いつからだろう、休暇に山岳地帯に行って、避暑を過ごすのが夏の楽しみのひとつになっていた。1週間か8日間かある夏季休暇の2日ほどを休日出勤して仕事にけりをつけ、3~4泊を白馬や蓼科の行きつけの宿で過ごすのだ。
お天気次第で、1度は山登りにトライする。たいていは白馬の八方尾根のリフトを乗り継いで八方池まで登り、余勢に任せて唐松岳まで行ってみたりした。八方池を過ぎて山岳ルートを行くと、だんだん息が上がり、苦しくなってくる。普段鍛えてもいない体に鞭打って、たくさんの重装備の登山家に追い越されながら(もちろん道を譲り、「どうぞ」、「どうも」とあいさつを交わして)、ゆっくりゆっくりと曲がりくねった道なき道を行く。上手くできたもので、視界に飛び込んでくる光景は、体の辛さと比例してどんどん素晴らしいものになる。コマクサのやチングルマたち高原植物の歓迎を受け、次第に高山独特の視界が広がる。雪渓、ところどころに残る緑の草たち。
唐松山荘までたどり着いたら、片道3時間ちょっとの強行軍は終わり(まぁちょっと山に行く人からしたら、チョロいもんだろうけれども)。八方尾根のリフトの最終便に滑り込むために、そそくさと下山を急いだ。
あの、定番の夏の想い出から20年も25年もたってしまった今(そう、2021年初秋の9月初旬)、スタッフの一人が大雪山山系の黒岳に登ろうと誘ってくれる。聞けばロープウェイとリフトを乗り継いで、そこからは1時間半から2時間の上りで山頂に到着と言う。行きたい気持ちと、すでに62歳になった自分が、誰にも迷惑をかけずに行って戻ることができるだろうか・・・、と疑問がつきまとう。“ペースを落としてゆっくり行けば大丈夫”と背中を押され、もう少し近い(クルマで35分)旭岳の登山道よりずいぶん歩きやすいらしいと行ったこともないルートと比較してみたりして、重い腰を上げる。
ロープウェイの影が森の上をすべる。 |
2021年9月4日午前5時15分、美瑛を出発。6時45分に黒岳ロープウェイ駐車場に到着し、ロープウェイ+リフト往復券(大人一人3,000円)を購入して朝霧が晴れて行く空を仰ぐ。いい日になりそうだ♬
7時ちょうどのロープウェイに乗り込み、10分弱の空中散歩がスタートした。定員101人のロープウェイには規制があるのかどうかわからないが、ざっと25人の乗客が。見たところ、スニーカーやパンプスの人は皆無で、皆ちゃんとした登山靴を履いていて、ちょっぴり気後れする。ほどなく黒岳駅に到着。最後のトイレを済ませて待ち時間なしでリフトに乗り15分、いよいよ山岳ルートの山登りがスタートした。お天気は晴れ、曇っていた空が次第に晴れて、ごく弱いやさしい風が時折尾根を駆け下りてゆく。
ロープウェイの到着地点、黒岳駅 |
いきなりのけっこうな急斜面に面食らう。こんなルートを1時間半とか、まぁどう考えても今の自分には無理だ・・・、そう思いながらつづら折りの登山道を数度曲がると視界が広がった。ほんの100mも歩いただろうか、7合目の看板。リフト乗り場の駅の屋根がけっこう小さく見下ろせる。「ふぅ」と深呼吸して、また登る。道は緩急を繰り返し、はぁはぁと息が切れた頃、今度は8合目の看板と木製のベンチが現われる。思わず腰かけて上着をリュックに押し込み、お茶を少しだけ口に含んだ。
もう少しで着くはず! |
20年前の、あの夏の想い出が頭をよぎる。あの頃はトイレの事さえ気にせずに、飲みたいときには欲しいだけ水分補給をしていたんじゃないかな。歩くペースも落ちたような気がするけれども、意外とイケるじゃないかとも思う。「あそこの岩と、始まった黄葉のシーンはちょっとした撮影スポットですよ」とスタッフが言うけれども、それほどいいとも思えなくてシャッターは切らずに進む(ゴメンネ)。ひたすら重くなる足を持ち上げて、9合目。またベンチもあったけれども先客ありのため、見栄を張ってスルーして登る。2つコーナーを過ぎると残り500m(トータル1.7km)の看板に、かなり励まされた。と、同時にスタッフが「山頂に着く前に、ちょっと急なルートがありますけど」という一言にビビってしまった・・・。正直なところ、もうほとんど余力がない。シャレにならない気分で、渾身の力を込めて足を前に出した。すれ違う人の「もうほんの少しですよ」に大いに背中を押されて前に進む。もう休憩を挟まない、休んだら動けなくなりそうだ。
やっとの思いで到着♬ |
スタッフの示唆した通り、厳しい角度の登山ルートに体中の血液が沸騰したような気分になる。もう何があっても絶対止まらない(止まれない)。きっと残り200m程度だろう。はぁはぁ・・・ぜいぜい、息が苦しい。まだ足が動く・・・。
無心でもがいているとほどなく視界がぱっと広がった。黒岳山頂のポールと、360度広がる絶景に息をのむ。あー、あの25年前の夏の想い出と同じ光景だ。またこんな素晴らしい景色に出会うことができた。
美しい山岳風景に癒される。 |
石の上に腰を下ろし、おにぎりを頬張って、またお茶を飲む。冷たい風が頬をなでてゆく。寒いと言うよりは気持ちがいい。汗に濡れたシャツを、ちょっぴり乾かしてもくれるのだ。
なぜかこうして山に登ると、思い出されるメロディーは「9月には帰らない」だ。海辺を舞台にしたこの歌詞が、なぜか頭に浮かぶ。きっと“明日あたり灯台へ、波しぶき見に行こう”というフレーズが、「山の景色を見に行こう」に勝手に書き換わってしまっているからだ。
まだ先を目指す人が多い。 |
かなり長い間山頂で休んだ。ほとんどの人が重い荷を背負ってさらに北へと進む。少し下って右に曲がり、小さな点になって地平線に消えてゆく。きっと旭岳まで縦走して、数日は標高2000m界隈でテントを張って過ごすのだろう。
オシャレなのに誰もいないカフェ。 |
気が付くと、駐車場のあるロープウェイの乗り口まで下りて来ていた。黒岳にあやかって“Black Mountain Café”。アウトドア・グッズを展開するコロンビアのSRを兼ねるカフェでコーヒーを飲む。お洒落でシンプルなその店舗には、Rolling Stonesのナンバーが流れて、正午過ぎだというのに、そして土曜日だというのに、僕らのほかに誰も居なかった。
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