2019年12月26日木曜日

最後のEJ20マシン、来たる!


クルマと聞いて、最近とみに思わされることは、自動運転への技術革新だ。究極には、全く人の操作を介さずに目的地まで行きつくことができるようになる(はずだ)。そうなれば、行きたい場所をセットしたり、燃料(充電?)をちゃんと補充しておいたりさえすれば、多少目が悪くなったって行きたいところにクルマが連れて行ってくれる。もちろん疲れ知らずだし(乗ってるだけで疲れちゃう人間の方が問題だが)、年老いて判断力や反射神経の鈍った人だって、移動の可能性が格段に広がるに違いない。
これはどう考えたっていいことばかりだ。そもそもスケジューリングされた自動運転は、あおりなんてしないし、されても気にもしない(気が付かない)だろう。

ところがどっこい、目的地に行くことが目的でクルマを利用するのではなくて、ただ単にクルマの運転を楽しみたい向きにはどうだろう?いわゆる運転好き、の人にとっては・・・?せっかくの運転する楽しみをクルマに取り上げられてしまうから、あんまり嬉しく思わないんじゃないだろうか。
まさに僕もそうだ。もちろん目的地に行くことが目的の場合が多いけれども、そのために運転するクルマを、運転を楽しむための道具(とても高価だけれども)として捉えている面も大いにある。なんだかまどろっこしくなってきたけれども、要は運転が好きなので自動運転は賛成できない、ということがひとつ(これ、社会に対して非常に後ろ向きというか、場合によっては反社会的かもしれないですね)。そして運転が楽しい車が好きです、ということが2つ目。最後に、今後自動運転化は進むだろうけれども、運転して楽しい(自動運転ではない)クルマも、居場所があると思うよ、が3つめです。

今までお世話になったインプレッサWRX_STI
で、1つ前の記事にも書いたけれども、スバルの作るEJ20型エンジンてのがありまして、これは運転を楽しくさせるクルマの要素として、非常に大きなファクターとなっていると感じる次第。さらに(これも書いた通り)この2019年受注分の限られた車種をもって、31年間作り続けてきたこのエンジンの生産終了が発表されました。
今、乗っているインプレッサというクルマにはEJ20型エンジンが搭載されていて、運転するのがとても楽しい車なのです(通称GRBと言います)。が、まもなく(2020年1月)11歳&車検。13~15年くらいクルマを乗り続ける僕にとって、もう1回車検通すのは既定路線・・・のはずだったんだけど、EJ20エンジンを積んだ車が2年後には選択肢にない、ってのはどうなのよ?
新しくやってきたWRX_STI
とまぁそんなあれこれが相まって、よし、車検1回分早いけれども今のうちにEJ20積んだ新しい車に乗ろうか・・・ってことになった。車種は1車種しかないので迷うこともなくWRX STIに決定。しきりにその点を突いてきたスバルの営業柏原氏に寄り切られてしまった感は否めないが、試乗させて欲しいと頼んだら「今はない(たぶん試乗車は回ってこない)」と言われたのは悲しかった。よって今回も(ここ連続で3回目!)、試乗なしでクルマを選ぶ(決める)ことになっちゃった。もっとも今運転している車の最新型だし、自動車雑誌の書評では好印象で記事が掲載されていることも安心材料になった。

果たして、契約した日を忘れてしまうほどに待たされた挙句、ついにWRX STIを引き取りに行くことに。何度か経験した新しい車との出会いに、やはりココロ踊る自分がいた。取り扱いに関する説明はほぼほぼ皆無で(あとで取説読んでおいてね、でお終い。まぁスバルさんとは長いお付き合いですし)、さっそく車に乗り込んだ。シートのホールディングがすごく良くて、疲れ知らず。でもって、Aピラーが少し細くなり、補助Aピラーがさりげなく直立していて、その間にいわゆる三角窓みたいなはめ殺しのガラスがあるんだけど、これが抜群に視界をよくしている。気にしていたリアスポイラーも後方視界を邪魔しないからおおむね全方位よく視認できる車になっていた。
三角窓、視界よし!
シフトをローに入れ(はい、またマニュアル車でございます)、お、この節度感も高品質を印象付けるかっちりしたもので気分よくスタートしました。そして・・・、僕は予想以上に新生なったEJ20エンジンにとろけたのです。苦手だった低回転域で、素晴らしいトルクの付きを感じさせ、少しだけれども重たくなったボディーを軽々と加速させてみせた。EJ20エンジンとの初めての出会いは、1996年の秋でした。えーと・・・23年前。この時手に入れたインプレッサは(GC8って言います)、1250kg。この時から低回転はちょっと苦手なエンジンでした。それが今や車重1500kg(2割増し)。馬力も2割増しになったとはいえ、さすがに1500kgの隆としたボディーを引っ張るのに、2000.c最強とはいえEJ20には低回転は荷が重い・・・。と、覚悟していたのに、ぜーんぜんもたつかない。走り出しから抜群の加速。嬉しい誤算って、こういうことかぁーとひとりでにやけてしまう。すかさずギアを2速、3速に上げて行きエンジンが暖まったところで少し上まで回してみた。クォーンと乾いた高域のビートが、身も心も、そして鼓膜さえも魅了する。いつしか聞くことのなくなった「カムに乗る」エンジン音に、またしてもとろけたのでありました。
低回転で素晴らしい粘りを見せたエンジンは、いわゆる下をどうにかしたので上はゴメンよ、なんてことはなくまだ6000しか回していないけれども、ヨユー。超余裕!たぶんカタログにもある通り8000までよどみなく回る感じ。すごい、さっすがEJ20だ!

