思い知らされる。会社の同期とは、なかなかこういう人間関係を築きにくい。まごうことなきライバルに、おいそれと仕事の相談なんて出来るはずもない。時の流れと共にその関係は時に熾烈になるし、僅かなポストを争わざるを得ないケースが多い。結果多くの場合はいつしか上下関係ができる。誰もが知る、勤め人の現実がそこにはある。翻って同窓生はと言えば、極めて稀有な人間関係で、弱みも自慢もことさら何かを隠したり誇張したりする必要なく、あるがままにコミュニケートできる。まぁ受け狙いで”盛る”ことは多いが、おおむね本来の自分自身を知らぬ間に曝け出しているわけで、そのことがまったく苦にならない。時には親身になった助言をもらえたり、あるいはまっとうな𠮟責も受けるが、聞く側も素直に耳を傾けることができてしまう。


もしかすると、大学の同窓生と言うのはすごく幸運な人間関係を育むことができる「場」なのかもなぁと思う。僕らは子供時代から当然のように何度もふるいにかけられて、その末に大学のとある学科に行きついた。もちろん個人個人の個性はまったく似てはいないのだけど、少なくとも学力は似通っている。加えて各自の裕福度とかも、似ることが多い(僕らの場合、地方国立大学の当時はあまり人気のない学科で、こんなところに滑り込んでくる学生はバックグラウンドが似ているのだ)。そして当然のことながらほぼ同い年だ。

なんてことを思いながら、会は進み、いつしか3次会まで突入していた。いつになくたくさんお酒を飲んではいたけど、本当にいつになく眠り落ちることなく、際限なく話をした。体重が倍くらいになったものや、髪の毛が3分の1以下になったものもいると言うのに、全くの童心になって語り合うさまは、どう見ても学生時代のあいつだ。こんなに大勢の同窓生と共に時間を共有出来て、すごく楽しかった。ありがとう!

最後に恩師にも触れないではいられない。3人臨席くださった恩師のうちの2人は、僕自身の研究室の先生でもあられた。また余談ながら1人は私の仲人さんであるし、もう1人も式で祝辞をいただいた。

3人の恩師は、3人ともに俳優か何かであるかのように若々しくいらっしゃった。正直、86歳になられる2人の恩師は、私たちと20歳違いであるにもかかわらず、概ね同窓のような面持ちなのだ。先生稼業が比較的若々しくあると言うことは、まぁ一般的にそうなんじゃないかと思う。何しろ生徒(学生)を相手に日々暮らすわけで、どうしても若さを維持されるケースが多いように思う。でもいくらなんでも20年の差は果て無く大きいから、さすがに驚いてしまった。もう一人いらした恩師はわずかに5歳年上ながら、どう見ても我々よりお若くいらっしゃったし、相変わらずの頭の回転の早さに43年前を思い出さずにはいられなかった。

先生方にしてみれば、無知で傲慢で生意気な僕らをどうにか世のため人のためになるよう仕立てて送り出してくださった遠い過去が、今になってどう映るんだろうと気になった。

小・中学校と違い、大学で教鞭をとるとなると、学生との真剣勝負になることも少なくはない。もちろん勝負はやる前から答えは出てはいるものの、何しろ挑む学生は生意気で身の程を知らない。私たちも全く例外ではなかった。そしてそんな我々を相手に、面倒がるなど一切なく、正面から受け止めて、その上励まし、自信が付くように導いてくださった。あの4年間が無ければ、1人たりとも今の(43年たった現在の)我々は居ないと確信が持てる・・・、今になって振り返れば、そんな学生時代だったのだ。

願わくば、定期的に(毎年とか)同窓生とも恩師ともお会いして、旧交を温める時間を持てたら、これに勝ることはないのだが・・・、そんな楽しい時間が持てたことに感謝したい。


0 件のコメント:

コメントを投稿