2019年9月25日水曜日

とにかく・・・、頭が下がる。



8月23日、僕が時折更新している当館「四季」のFacebookページにメッセージが入った。台湾の林さんという方から、リクエストをいただいた。何しろ英語の読解力(会話力も)がすぐれているとは言えないので、正確なご要望の機微の部分までは理解できなかったのかもしれないが、要は住み込みで働きたいということだろうと理解した。

8月も下旬になれば、まだ繁忙期の余韻が残るとはいえ、忙しさの波の高さは少し収まってくる頃だ。増してや林さんが希望する9月初旬からのご希望となると、正直来てもらわなくたって、なんとかまわせないことはない。
文面に金銭面の希望(どころか金銭面に関する一切合切)の表記がなかったのだけれども、タダ働きしてもらうつもりはないので、北海道の最低賃金くらいはお支払いしなくちゃいけないなぁなどと考えてみた。あれこれ逡巡しては見たものの、こういうお申し出をお断りする、ということがちょっぴり残念に思うので、とにかく来ていただくことに決めて返事を翌日のうちに出した。
ほどなく返事が来て、9月3日から11月3日までが希望だという。女性で31歳、相変わらず金銭面のことには触れられていないことと、どうしてヤマほどある宿泊施設の中から当館に目星をつけたのかはわからないままだった。

実は似たようなケースは、今までなかったわけではない。中でも4年前にシンガポールからやってきた、フェニックスという娘(当時29歳)も、やはり突然ウチを指名しての来館だった。そもそも当方は、繁忙期にはスタッフ確保に苦戦してはいるものの、求人は出していない(今までも1度も出したことはない)。それなのにフェニックスは(そして今回の林さんも)ヘルパーとして住み込みたい・・・と申し出てくるのだ。
フェニックスは就労ビザがないので、お金はいただくつもりがないと最初に言ってきたので、それこそポケットマネー的に支払った。とにかく彼女は間に合う娘で、機転は利くし覚えは早いし、見目麗しいし、皆に可愛がられる性格美人でもあった。今度の林さんもそうであったらいいなぁ・・・と思いながら、気が付くともう9月3日なっていた。

その日、台湾台北市(400万都市)から、わずか1万人に満たない小さな我が町美瑛町に、彼女はやってきた。大きなスーツケースは、今までに持ったことがないくらいに重い。若い娘が2か月間も暮らそうというんだから、それなりの荷物になっても仕方がないなぁと思いつつ、彼女を部屋に案内した。
彼女が来て、早いものでもう3週間目になる。果たして彼女もフェニックス同様、すごく間に合うスタッフだ。聞けばウチに来る前にトマムのホテルで働いていたというから、多少は鍛えられてはいたのだと思うが、それにしても何をやらせてもソツなくこなすし覚えも早い。これまたフェニックス同様、日本語がほぼできない点が玉に瑕と言えば瑕だけれども、コミュニケーションなんて、取ろうと思えばどうにだってなる。

僕にとっては願ったり叶ったりってことになっちゃうわけだが、彼女からしたらどうなんだろう・・・?31歳と言えば、十分に大人ではあるけれども、世の中を、あるいは人生を知り尽くした、と言えるほどの年齢ではない。増してや言葉の分からない外国に、そして会ったこともない経営者のもとに、女性一人で住み込みで働くというのだ。
たまたまウチには空いている客室があったので使ってもらうことにしたが、場合によったら相部屋で、ということだってあり得たし、そうなったら部屋の同居人との相性だって気になるところだ。考えようによっては「危険がいっぱい潜んでいる」可能性がある中、それを乗り越えて彼女はやって来て、しかも身を粉にしてとてもよく働く。
最近になって分かったことは、彼女は台湾で小学校の先生をしていたということ。さて、僕自身は31歳の頃、どう生きていただろう?会社を辞して飛び出す勇気も野心もなかったし、勤めていた会社のポジション以上にいい待遇の働き先を見つける自信さえなかったように思う。増してや言葉の分からない外国に、一人で飛び出していくなんてありえない話だ。一方彼女は日本の北海道に夢を描き、与えられた仕事は精一杯こなし、時折微笑むけれども、怒ることも悲しむこともない。たまのお休みには自転車で丘へ出かけ、何時間も景色を眺めていたり、スタッフに連れられてスーパーのお菓子の安売りに歓喜してみたりと、どう見ても充実した毎日を送っている。