意外と端正なシルエットです
乗り味は、気持ちのいい硬さで、文句なし。ちゃんとロールするけれども、巌のような剛性ボディーが揺れを受け付けない。お客様をお乗せするのには固すぎるかもなぁと思わないことはないが、ひとりで運転してたら抜群に快適なセッティング。GRBはハッチバック車だったけれども、今度はセダンになりまして、多少大きい荷物を積むのが苦手になったけれども十分許容範囲(そもそも僕が好きなドライバーズ・カーとしては少し大きくなっちゃったからなぁ(全長4595mm))。
細かいことだけど、ドアのロック(&ロック解除)がBMWと共通になって使い勝手が良くなったことと、同じくドアミラーの開閉もボタン位置が変更になって(ドアに移動した)、暗くても探すのに困らなくなった。

今のところ馴染めていないのは、ハンドル。6時方向につぶされていて、まん丸くない。こんなの真円でいいのにね。それとほとんどデジタル化されたインパネ。トリップ・メーターの操作方法さえわかんないのが現状(きっちり取説読まなくちゃ)。と、営業と相談した結果、ナビ付けなかったのでなんとなく物足りない感じ。これからナビはスマホにとってかわられる時代になりそうです。
スバル自慢の安全運転システム、アイサイトもつかない(ので、クルマがあれこれご忠告しない)少々昭和なクルマですが、大いに気に入ったのは間違いございません。蛇足ながら(と言ったらスバルに叱られますが)、今までのEJ20搭載車の中では、なかなかに美しいボディを与えられているように思います。
ということで、EJ20速報を終わります。

次回は(誰も待っていないのは承知しておりまする)、1か月後くらいに、燃費なんかも含めて感想書けたらと思います。

2019年11月16日土曜日

名機EJ20


webCGより引用。


EJ20と聞いただけで、それがスバルのエンジンの形式番号だとわかる人はそんなにいないんじゃないかと思う。1989年、初代レガシーに搭載されたのを皮切りに、現在まで30年間ものロングスパンで生産され続けた、稀有なエンジンだと言っていいんじゃないだろうか・・・。

EJ20の真骨頂は、世界ラリー選手権での王者獲得だ。もともとスバルは4WD車の量産は先駆で、アウディより早い1980年にレオーネでこの世界ラリー選手権(WRC)に初挑戦。1990年にはレガシー+このEJ20エンジンで本格参戦して1993年に初優勝。1995年にはコリンマクレーの駆るインプレッサがドライバーズ・チャンピオンを獲得した。このあたりの詳細は、ググればいろいろな所(例えばこちら)で見つけられると思うのでそちらに譲る。

この世界ラリー選手権におけるスバル・インプレッサ+EJ20エンジンの活躍で、僕自身がこの車に興味を持ち、1996年に紺色のスバル・インプレッサWRXを新車購入。6年半後の2002年の春、また新型の真っ白いインプレッサWRX_STI RAなる競技用車両のベースグレードを後継として手に入れて(この頃には、もうラリーなどをやる予定はなかったけれども)5年半の歳月を共にした。


美瑛町への移住のために、移住資金にすべく売却してしまったけれども、インプレッサ&EJ20エンジンへの思いは途切れることなく、2013年にまたインプレッサWRX_STIを再購入して今でも乗っている。

