2021年4月20日火曜日

東風吹かば・・・

 匂いおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな

美瑛も花の季節になって来ました。これは超有名な、菅原道真の詩(うた)ですよね。大宰府に左遷された道真が、都(京)の我が家に残した梅の花に向けて想いをつづった・・・と認識していたのですが、まったくの誤認。道真が、京の自宅を出立するときに庭の梅を前に詠んだ句、ということのようです。

この詩に、ちょっと思うところが2つありまして、それを書いてみようかな。

ひとつ目は、道真も雇われの身。組織のおきてには抗うことは許されず、京から九州の大宰府に、いわば更迭される様子がこの詩に滲んでいます。案外さっぱりした気分で旅立ったのかもしれないし、未練に復讐心の炎を燃やしながらの出発っだったのかもしれない。真実は、わからないですよね。醍醐天皇にまつわる政争、まぁ今風には派閥争いなのだろうか?とにかく右大臣にまで昇りつめた道真も、左遷。

これって、今の世の中にもまるっきり同じようなことがあって、いつまでも似たようなことが続いて進歩しないとも思えるし、人の集まる組織においては、派閥争いは必定なのか(つまり組織における不可避な真理なのか)とも思えます。かく言う(書く)私自身も、25年も会社勤めをやりましたから、この手のあれこれと無縁ではいられませんでした。幸い自分自身が左遷の憂き目を見なくて済んだのは、ただただ運だけが良かったことと、そんなに昇りつめなかったことが原因でしょう。それでも、周囲の人たち(お仕えしていた上司とか、辞めた後の同僚や後輩たちが)、いろいろな形で失脚したり、栄転したりを聞くにつけ(辞めて15年目だと言うのに、まだ聞き及んでいる私!)、この道真の詩に普遍的な何かを感じないではいられません。と同時に、会社組織を辞して小さな小さな会社の経営者になった今、この手の気遣いとは無縁の日々。その代わり、経営者としての責務は荷が重いわけですが、組織の中の世渡りが好きではなかった(でも、結果うまいこと世渡りはしてきた)自分は、組織を脱したことは、良かったと感じています。

もうひとつは、道真が心配するまでもなく、梅の花は季節を絶対に忘れないと言うこと。人は忘れ物をしますが(僕もいっぱいします!)、自然界の命あるものは、忘れ物なんて絶対しない。

今(2021年4月下旬)、巷では(世界的に)コロナ狂騒曲が吹き荒れていて大変ですが、ここ美瑛でも春の花たちが目を覚ましました。可憐に咲いているのは、気の早いのはクロッカス、そして福寿草。もうすぐ見ごろを迎えるのが、カタクリやエゾエンゴサク。たぶんGWを待たずに満開ですかね、今年は。すぐ後にミズバショウも続いて、しばらくしたら桜も・・・。桜の開花は、今年は早くて5月早々のようです(満開はGW後半)。

例年は、お客様をお迎えしていて手一杯のGWも、今年はたっぷり時間がありそうなので、思い切って旭川のカタクリの大群生地に、ゆっくり出かけてみようと思います。酒造で有名な男山さんが管理する突哨山。

https://www.otokoyama.com/blog/park

なんでも男山さんもコロナ禍で売り上げ激減で、今年はカタクリの一般公開まで余力がないので、中止・・・するつもりだったようですが、一般からの寄付が集まって、例年通り公開できる運びになったようです。僕も行ったら1本お酒を購入しようっと!


2021年2月7日日曜日

パンを焼く、この心躍る豊かな時間。

 コロナ禍で、あれこれ事情が変わってきた。なんといってもお客様がいらっしゃらない(来ることができない(特に海外の方は))。お役所も、これじゃヤバいとばかりにあれこれと施策を打ち出している。こんな経験は滅多にないので、たまには「えー?」と唸るような施策も発令されてしまう。

そのひとつが、美瑛町が町民に配布した「宿泊クーポン券」だ。全町民にお買物クーポンとともに、宿泊クーポン3,000円を配布したのは、昨年の5月の頃だったと思う。しかし実際に受け取ってみると(私も美瑛町民として)、使うのはちょっとビミョーだ。わが町民が、わざわざ町内の宿泊施設に泊まるだろうか・・・?例えば何かの記念日に、ご夫妻で泊まって2人で6,000円のクーポンがあるのは確かに嬉しい。かなりいいワインなんか飲もうかな・・・なんて思えなくもない。とは言うものの昨年12月が期限だったこの宿泊クーポン、消化率(利用履歴)はおよそ4割りらしい。あわてて利用期限をこの2月まで伸ばしたが、ウチも2枚とも(家族全員分)、まだ使わず仕舞いだ。

