匂いおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな
美瑛も花の季節になって来ました。これは超有名な、菅原道真の詩(うた)ですよね。大宰府に左遷された道真が、都(京)の我が家に残した梅の花に向けて想いをつづった・・・と認識していたのですが、まったくの誤認。道真が、京の自宅を出立するときに庭の梅を前に詠んだ句、ということのようです。
この詩に、ちょっと思うところが2つありまして、それを書いてみようかな。
ひとつ目は、道真も雇われの身。組織のおきてには抗うことは許されず、京から九州の大宰府に、いわば更迭される様子がこの詩に滲んでいます。案外さっぱりした気分で旅立ったのかもしれないし、未練に復讐心の炎を燃やしながらの出発っだったのかもしれない。真実は、わからないですよね。醍醐天皇にまつわる政争、まぁ今風には派閥争いなのだろうか?とにかく右大臣にまで昇りつめた道真も、左遷。
これって、今の世の中にもまるっきり同じようなことがあって、いつまでも似たようなことが続いて進歩しないとも思えるし、人の集まる組織においては、派閥争いは必定なのか(つまり組織における不可避な真理なのか)とも思えます。かく言う(書く)私自身も、25年も会社勤めをやりましたから、この手のあれこれと無縁ではいられませんでした。幸い自分自身が左遷の憂き目を見なくて済んだのは、ただただ運だけが良かったことと、そんなに昇りつめなかったことが原因でしょう。それでも、周囲の人たち(お仕えしていた上司とか、辞めた後の同僚や後輩たちが)、いろいろな形で失脚したり、栄転したりを聞くにつけ(辞めて15年目だと言うのに、まだ聞き及んでいる私!)、この道真の詩に普遍的な何かを感じないではいられません。と同時に、会社組織を辞して小さな小さな会社の経営者になった今、この手の気遣いとは無縁の日々。その代わり、経営者としての責務は荷が重いわけですが、組織の中の世渡りが好きではなかった(でも、結果うまいこと世渡りはしてきた)自分は、組織を脱したことは、良かったと感じています。
もうひとつは、道真が心配するまでもなく、梅の花は季節を絶対に忘れないと言うこと。人は忘れ物をしますが(僕もいっぱいします!)、自然界の命あるものは、忘れ物なんて絶対しない。
今(2021年4月下旬)、巷では(世界的に)コロナ狂騒曲が吹き荒れていて大変ですが、ここ美瑛でも春の花たちが目を覚ましました。可憐に咲いているのは、気の早いのはクロッカス、そして福寿草。もうすぐ見ごろを迎えるのが、カタクリやエゾエンゴサク。たぶんGWを待たずに満開ですかね、今年は。すぐ後にミズバショウも続いて、しばらくしたら桜も・・・。桜の開花は、今年は早くて5月早々のようです(満開はGW後半)。
例年は、お客様をお迎えしていて手一杯のGWも、今年はたっぷり時間がありそうなので、思い切って旭川のカタクリの大群生地に、ゆっくり出かけてみようと思います。酒造で有名な男山さんが管理する突哨山。
https://www.otokoyama.com/blog/park
なんでも男山さんもコロナ禍で売り上げ激減で、今年はカタクリの一般公開まで余力がないので、中止・・・するつもりだったようですが、一般からの寄付が集まって、例年通り公開できる運びになったようです。僕も行ったら1本お酒を購入しようっと!
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