僕自身、いろいろな愛車と共に過ごしてきた中で、可能な範囲で特定のメーカーに固執せず、いろいろな車種のクルマたちとお付き合いしてきた。スバル・インプレッサは特別で今まで、時代は変わってスペックも変わったけれども、唯一2回以上乗った車だ(今の愛車で3台目!)。

そのEJ20エンジンはさすがに古くなってきて、搭載車種もWRX_STIに限られ、主にストロークを長めに取ったFA20型エンジン(スバルBRZまたはトヨタ86やレヴォークに搭載)にバトンタッチが進んでいる。そしてついに、この12月をもって、EJ20エンジンの生産終了が決まり(年内受注分は生産される模様、最後の納車は2020年5月ごろとのことです)、30年の歴史に終止符が打たれることが決まった。
そんなニュースを知って、長い間EJ20エンジンのお世話になった僕が、少なからずセンチメンタルになったのは言うまでもない。最初のインプレッサWRXから、延べで言えば18年のお付き合いだ。スバル・インプレッサ(現行WRX_STI)を何度も愛車に選んできたのは、このエンジンの存在があったからだ。エンジンで言えば、トヨタの2TGにも2台の愛車を通して乗ったことがあったっけ。いいエンジンに弱いのかもしれないですね・・・。
さて、EJ20に話を戻すと、このエンジンの生産終了が決まったとなると、なんとか一番新しいこのエンジンを搭載した車を長く乗りたいという気持ちに駆られてしまう。来年1月には今の愛車インプレッサWRX_STIが車検で満11歳。今までのウチのパターンから行ったら「まだまだ乗れる」には違いないが、さらに2年、あるいは4年引っ張ったときにうまい具合に程度のいいEJ20エンジン搭載車を見つけられるかどうか(できれば値段抑えめで)、運任せには違いない。


そんな折も折、北海道スバルの当家担当営業柏原氏が、タイムリーにも美瑛にやってきた。もちろん、まだ今なら選ぶことのできるEJ20エンジン搭載車を勧めるためだ。彼の本業は営業だから、そうなるのは当然と言えば当然だし、こちらも車検を2か月後に控えて、さらには夏タイヤの新品購入を済ませたばかりで、思うところは多い。聞けば、PCD(ホィールのボルトの位置(円周上に並ぶボルトの、円周の径))が変更になっているので、今使っているスタッドレスタイヤは使えない・・・(タイヤは使えないことないけどホィールは使えないです)。うーん、足かせになるなぁ!
クルマの購入となると、車検のタイミングや北海道ではマストの冬用タイヤの用意(これ、新品だと15万円くらいかかってしまうことも!)と、あれこれ大きな額が必要になりますよね。でもって、いつしかEJ20を載せるクルマはWRX_STIだけになり、一番お手頃グレードでさえ、税込みだと400万円を軽く超える価格。まぁおいそれとはハンコ押せるような代物じゃなくなっちゃいましたので、今しばらくEJ20エンジンに「長い間ありがとう」と言いながら、しばし逡巡してみます。

たぶん次期スバルのスポーツ・カーにはFA20型エンジンが乗るんじゃないかと思う。現実に今ではスバルの主力車種の2000ccエンジンのほとんどはこれです。しかもこの新しいエンジンユニット、少しロングストロークながら滑らかによく回るし、もちろん低速トルクが厚い。
また、FA20型以外にもスバルがこれから世に出すエンジンは、きっと身も心もとろけるような素晴らしいパワーユニットなんだろうと思う。それでも僕が30代半ばで巡り合ったあのEJ20エンジンのインパクトを超えることは絶対にないとも思えてしまう。それほどこのエンジンが素晴らしかったということと同時に、紛れもなく61歳の僕は年老いたということでもありますね、ちょっと悲しいけれども・・・。

2019年11月11日月曜日

美瑛に冬が・・・、でも思いのほか快適です。



季節感が薄れてきて久しい。厳しい夏がいつまでも続き、なかなか秋の爽やかな風が吹かない。でもって台風に悩まされる機会も増え、秋という季節を実感し満喫できる日々がなんだかとても短くなってしまったように思う。
ただし、北海道ではそうでもなくて、今年も秋はしっかり堪能できた。美瑛もしかり。9月下旬の大雪山山系の初雪情報に始まって、だんだん紅葉が山から丘へ降りてきて、落葉松が黄金色に染まるまで2か月近く、秋を楽しむ時間があった。例年通り丘(畑)の豊穣に恵まれて、美味しい野菜たちがテーブルに並ぶのは、本当に嬉しい限りだ。