6月だったか、やんわりと宿泊施設側に「使う場を工夫してはどうか」的なサジェストが町から、観光協会から、あった。発行元の町は、宿泊施設に対する刺激策だったので、宿で何か買うのに充ててもいいということだった。ちょっと浅はかな施策だったとは思うけど、もう世に出てしまったモノは仕方がない。ウチで何買っていただけるだろう・・・?と1週間くらい考えてみたのだけれど、消去法的に残ったのがライセンスもある、パンの小売りだ。宿泊券で、パンを購入していただいてはどうだろう・・・。1枚3,000円の宿泊券だから、回数券方式でやってみようと思い立った。


パンについて、語れば長い。ので、ざぁーっと端折って、2000年ころからの想い出にお付き合いいただきたい(って、あまり端折っていないか!?)。確かまだお正月のお休みの、後半だったと思う。僕は200枚ほどある年賀状に目を通すともなく眺めていた。上司、同僚、部下たち・・・に始まって、お取引先、お客様、外注さんなどなど。そのほとんどは勤めている会社関係からのものだった。時折学生時代の恩師や同級生のものが混じるが、せいぜい2割もあっただろうか・・・?おせち料理も堪能しきったことだしと、コーヒーを飲みに休み明けで始まったカフェへ向かう道すがら、目に飛び込んできたのは「パン教室」の4文字の刻まれたポスターだった。

すでに40歳を過ぎて、それなりに責任あるポストにも就かせていただいていた自分は、当然と言えば当然だけれども会社だらけの人生にまみれていた。後悔はない・・・つもりだったけど、いずれ会社から去る時が来たら抜け殻みたいになってしまうのだろうか?そんな不安がゼロだったと言えば嘘になる。そして「仕事ではない何か」を無意識に求めていた僕の目に飛び込んできたのが「パン教室」のポスターだったのだと思う。

果たして、見学もできますと言うお誘いに乗ってみたものの、有閑マダムのサロンと化したその場所は、企業戦士の僕の居場所ではないと思い知らされ、早々に退散する羽目に・・・。なったのだが、店員さんの「男性教室もありますよ」の一言が決定打になって、その月の男性教室には、前のめりになって入会した僕の姿があった!


パンが焼ける、明けたオーヴンから立ち上る香りを嗅いだ時、僕はパン教室入会がどれほど正解だったかを確信する。美味しいパンが好きだ。そしてこの、小麦が焼ける香ばしい匂いの甘美なこと♬

数回出席するうちに、その男性教室にいらっしゃる先輩たちが、皆気さくで気づかいのある方たちばかりだったことにも気づく。加えて先生をしてくださるのは全教室(ジャパン・ベーキングスクール)のワルツ部門トップの片桐先生だ。なんでも男性教室は屁理屈を言う生徒が多いらしく、パンの理論(はっきり言って、生化学反応)に多少は詳しくないと、意地悪な質問にも答えにくい。ちなみにパン教室の同僚先輩方は、自動車メーカーの技術屋、画家、市会議員、高校教師・・・とまぁ多彩な人たちだった。

正直先生の指導は厳しかった。おかげで出来上がるパンは、いつもすごく美味しかった!パン教室にとって生徒はお客さまだから、ともすると先生は生徒の顔いろを気にしてしまうのではないか・・・?なんてことは微塵もなく、座学含めて常に向上心を持ってパン作りに向き合うことを強いた。最初の半年ほどは、僕は劣等生で、理論に加えて、成型における技術部分でも先輩たちに大きく後れを取っていた。まぁ仕方がないと自覚していたが、しばらくのうちに先生から「いつまでこの程度のことができないままなのか!」と叱られ始め、ちょっと面食らってしまった。でも、なぜかまったく「嫌だな」とか「もう辞めたいな」とは思わなかった。むしろ、もっと美味しい美しいパンを焼こうと、だからもっと教えてもらおう、ということが多かった。日頃は中間管理職真っただ中の僕にとって、いち末端生徒になってひたすら先生の指導を仰ぐのは、妙に心地よかった。そして何よりも片桐先生は、ご自身がパンに、常に真剣に向き合っていた。

いま、もう15年もパンを焼く日々を過ごしながら改めて感じているのは、パン作りの奥深さだ。正直、パンを作るためのレシピはおおむね単純なものだと言えるだろう。ケーキや料理と違って、扱う素材は両手の指ほどには至らない。しかしわずかな製法の違いが(時には手抜きみたいなことが)、決定的に完成したパンに影響する。ちょっとした時間の長短や、温度の違いで、すぐにパンは拗ねてしまう。
そうかと思えば、”しまった”と焦る気持ちをなだめる様に、”大丈夫だよ”と何事もなかったようにちゃんと焼きあがることもある・・・。