彼女(やフェニックス)を見ていると、ちょっぴり羨ましくも思うけれども、大いに元気をもらっているのも確かだ。あの頃の僕にはできなかった自分に精一杯生きる、が31歳にして、もうできているのだ。
どうやら彼女は自分の個性を生かしてイラストレーターになりたいようだ。精一杯生きる彼女が、その夢を実現してくれると嬉しい。いや、彼女にしてみたら、そうできない道のりさえも楽しい人生の1ページに違いない。僕には子供がいないんだけれども、娘ほども年の離れた彼女に、正直頭が下がってしまう。でもいいのだ、僕だってこうして、精一杯生きることを学んで今があるんだから・・・。あしたも、がんばろう!

2019年9月21日土曜日

苦い想い出。


まだ35歳くらいだったと思う。僕は、かなり思い上がったビジネスマンで、その日何度目かの商談に臨んでいた。
名古屋に出来る大きなホテルの客室の内装を、営業が請け負ってきて(ビッグ・ビジネスだった、よくやってくださいました)、その値段交渉が山場を迎えていた。何しろ700室に届こうかと言うホテルの客室には、デスクや鏡、ちょっとしたクローゼット、ナイトテーブルにチェストといったたくさんの調度品が必要だった。ベッドこそ他社に持っていかれてしまったけれども、それ以外を押さえた点は営業のクリーンヒットに違いなかった。
少し補足説明をすると、ホテルにはオープンの予定日があるし、これだけの数の客室数の調度品を、それ相応の出来栄えでやりきることのできるメーカーは、数えるくらいしかなかった。増してや営業サイドでウチに決まった物件だ。この時点では、ライバルなしの状況と言えなくもなかった。僕は営業サイドに負けないくらいにクリーンヒットを飛ばそうと、無意識のうちに気負ったに違いない。

いざ、値段交渉のテーブルに着くと、また前回同様の無理難題を、施工を請け負った会社のデザイナーが持ち出してきた。
営業が落としたビジネスには、当然のことながら納期と価格と品質が事細かに決められていた。ただし、仕事を出す側(ホテルに委託された施工業者)と受ける側(こちらが私の所属するメーカー)に、ある程度の裁量を任された部分があった。それがデザインに関することであったし、デザイン次第で使う材料も変わってくるし、材料が変わればコストも変わるという次第だった。
可能な限り素晴らしい出来栄えの商品を、納期通りにお納めする・・・ことが求められていることは百も承知していたけれども、受ける僕たちとしては、コストは押さえたい(すでに価格は決まっているので、コストを抑えれば残る利益は増える)のがホンネだ。
幸いいろいろな細かい打ち合わせで、使う金具だとか色だとか・・・、に関してはこちらの提案を受け入れてもらっていたのだけれども、主材料である木部に関して、どうしても高額な材料をお使いになりたいとおっしゃるのだ。

いくらこちらの提案をほぼほぼ受けてくださっても、主材料にメープルを使えと言われると、こちらの利益は大幅に削られてしまう。まだ経験がそれほどあるとは言えない先方のデザイナーさん(要は若い女性デザイナーなんだけど)の言い分をなるべく説明していただいた結果、単なるデザイナーさんのお好みであることが判明した。
デザイナーたるもの、自身のデザインにお好みを盛り込むのは当然と言えば当然ではある。そこまでは当時のまだ若いガキの僕にもわかっていた。が、このデザイナーさんがお好みなのは、メープルの持つ風合いや性質、そしてメープルと言う木が持つ特徴ではなさそうで、むしろメープルと言う響きにこだわっていらっしゃることが掴めた。
つまり「木」そのものはどうでもいいけれども、メープルと言う名前は譲れないと言うわけだ。そんなへんてこなこだわりに、こちらの利益が半減してしまうのはいくらなんでも理不尽だ。