そんな美瑛の秋も、ある瞬間を境にはっきりと冬へとチャンネルが変わる。初雪と共に秋は終わり、冬がやってくる。雪に覆われた大地には、良くも悪くも秋の余韻はない。40年以上も愛知県で暮らした自分にとって、この初雪即ち冬の到来という劇的な変化は、あわただしくもあるけれども、心がちょっぴりわくわくもする。
10年か15年に1度、あるかわからないけれども、本州でもホワイトクリスマスなる日が、まれに訪れる可能性がある。天気予報でそんな情報が流れても、実際には雪が少し舞う程度で、一面の銀世界になるようなことは40年以上も暮らしたけれども1度もなかったと思う(し、あったらご存知の通り、交通機関は麻痺してしまう)。でも、北海道では多くの地域で真っ白のクリスマスだ。雪がない・・・ということは、温暖化が危惧される昨今においても、ない(たぶん、僕が生きているうちはないともうな。もしあったら農業的には壊滅状態だけど)。とにかく11月に入った頃から雪は降り始めて、11月末か12月早々には根雪になる。

初雪の便りをこうして発信すると(今では多くの人がSNSを使って美瑛の今を発信していますね)、寒さを心配するメッセージを少なからずお受けする。中には北海道を人が住むところではないような場所とお思いの方もいらっしゃる。
自分だって12年前の今頃、果たして無事に初めての冬を乗り越えられるのかどうか不安で仕方がなかった・・・。雪でクルマの運転もままならないし、氷点下10度をはるかに超える(マイナス25℃を下回る日だって10日以上ある)日々の暮らしが、想像すらできなかった。
2007年11月から2008年の3月いっぱい、それは思いのほか快適に過ぎ去った初めての美瑛の冬の生活だった。まず家中を暖かくするから、室内で寒さに凍える心配は全くなかった。さらには氷点下15℃くらいを境に、そこからどれだけ気温が下がっても、体感的にはあまり差が感じられないこと(プラスの方は皆さんご承知の通り25℃と30℃じゃ大違いですし、ましてや30℃と35℃じゃ天と地ほども違いますよね)。そしてなぜか晴れた日はマイナス5℃でも10℃でも外歩いているときに暖かく感じること(愛知県のマイナス2℃の方が絶対寒く感じる!)。でもって、雪に被われた美瑛の丘風景があまりにも綺麗なこと!
大雪に交通マヒすることもあんまりないし、スーパーでは普通に商品が陳列されるし(果物や緑の野菜は、遠路運ばれてくるので少々お高め)、年賀状もばっちり元旦に配達される。

逆に困ったことは何だろう・・・、あ、やっぱりクルマの運転だな。何度かぶつかったりスピンしたり、こすったりしましたよ。でも幸い致命的な事故は起こさなくて済んだし、今はかなり雪道運転にも慣れてきました(雪の降り始めの頃と、春の溶け始めの頃が危ない)。あとは、外出時の準備かなぁ。帽子、マフラー、手袋は絶対必要。防寒具いっぱい身に着けていくから、少々面倒ですし帰って来る時忘れていないか心配(まず、気づきますよ。ないと困るものだから)。

普通の靴をしまい、ブーツや長靴を出すとき。自転車をしまい、除雪用具を用意するとき、
そんなあれこれと一緒に、今年もまた冬の到来をお迎えしています。美瑛の冬、好きだな!

2019年10月29日火曜日

まだここにある「秋」

今年は例年になく秋が長い。北海道の秋と言えば、見る見るうちに過ぎ去ってしまって、気が付けば銀世界・・・というのが僕の持っていたイメージだ。ところが現実に暮らしてみると、そうばかりでもない。四季それぞれに、北海道には北海道の時間がちゃんと刻まれていく。ゆっくりやってくる春も、思いのほか気が早いと感じることもあるし、あっという間に過ぎ去っていく秋が、随分ゆっくり時間をかけて深まっている年もある。

で、今年の秋は本当にゆっくりゆっくりだ。大雪山の初冠雪の便りは例年通り9月下旬にはあったが、ふもとの初雪はどうやら11月を待たないと来ない模様。雨が若干少ないような気がするが、ピンと張りつめたような寒い朝もしばらくはお預けの様なのだ。
そうは言っても北海道の10月末だから、早朝は0℃前後にはなる。マイナス2℃くらいまで下がったこともあるにはあるし、晴れていれば高くても2~3℃くらいまでにはなる。おかげで木々の黄葉は実に見事で、見ごたえがある。
宿屋稼業がなりわいでもあるので、夏はありがたいことにそれなりに忙しいから、風景をめでている暇はない。もちろんここ美瑛の夏の日の朝が美しいことは百も承知だけれども、9月も半ばを過ぎて、朝霧が深く立ち込めるころになるとそわそわする。ちょうどその頃にお客様も一息で、僕自身に景色に勤しむ時間が少しずつ出てくることも関係しているのだろう。たまの休館日(つまりお客様がいない日)の晴れた朝となると、もうじっとはしていられない。こういう時に、つくづく自分は幸せなんだなぁと思う。まさかこの年になってそわそわしたり、わくわくしたりできるとは20年も前には思っていなかった・・・。