愛読書に「パン屋の仕事」という本がある。この本の著者、明石克彦氏よれば「レシピの字面に現れない、繊細なパン作りのあれこれ」をすくい取る心配りがないと、美味しいパンは焼けないらしい。この本との出会いは、岐阜県高山市の老舗パン屋「トランブルー」だ。私の師、片桐先生が、ただひとり「あの人はすごい」と言った孤高のパン職人成瀬正氏のお店。トランブルーのことを話し出したら、さらに話が長引いてしまうので、このあたりで・・・。とにかくそんなあれこれと片桐先生に感謝しながら、今日も美味しいパンを焼く。はっきり言って、これはコロナ禍のくれたささやかな至福の時間でもある。


2020年6月11日木曜日

モノづくりの、大きな変化に見える、クルマの未来。


愛車の1台、スバル・クロスオーバー7が購入して3年たち、1回目の車検になった。なくてもいいかな、と思ったが代車を1泊借りることにした。なんでもいいから乗ったことのない車に乗る、そういうことが好きなのだ。

お借りできたのはスバルの(当然スバルの可能性高いわけで)ジャスティ。リッターカー(996.c)のスバルでは最もコンパクトなクルマだ(軽は除く)。「代車はこちらです」と引き渡されたその車、ぜーんぜんスバルの気配がしない。ありゃ?これっすか???まだ新しい(こちらも1回目の車検が終わった直後だった)、走行距離1万キロに満たない代車は、どう見てもトヨタに見えた。
これって、ダイハツですか、と尋ねると「よくご存じで」と返ってきた。聞けば4兄弟。トヨタのタンク/ルーミーとダイハツのトール、そしてこのスバル・ジャスティをまとめてダイハツが生産・供給している。予習はこれくらいにして、旭川の永山の営業所から32km離れた美瑛に戻ってきた。


最初に違和感がいっぱいあった。まずポジションが決まらない。ハンドルに程よく近づけると、足が窮屈。逆もしっくりこない。ハンドルにテレスコピック機構なんてないから、仕方なく中間で妥協。すぐに出したウィンカーのレバーも節度感がない(要はカチッとしていない)。アクセル踏んでもあんまり加速しないし、ブレーキも初期制動は緩い。コーナリング時の、ロールはまぁ自然だなぁと思うのでOKだけど、背が高い(173cmもある)から、少しスピード出てるとちょっと怖い(でも、問題なくコーナリングしていきますけどね)。ほんわか、と言えば言えなくもないが、全体としてもっさり感満載の代車君に、うーん、ちょっとストレスたまるかもなぁーってのが第一印象だった。
そうこうしながら美瑛に接近する頃には、そこそこジャスティ君の人となり、ならぬ車そのもの、に慣れてきた。ドライヴィング・ポジションだけはしっくりこないけれども、四角くて取り回しのいいコンパクトなボディは扱いやすい。ブレーキもクセを心得ておけば、無理なく制動可能だ。でもって、とにかく広い。後部座席に3人乗れる5人乗りなのだが、たぶん余裕で乗れちゃうと思う。それでもって荷室もまぁまぁある。シートヒーターやバックカメラに加えて、アラウンド・ビューモニターも付いていた。アイドリングストップもするし、調べたらACC(クルーズコントロール機能)もそれなりに稼働するらしい。


今日20日、愛車の車検が終わって引取りに、つまりジャスティ君を返しに行く。ドラポジ以外にはほとんど違和感なし、不満もあんまりない(加速が悪いのはちょっと・・・)。むしろ、これで十分満足だな、とおおいに高評価している自分がいて、ちょっと不思議な気分でもあった。ついでに調べてみたら、価格はおよそ170万円(新車価格)。大人気のホンダNBOXとか、スズキハスラーのマイルドハイブリッド車とほとんど同額だ。これら軽にはない、抜群に広い室内を見せつけられると、さらに高評価したくなってしまう。