その日僕は、あるサンプルを携えて、この難題をクリアしようと交渉に臨んでいた。メープルの他にいくつかの木材サンプルを用意し、デザイナーにお選びいただこうと内密に持ち込んだのだ。
あまりぱっとしているとは言えない木目のメープルを、これまたメープルに合っているとは言えない塗装をしたサンプル。そして似たり寄ったりの他の木材を使ったサンプルを3点。もうひとつ、こちらの(と言うよりは僕の)おススメのブナ材のサンプルの5点を、おもむろに取り出してデザイナーに見せた。
いくらデザイナーと言ったって、メープルがどういう木目をしているかくらいはご存知であろうと思いつつ、ブナ材はメープルぽい雰囲気に仕上げておいたのは言うまでもない。

果たしてくだんのデザイナーさんは、こちらが想定していたよりもはるかに「木材」に関してはシロウトで、あまりにもあっけなく僕が用意した代替案のブナを、自信なさげにお選びになった。
思い上がりも甚だしい当時の僕は、勝ち誇ったように、もしかしたら蔑むくらいの勢いで、暗に相手を罵倒するかのような言い方をしていたのだと思う。「ね、こんなことですよ!」と。4回目か何かの商談で、僕は相手をいわば力ずくでねじ伏せて、こちらの思い通りの材料で生産に入る承諾を取り付け、意気揚々と会社に戻り、上司に報告してうきうきと帰宅したように思う。

翌日、午前の時間帯に、僕は上司から個別に呼び出された。もちろんこの一連の商談に関することだった。先方は決まったことを覆すことはしないけれども、今後商談に僕を出してくるなということだった。上司のニュアンスからは、もし可能であればこのビジネスを他社へ乗り換えたい思いが、先方の意向に滲んでいるようでもあった。
もちろん納期等からそれは不可能なので、商談そのものが消えてなくなることはなかったし、僕が取り決めた仕様によって、かなり「いい仕事」として利益が残ることは間違いなかった。
と同時に、僕の会社が失ったものも大きかった。それは「信用」かもしれないし、ビジネスパートナーとしてお選びいただけるかという問いに「ノー」を突き付けられるような商談をしてしまったことだ。

いま、25年くらいも昔のことに思いを馳せて、どうしたら良かったのだろうともう一度考えてみる。まず、先方のデザイナーさんも、僕同様にはじめての(に近い)お仕事で、それなりの実績を残したかったのかもしれない。で、そのシンボルが「メープル」だったのではないだろうか・・・?
とすると、お客様である彼女の顔を立てるために、いくばくかのメープルを要所・要所に配することはできたんだと思う。多くのパーツは僕が提案するブナ材をお使いいただき、客室の「顔」となるところに(例えばチェストの引き出しの板などに)数か所でもメープルを使い込むことで、こちらの利益をあまり落とすことなく、先方の想いも(しょせん木材のことがあんまりお分かりでなかったんだし)叶えられたことだろう。

ひとり勝ちに、いいことなんてあるわけがない。この年になってみると、そう思い知る。お互いに譲れる範囲と言うものが、何にだってある。そこを理解しあいながら、より良い着地点を探すことが必要だ。
それは妥協ではないのか(妥協点を探っているのではないか)、と言われるかもしれないが、そうばかりでもない。お互い譲れる範囲がある程度掴めれば、思い切った第三の着地点に行きつくことだってある。そこを折れてくれるのなら、こんなことができますよ、と言う具合だ。何も相手の言い分をへし折ることばかりがビジネスじゃない。