2019年11月16日土曜日

名機EJ20


webCGより引用。


EJ20と聞いただけで、それがスバルのエンジンの形式番号だとわかる人はそんなにいないんじゃないかと思う。1989年、初代レガシーに搭載されたのを皮切りに、現在まで30年間ものロングスパンで生産され続けた、稀有なエンジンだと言っていいんじゃないだろうか・・・。

EJ20の真骨頂は、世界ラリー選手権での王者獲得だ。もともとスバルは4WD車の量産は先駆で、アウディより早い1980年にレオーネでこの世界ラリー選手権(WRC)に初挑戦。1990年にはレガシー+このEJ20エンジンで本格参戦して1993年に初優勝。1995年にはコリンマクレーの駆るインプレッサがドライバーズ・チャンピオンを獲得した。このあたりの詳細は、ググればいろいろな所(例えばこちら)で見つけられると思うのでそちらに譲る。

この世界ラリー選手権におけるスバル・インプレッサ+EJ20エンジンの活躍で、僕自身がこの車に興味を持ち、1996年に紺色のスバル・インプレッサWRXを新車購入。6年半後の2002年の春、また新型の真っ白いインプレッサWRX_STI RAなる競技用車両のベースグレードを後継として手に入れて(この頃には、もうラリーなどをやる予定はなかったけれども)5年半の歳月を共にした。


美瑛町への移住のために、移住資金にすべく売却してしまったけれども、インプレッサ&EJ20エンジンへの思いは途切れることなく、2013年にまたインプレッサWRX_STIを再購入して今でも乗っている。

僕自身、いろいろな愛車と共に過ごしてきた中で、可能な範囲で特定のメーカーに固執せず、いろいろな車種のクルマたちとお付き合いしてきた。スバル・インプレッサは特別で今まで、時代は変わってスペックも変わったけれども、唯一2回以上乗った車だ(今の愛車で3台目!)。

そのEJ20エンジンはさすがに古くなってきて、搭載車種もWRX_STIに限られ、主にストロークを長めに取ったFA20型エンジン(スバルBRZまたはトヨタ86やレヴォークに搭載)にバトンタッチが進んでいる。そしてついに、この12月をもって、EJ20エンジンの生産終了が決まり(年内受注分は生産される模様、最後の納車は2020年5月ごろとのことです)、30年の歴史に終止符が打たれることが決まった。
そんなニュースを知って、長い間EJ20エンジンのお世話になった僕が、少なからずセンチメンタルになったのは言うまでもない。最初のインプレッサWRXから、延べで言えば18年のお付き合いだ。スバル・インプレッサ(現行WRX_STI)を何度も愛車に選んできたのは、このエンジンの存在があったからだ。エンジンで言えば、トヨタの2TGにも2台の愛車を通して乗ったことがあったっけ。いいエンジンに弱いのかもしれないですね・・・。
さて、EJ20に話を戻すと、このエンジンの生産終了が決まったとなると、なんとか一番新しいこのエンジンを搭載した車を長く乗りたいという気持ちに駆られてしまう。来年1月には今の愛車インプレッサWRX_STIが車検で満11歳。今までのウチのパターンから行ったら「まだまだ乗れる」には違いないが、さらに2年、あるいは4年引っ張ったときにうまい具合に程度のいいEJ20エンジン搭載車を見つけられるかどうか(できれば値段抑えめで)、運任せには違いない。


そんな折も折、北海道スバルの当家担当営業柏原氏が、タイムリーにも美瑛にやってきた。もちろん、まだ今なら選ぶことのできるEJ20エンジン搭載車を勧めるためだ。彼の本業は営業だから、そうなるのは当然と言えば当然だし、こちらも車検を2か月後に控えて、さらには夏タイヤの新品購入を済ませたばかりで、思うところは多い。聞けば、PCD(ホィールのボルトの位置(円周上に並ぶボルトの、円周の径))が変更になっているので、今使っているスタッドレスタイヤは使えない・・・(タイヤは使えないことないけどホィールは使えないです)。うーん、足かせになるなぁ!
クルマの購入となると、車検のタイミングや北海道ではマストの冬用タイヤの用意(これ、新品だと15万円くらいかかってしまうことも!)と、あれこれ大きな額が必要になりますよね。でもって、いつしかEJ20を載せるクルマはWRX_STIだけになり、一番お手頃グレードでさえ、税込みだと400万円を軽く超える価格。まぁおいそれとはハンコ押せるような代物じゃなくなっちゃいましたので、今しばらくEJ20エンジンに「長い間ありがとう」と言いながら、しばし逡巡してみます。