今やホンダを除いて、日本車はOEMが入り乱れて、どこがどの車を作っているのか判然としない。スズキはあちこちに軽自動車を供給しているし、スバルとトヨタとダイハツは、もうはや1つのグループ会社のようだ。もしスバルが単独でジャスティを作っていたら、たぶん全然違うクルマに仕上げていたと思う。それはもちろん興味があるし、きっと少しは僕好みだった可能性が高いが、50万円くらい価格アップになっていたのも間違いないと予想する。
そんなこんなで、クルマを例にしてみたら、モノづくりの共通化、大連合化というものが進んでいると思う。個性がなくなって悲しいと思わないでもないが、ちゃんと個性派の車は残されている。例えばトヨタは今年になってヤリス(旧ヴィッツ)GRの予約受付を開始した。ヤリスGRは、ラリーに徹した車づくりで、カタログ商品のヤリスとの共通部品は少ない。顔こそヤリスだけれども、ヤリスにはない2ドアクーペのボディで、ルーフラインからして全く別物に仕上がっている。当然ドア1枚からオリジナルだ。残念なのは、ヤリスGR398万円(ジャスティの倍以上)することだ。専用にモノを作ると当然のことながら高くつく。

車検の終わったクロスオーバー7を運転して美瑛に戻る。ブレーキの効きが良すぎて(ジャスティと比べてそう感じただけなんだけど)、前につんのめってしまう。今度は発進時に加速させ過ぎて、自分でびっくり・・・。もっとも帰るまでにはすっかり慣れたから良かった。
たぶんこれからクルマも大半の車は白物家電化が進んで、個性はなくなる。と同時に今より少し安くなる(と思う)。その一方で個性派のクルマたちは生息数を減らして輝きを放つと思う。個性を主張するのが高くつくのは今も昔も変わらないから、個性派の車を選びたければ、少々ストイックな人生を歩まなくちゃいけないかもね・・・。当方現在は個性派の車ぞろい故、これからどうするか方針決めなくちゃいけない。幸いどの車もまだ比較的新しいので、あと2,3回車検受けても健在のはずだ。

クロスオーバー7の車検、思いのほか安く済んだ。およそ12万円。新車時にらくらく点検パックなるものに入っていたので(入れさせられちゃったかなと思わないでもなかった)、57,800円が引かれて、およそ6万円の出費。ちょっと嬉しい♬

2020年6月10日水曜日

PC最新事情って・・・?、そんなに詳しくはないけれども。


何年ぶりだろう、当館のメインPC(デスクトップ)を刷新した。だいたいにおいて、定期的に、あるいは計画的にPCをリプレイスすることって、個人の家レベルで(または個人経営者レベルで)あるだろうか・・・?確かに1995年前後頃の、PCテクノロジーの百花繚乱時代には、新しいCPUが出たからとか、OSの最新版が出たからという理由でPCを新調したことはあった。当時、PCにまつわるいろいろなパーツやソフトはずいぶん高額だった。自分のルーツはNECの人気シリーズPC98まで遡るけれども、1995年くらいから2000年くらいまで、多様なテクノロジーがPCを年ごとに刷新していて、目が離せなかった。今や記憶もかなりいい加減だし検索すれば正確な情報は得られると思うのでそこは省略します。
で、このたびのPCリプレイスにお話を戻します。もう、ここ15年くらいは、PCは調子が悪くなったら仕方なく買い替えるもの、になって来ていると思う。普通に何ら支障なく稼働するマシンを、10万円も15万円も出して買い替えるには、言い訳がいる。1995年から5年あるいは10年は、最新のPCに触れる(所有する)ことが、その言い訳を十分担ったんだと思う。でも、今やそんな時代は遠い過去ではないだろうか。PCを買い替えたって、さして目新しい暮らしが訪れるわけでもない。それで気が付いてみると我がメインPC2008年に自作したものを、パーツを替えながら足掛け12年使ってきたものだ。その愛器がこの4月くらいから、少々機嫌が悪い。


一番端的な不調理由は(想像の域を出ないけれども)Cドライヴ(SSD128GB)の飽和だと思う。別に1TBHDDを増設済みだけれども、僕くらいのPC使いにとって、CドライヴというのはPCの生命線だ。プログラムとそれに纏わるファイルをDドライヴに勝手に引っ越していいものか、正確に判断できるだけのスキルはない。
一方でダウンロードしたたくさんのファイルは、Cドライヴのダウンロードファイルに蓄積していく。そればかりじゃないんだけれども、とにかくCドライヴが真っ赤に表示されるたびに慌てて画像データのようなファイルを捨てたり引っ越したりを繰り返すことになった。あとはセキュリティーソフトの共存や、メモリーの不足(8GB)などなど気になる点は尽きない。