今朝もちょうどいい感じで霧が出た。霧が出る日には決まって晴天が待っている。いいお天気の合図のようでもある。しかも霧の日の景色は、見ていて飽きることがない。トマムの雲海テラスに出かけたことは1度もないけれども、美瑛の丘の霧風景は、ちょっとない幻想的で変化にとんだ、素晴らしい景色を拝むことができる。ぼやぼやしていると瞬く間に霧が晴れてしまうから、のんびりしてはいられないのが難点だが、自分の勘を頼りに(ほかに頼れそうなものもないし)あちこち移動しながら景色を見る。
霧の朝のねらい目は二つ。ひとつは白虹(霧虹)で、七色にはならないけれども弓状の円弧が大空を白く彩る。深い霧が晴れていく瞬間に見えることが多く、虹同様に順光側に見える(ので、自分の影が映りこむことが多い)。霧が深すぎても浅すぎても見えないが、深い霧が晴れていく束の間には、ほぼ間違いなく見える。あまり長時間みえているわけではないので、一層大自然の織り成す雄大さを感じてしまう。
もうひとつは霧が低いところにたまっているさまを、高台から見下ろす景色だ。これはまるで谷に白いものがたまっているかのように見えて、そこから丘の上部分が島のように浮かび上がっているようなのだ。このたまり霧風景は少し長い時間見ることができるのだけれども、日の昇る前から霧は出ていて、明るくなると同時に眼前に広がるこの景色もまた、瞬間の美しさに息を飲んでしまう。
とまぁこんなことを追いかけながら、秋の日の朝を忙しく過ごしている。お昼を待たずに眠くなるのでしばし睡魔に負けてしまうのもお決まりだ。


ちなみに今日は午後からも絶景で、棚の奥から久しぶりに70_200ミリのレンズを持ち出した。普段どちらかと言えばやや広角を使うことが多い僕だが、たまにはどうかなぁとダメもとでこの1本も連れ出した。
意外や、100から150ミリくらいの距離が結構いい感じで使えたので、これからしばらく持ち出す機会が増えそうだ。ただしこのレンズ、僕の腕だと少々打率が下がる(いやいや、8割くらい没写真になっちゃってたなぁ、今日は)。それでなくても長めのレンズは手振れしやすいところに、この古いレンズは手振れ補正がない。ちょっと意識しないと、またぞろ手振れ写真の量産をしてしまう。
クルマの運転もそうだけれども、新しい補助機能がいろいろと操作・操舵に介入してきて、最初は「いらんお世話だ」なんて息巻いていたのに、気が付けばすっかりその恩恵に浴している。クルマのバックカメラなんて最たるもので、はじめはうっとうしいくらいに言っていたのに、いまではないと不安で仕方がないのだ。まだマニュアル・シフトのドライヴ・フィールをよしとしているが、何年かしたら「AT以外は無理だ」と言っているかもしれない。


レンズに戻ると、この古いレンズはかれこれ20年近く前に手に入れたものだと思う。当時(つまり2000年頃だと思うけど)僕はそれこそ使い古した1眼レフカメラを引き出しの奥から引っ張り出して、初心者のカメラ教室なるものに1度だけ通ってみたことがあった。あの時写真を撮影するための何かを“学んだ”記憶は残念ながらないのだが、カメラやレンズそのものについては知識がついた。当時僕が持っていたカメラはEOS Kissというちょっぴり恥ずかしいような名前のカメラで、一番初心者向きのカメラだったけれども、マクロレンズやこの70_200を着けると、あっと驚くような写真が撮れたもんだからすっかりカメラメーカーの策に嵌ってしまったことも思い出した。

メモ:
撮影は2019年10月中旬から下旬(28日)
Canon EF70_200 F4L(初期型ゆえ、ISはない)。このレンズ、いちおうまだ現役で新品の購入ができるけれども、断然手振れ補正付きの弟分の方がいいと思うな。