たぶん次期スバルのスポーツ・カーにはFA20型エンジンが乗るんじゃないかと思う。現実に今ではスバルの主力車種の2000ccエンジンのほとんどはこれです。しかもこの新しいエンジンユニット、少しロングストロークながら滑らかによく回るし、もちろん低速トルクが厚い。
また、FA20型以外にもスバルがこれから世に出すエンジンは、きっと身も心もとろけるような素晴らしいパワーユニットなんだろうと思う。それでも僕が30代半ばで巡り合ったあのEJ20エンジンのインパクトを超えることは絶対にないとも思えてしまう。それほどこのエンジンが素晴らしかったということと同時に、紛れもなく61歳の僕は年老いたということでもありますね、ちょっと悲しいけれども・・・。

2019年11月11日月曜日

美瑛に冬が・・・、でも思いのほか快適です。



季節感が薄れてきて久しい。厳しい夏がいつまでも続き、なかなか秋の爽やかな風が吹かない。でもって台風に悩まされる機会も増え、秋という季節を実感し満喫できる日々がなんだかとても短くなってしまったように思う。
ただし、北海道ではそうでもなくて、今年も秋はしっかり堪能できた。美瑛もしかり。9月下旬の大雪山山系の初雪情報に始まって、だんだん紅葉が山から丘へ降りてきて、落葉松が黄金色に染まるまで2か月近く、秋を楽しむ時間があった。例年通り丘(畑)の豊穣に恵まれて、美味しい野菜たちがテーブルに並ぶのは、本当に嬉しい限りだ。

そんな美瑛の秋も、ある瞬間を境にはっきりと冬へとチャンネルが変わる。初雪と共に秋は終わり、冬がやってくる。雪に覆われた大地には、良くも悪くも秋の余韻はない。40年以上も愛知県で暮らした自分にとって、この初雪即ち冬の到来という劇的な変化は、あわただしくもあるけれども、心がちょっぴりわくわくもする。
10年か15年に1度、あるかわからないけれども、本州でもホワイトクリスマスなる日が、まれに訪れる可能性がある。天気予報でそんな情報が流れても、実際には雪が少し舞う程度で、一面の銀世界になるようなことは40年以上も暮らしたけれども1度もなかったと思う(し、あったらご存知の通り、交通機関は麻痺してしまう)。でも、北海道では多くの地域で真っ白のクリスマスだ。雪がない・・・ということは、温暖化が危惧される昨今においても、ない(たぶん、僕が生きているうちはないともうな。もしあったら農業的には壊滅状態だけど)。とにかく11月に入った頃から雪は降り始めて、11月末か12月早々には根雪になる。

初雪の便りをこうして発信すると(今では多くの人がSNSを使って美瑛の今を発信していますね)、寒さを心配するメッセージを少なからずお受けする。中には北海道を人が住むところではないような場所とお思いの方もいらっしゃる。
自分だって12年前の今頃、果たして無事に初めての冬を乗り越えられるのかどうか不安で仕方がなかった・・・。雪でクルマの運転もままならないし、氷点下10度をはるかに超える(マイナス25℃を下回る日だって10日以上ある)日々の暮らしが、想像すらできなかった。
2007年11月から2008年の3月いっぱい、それは思いのほか快適に過ぎ去った初めての美瑛の冬の生活だった。まず家中を暖かくするから、室内で寒さに凍える心配は全くなかった。さらには氷点下15℃くらいを境に、そこからどれだけ気温が下がっても、体感的にはあまり差が感じられないこと(プラスの方は皆さんご承知の通り25℃と30℃じゃ大違いですし、ましてや30℃と35℃じゃ天と地ほども違いますよね)。そしてなぜか晴れた日はマイナス5℃でも10℃でも外歩いているときに暖かく感じること(愛知県のマイナス2℃の方が絶対寒く感じる!)。でもって、雪に被われた美瑛の丘風景があまりにも綺麗なこと!
大雪に交通マヒすることもあんまりないし、スーパーでは普通に商品が陳列されるし(果物や緑の野菜は、遠路運ばれてくるので少々お高め)、年賀状もばっちり元旦に配達される。

逆に困ったことは何だろう・・・、あ、やっぱりクルマの運転だな。何度かぶつかったりスピンしたり、こすったりしましたよ。でも幸い致命的な事故は起こさなくて済んだし、今はかなり雪道運転にも慣れてきました(雪の降り始めの頃と、春の溶け始めの頃が危ない)。あとは、外出時の準備かなぁ。帽子、マフラー、手袋は絶対必要。防寒具いっぱい身に着けていくから、少々面倒ですし帰って来る時忘れていないか心配(まず、気づきますよ。ないと困るものだから)。

普通の靴をしまい、ブーツや長靴を出すとき。自転車をしまい、除雪用具を用意するとき、
そんなあれこれと一緒に、今年もまた冬の到来をお迎えしています。美瑛の冬、好きだな!