で、5月早々に、このコロナ禍たけなわの緊縮財政時に、新PCを発注した。いったん注文する、となると、昔からの凝り性が再燃してしまう。Macに手を出すことはなかったけれども、最新CPUであるi9には興味があったし、グラフィックボードもゲーマーでない自分にとって(主にデジタルカメラの写真データの現像)何がいいのか・・・?行きついたところがゲームのような動きものではない画像に強い新しいグラフィックボード、Quadroだ。とりあえずi9とQuadroで検索をかけてみると、それほど多くもないPCがヒットした。およそ6~7割は、30万円にも手が届こうかというハイエンドマシンである。160,000円を上限に切ると、もう候補は10指に収まるくらいだ。
Cドライヴに使うSSDの容量が大きくて・・・と残り数か所のこだわりポイントを押さえると、もう3機種ほどしか残らない(パソコン工房、ツクモ、ドスパラでした。いわゆる大手は皆無)。それぞれのメーカーのサイトに行って、一番希望に近くて安価な機種を選び、メモリーだけ増設して発注した。

ここ20年以上、ずっとPCを自作してきた。最初のころは、自作PCは安く上げることができていたと思う。市販PCは、ソフトで売っているような面もあって、買って立ち上げると不要なソフト(年賀状用のソフトとか、家計簿とか)がしこたま同梱されていて、辟易としたものだ。それにちょっと凝ったパーツを選ぶと、完成品PCはものすごく高価で、手が出なかった。おまけに自作する人も多かったようなので、パーツの流通量が多く(市販PCも多かったし)パーツは安価に手に入った。しかし次第にPC全体の出荷量は少なくなり、パーツの価格もそれなりになって行く。同時に完成品のPCからいわゆる「余計ソフト」が姿を消して、自作に近い成り立ち&価格になって来てもいた。正直60歳を超えた僕にとって、いちいちマザーボード、ケース、CPUSSD、電源、グラフィックカード、メモリー、DVDドライヴ(ブルーレイかも?)をすべて選んで、組み上げて、OSインストールするのは面倒だし手に余りつつある。組み上げてOS立ち上げる瞬間のわくわくは、もうそんなに貴重なことでもない(何度もやったし、2晩もかけてやる元気が出ない(年だね))。

と、ちょっと感傷的になってしまったけれども、要は新しいPCを今まで通り(今まで以上に)うまく、不具合なく使うことがより大事なことなのだ。そこに重点を置いて新しいPCと付き合いたい。
それでひとつ、ここ最近はまっているのがネットのストレージ・サービスだ。要はネット上にファイル保存できる容量を提供してくれるサービス。だいたい4パターンくらいのサービス内容があって、いちばんベーシックなサービスは無料なところが多い。10~50GBくらいの無料ストレージの利用権限が与えられ、場合によってはファイル共有できるケースもある。いくつか勝手に試した中ではTeraCLOUDとMEGAがいい感じだ。冒険せずにGoogleにも同様のサービスがあるのでそれを使ってもいいし、MSOnedriveも便利そうだ。整理整頓がうまくないと使いこなせないEvernoteは、以前から利用していて、まんざら嫌いでもない。それでもPC新調したし、新し物好きの僕にとって、こういう機会にトライしてみるのはいいことだと思う。

それからPCをリプレイスすると必ずついて回るのがソフトの使用権のバトンタッチ。今やソフトのサブスクリプション化が進み、アンインストールして再度インストールという手順が通用しない(これもめんどくさいけどね)。まずもって、IDとパスワード。あー、どうだったかなぁとぶつかるたびに、再度旧PCを立ち上げないといけない。だいたいモニターを余分に持てる身分じゃないから、いちいち繋ぎなおして確認することの手間と言ったらもう・・・!結局古いPCといつまでたってもおさらばできない。
さらにはメールアドレスや、ネットのお気に入りURLの移転も手に余る。ファイルごと例のネット・ストレージ・サービスに上げちゃうのも便利といえば便利だけど、メールアドレスとかどうなんでしょうね・・・?基本的には自分に極秘はない(?)、つもりなんだけど、メールアドレスや年賀状の住所録となると、ちょっと気になったりして。そこに目を向けるとFacebookはやっぱり便利この上ないなぁ。だってどんなPCでも、すぐに自分環境にできてしまうもんね。GAFAに世界が飲まれるっていうけど、それも仕方がないって改めて思い知っちゃう。

果てなく長々と書いてしまったけれども、新PCでは
i9とQuadroの使い具合を体験してみよう(あまりわからないかも・・・)。
ストレージ・サービスをうまく使おう。
この機会にメールアドレスやお気に入りURLを棚卸して整理しよう。
今度も10年以上もってください。
なんだ、たったの4行で終わる内容でした。失敬!

2020年6月1日月曜日

コロナ後の世界(コロナウィルス協奏曲を終わろう!)。



新型コロナウィルス(Covit19)感染拡大に伴い、日々の暮らしに変化が出始めたのが2月半ばからだ。アジア圏からの宿泊予約が次々キャンセルされて、ついに2月26日を区切りに3月、4月の予約は、すべてキャンセルになった。3月に入って次第に全国的に感染者数が増えていく。いち早く緊急事態を宣言した北海道も、いったん感染者数の拡大が沈静化したかのように見えたが、再度感染者数増大に転じてしまう。
4月6日、安倍首相が全国的な緊急事態宣言を発令して、不要不急の外出が制限されるようになる。この頃になると予約の問い合わせは全く皆無となり、僅かに残っていた5月、6月のご予約もキャンセルになってしまう。3月半ばまでは、多寡をくくっていた僕でも、さすがに今年のビジネスは、厳しいを通り越して創業以来の危機に直面すると肌身に感じないではいられなくなった。

政府の動きは、早かったと思う。いろいろな形で支援のための給付金や助成金の法制化を進めて、暮らしの維持のための金銭的な支援に動いた。もっとも法制化(市民にわかるようなルール化)には時間がかかるし、申請受付後の審査もやはり手間がかかると思われ、すぐに手元に支援金が入ることにはならない。2か月以上に及ぶ仕事の無い(当館「四季」と「丘のほとり」にお泊りになるお客様のいない)状況下、自分は自分で資金ショートで起こりうる厄介ごと(建物のローン返済の滞りとか)は、皆無にしておく必要がある。とりあえず無利子&無担保で借りられる貸し出し、最大枠の500万円を申請した。ありがたいことに申請後2週間ほどの4月24日に借入できたことは、本当に助かった。
その後、すぐに申請が可能になった持続化給付金の申請をし、定額給付金(1人一律10万円)の申請をし、美瑛町の支援金(事業主用)の申請も済ませた。いろいろな形で事業継続のための支援金の用意はされ、まったく仕事の無い自分たちの置かれた境遇にあっても、少し将来に希望が持てたのは事実だ。悪評高い雇用調整助成金の全必要書類がそろえられたのは5月30日。土曜日にもかかわらず2度目の隠密ボランティア活動で足を運んでくれた会計事務所の担当氏には、本当に頭が下がった。

GWいっぱいまで両宿泊施設とも休館とし(まぁ世間の流れから言っても、営業継続はしにくい状況だったし)、5月7日から営業再開したカタチを取るも、やっと1組のお客様がいらしたのは5月14日だ。4泊滞在いただいたので、2か月半ぶりに4種類の夕食のバリエーションをご用意、いいリハビリじゃないけれども、4日分違った食事をご用意したので、忘れかけていたメニューもおさらい出来たのは良かった。
その後お客様はさっぱりいらっしゃらない。少しずつ、東京と北海道(ほとんど札幌)を除いて感染者の拡大は沈静化してきている。緊急事態宣言の解除に向けて、状況的にはなんとか準備が整いつつあった。
この間定額給付金(10万円が2人)、持続化給付金(丘のほとりのみ法人格が認められて200万円)の振り込みがあり、大いに勇気づけられることとなる。諸般の申請手続きの煩雑さから、必要以上に批判的な世論がクローズアップされたけれども、政府の各種支援メニューは充実していると感じる。申請のための必要書類が多岐にわたるのも、ニセ申請者が後を絶たない現実がある以上、仕方がない。申請を簡略化して、給付後に不正があった場合は取り返せばいいと言う意見も散見するが、一度渡してしまったお金(しかも税金だ)を取り返すことなど、至難だと思う。何しろ不正をしてまで受給しようという輩だから、簡単に「お返しします」とはなるまい。ここは少々面倒な資料作成や証明書類の用意を、辛抱強くしよう。
この支援策、一次と二次補正予算の合算でトータル230兆円になるらしい。
国債発行で賄うようだけれども半端なツケではない。国としても、様々な企業(事業者)が経営継続ができなくなるような事態(倒産)は避けたい。それは結局のところ国にとって高くつくし(生活保護はじめ、結局税金が必要だ)、政府与党にしてみたら、政権維持上も市場が混乱するのは最悪だろう。



翻って、このコロナウィルス感染症が日本を覆った出来事は何だったんだろう・・・?最初に感染者が確認されたのは、1月15日だ(神奈川県)。そこから少しずつ増えていき、4月上旬に感染ピークを迎える(4/11、新規感染者720人)。現在(5/31)で、累計感染者は16,864人。死者は897人に達した。思いもよらない大きな被害が出てしまった。

一方で毎年のように感染拡大が懸念されるインフルエンザは、年にもよるけれども1千万人前後はいると推計されている。もちろん死者も多い(2018年で3,300人)。
https://consumernet.jp/?p=6623
私たちは、このインフルエンザのことはあまり気にしない(個人差はあるけれども)し、マスメディアも大して取り上げたりしない。ざっと新型コロナウィルスによる死者の、3倍の犠牲者がインフルエンザで出てしまっているとして、コロナの3倍くらいインフルエンザに注視しているだろうか?まだ、ワクチンも特効薬もない新型コロナウィルスのもたらす「怖さ」のイメージは確かに大きい。けれどもそのほかの数えきれないほどの感染症と比較して、私たちの社会は明らかに過剰反応していないだろうか・・・?それに加えて明けても暮れてもメディアでは恐怖をあおるような報道が繰り返され、果ては春はまだしも夏の甲子園大会(高校野球)までもが中止に追い込まれてしまった。
そしてついに230兆円にも上る補正予算案を通して、このコロナウィルス対策に税金を使う。もう、日本の世の中は、あっという間に行き過ぎとしか思えないコロナシフトへと陣形を変えてしまった。5月25日に緊急事態宣言は解除されたけれども、当分は普通の暮らしを簡単に取り戻せそうにない。ウチも、閉店状態が続くので、当面各種の支援金に頼って経営延命を図らざるを得ない。

でも、もういい加減に視野を広げてみてはどうだろう?ちょっと厄介な風邪が流行ったのだ。インフルエンザほどの感染力はない。欧米の様相は少しアジアとは別物と考える必要があると思わざるを得ないけれども、そろそろコロナウィルス協奏曲に耳を貸すのも終わりにしたほうがいいだろう。コロナにかまっているほど、僕らは余分な時間を持っているとはいいがたい。若い人たちにツケをまわして、stay at homeで呑気にくだらないテレビニュースにしがみついている暇はないぜ。

2020年3月8日日曜日

ダイヤモンド・ダスト


確かユーミン(松任谷由実)の曲に、「ダイヤモンド・ダストが消えぬ間に」という1曲があったと思う。でも、こちらのダイヤモンド・ダストは、なぜかダイビング中の水中の気泡だったり、シャンパンの泡だったと記憶する。本当のダイヤモンド・ダストは、空気の泡じゃなくて、氷の結晶だ。気温が氷点下15℃よりも下がると、空気中の水蒸気が氷として析出して、小さな粒が光輝いて見えるさまだ。
いくつか気象条件が重ならないと見えないので、ここ美瑛にいても冬の間は毎日のように見えるわけでもない。だいたい厳冬期の2か月間くらいは、週に2~3回くらい見ることができる。さらに好条件が重なると、ものすごい量のダストが舞い、それはそれは美しい♬大雑把だけれども、週に1回か、10日に1回くらいそんな日に巡り合う。

2015年の2月にもダイヤモンド・ダストのことは書いたので、この現象の現れる気象条件などについては省略する。また、美しいダイヤモンド・ダストが見える場所と言うのも限られる。水蒸気が多く含まれそうな川面、つまり橋の上からはたいてい見ることができるし、落差があった方が(見下ろせる場所)いいと思う。
今回も2015年と同じ場所に陣取ってみたが、この5年間でさらに人気のスポットになっていて、2月9日に出かけたときはクルマは100台以上、撮影している人はもっといたようだ。嬉しかったのは、皆さんマナーがよくて、駐車場のないその場所でも、片側にきちんと車を停めて、またドローンを持ち込むこともなく写真撮影に勤しんでいた。とは言っても生活道路として通勤などに使う人にとっては邪魔以外の何物でもなさそうではある。気温マイナス30℃(29.8℃)まで下がる厳しい朝だったけれども、ダイヤモンド・ダストはほんの少ししか見えなかった。
家を出るころ、夜明け前5時半。 
日付変わって2月29日。ちまたはコロナウィルス感染予防の観点から、不要不急の外出は避けましょうとなって間もない。本当はのこのこと写真撮りに行くのも憚られる時節柄・・・とは思ったけれども、お客様もいらっしゃらない家の中で(本当に、宿泊されるお客様は激減しました!)、ちんまりと過ごしているだけでは詰まらない・・・。せっかく晴れた日の朝なので、思い切って出かけることにした。
冬至の頃、日の出は午前7時を過ぎるくらいだったけれども、もう1時間以上も早くなっている。我が家からダイヤモンド・ダストが盛大に見える場所までは、およそ15分。5時過ぎには準備を始めて、5時半には家を出たい。家を出ると、まだ群青色の空に、わずかに陽の光の赤い色が滲んで、なんとも空のグラデーションが美しい。気温マイナス23℃、たぶんこの冬のラスト・チャンスだ。

見え始めたダイヤモンド・ダスト(肉眼) 
果たして現地に到着すると、クルマ6台(最終的には15台くらいでした)。先回来た時の10分の1程度しか人だかりは無い。ほどなく日が昇り、無風で好条件が重なったこの日は美しいダイヤモンド・ダストに出会うことができた。おまけに人の出はまばらで、神聖なとまでは言わないけれども不思議な自然現象に、静かに感動することさえ出来た。きっと2000年頃は、この場所はこんな感じだったと思う。広い場所にせいぜい10人くらいの好事家が(物好きが)集まって、珍しいダイヤモンド・ダストを見ていたんじゃないだろうか。今やそんな贅沢は夢のまた夢。NHKはじめテレビ関係の報道陣さえ集まるこの場所は、冬の日の早朝には人混みで身動きさえ不自由なくらいだ。
盛大に舞っています1  
今回はコロナウィルスの蔓延防止+2月9日よりも条件悪い予報(気温の予報はマイナス18℃止まり)だったこともあって、がら隙きの状態で乱舞するダイヤモンド・ダストを拝むことができた。日の出直後の太陽光はオレンヂ色で、ダイヤモンド・ダストもオレンヂの色に染まる。日が高くなると太陽が真っ白になって、ダストもダイヤモンドのように純白に。僕はどちらかと言うとトルコ石みたいな色をした、日の出直後のダイヤモンド・ダストが好きだな。
 
盛大に舞っています2 
振出しに戻って、ユーミンの曲。ダイヤモンド・ダストを泡になぞらえて、はかなくすぐに消えてしまうもの、という表現はとても的を射ていると思う。今度はぜひ、ホンモノのダイヤモンド・ダストを題材に曲を書き下ろしてもらえたらいいね。そのためには実際に見てもらうしかないんだけどなぁ、この実に美しい自然現象を!

2020年3月1日日曜日

クリーム・ブリュレ。

この洋菓子を知ったのは、いつだっただろう?もともとプリンがそんなに好きではなかった僕が、いつしかプリン好きになったのは30歳を過ぎてからだと思う。きっとろくでもないプリンばっかり食べていて、美味しいプリンを知らなかっただけじゃなかったのかと、今ではそんな気がしている。
クリーム・ブリュレに初めて出会ったのは、とっくにプリン好きになった後だったので、このプリンをさらにオシャレにした洋菓子を、あっという間に大好きになったのは言うまでもない。

さて、ここで少々脱線する。1つ前の記事で映画を見せていただいたお宅の主が、映画を観終わった後に紅茶を淹れてくれた。映画の余韻と共にいただいた紅茶が美味しかったので(どちらかと言うとコーヒー派の僕だけど)、紅茶葉のことが話題になった。なんでも旭川市内の紅茶専門店で毎度手に入れていると言うそのお店ライフラプサンは、北海道最古の紅茶専門店だというのだ!
歴史の浅い軍都、旭川に「北海道最古の」なんてあるのだろうか・・・?と思わないわけではなかったけれども、彼はもともと判事さんで、モノゴトを正確に判断する癖がついていらっしゃるから、嘘であるはずがない。
それで、日を改めて行ってみようとなった。果たしてそのお店は旭川市東光(旭川東警察署の少し美瑛より)にあって、開店以来40年になる老舗だった。店内は40年の古さは微塵もなく(と言っても最近の洗練されたモダンな雰囲気ではないけれども)、適度に古さのある、居心地のいいお店でちょっぴり長居してしまいたくなる雰囲気だった。せっかくなので紅茶をいただき(2袋ほど茶葉も購入)、お供に選んだ洋菓子がクリーム・ブリュレだった。

北海道で最も歴史ある紅茶専門店_ライフラプサン

そうだ、クリーム・ブリュレ、自分でも焼いてみよう!とこの時強く意識して、家に帰るとさっそくレシピのチェック。今のご時世、ちょっとPCを覗けば、このくらいの情報はいくらでも手に入る。全くもって便利な世の中になったものです(困ったことも多々あるけど)。
ハナシはさらに3年前に遡る。実はクリーム・ブリュレ作りたい病は以前からあって、やりたいなぁーとぼやく自分の小言を聞いていたスタッフの一人が、見かねて僕にガス・バーナーをプレゼントしてくれた。これはもちろんクリーム・ブリュレの仕上げに必要なもので(なくてもできないことはないけど、超面倒)、この時よし、やるぞ!と一瞬思ったものの新館「丘のほとり」完成間近のあわただしい時期に重なって、ついに今までやらずじまいで来てしまっていたのだ。
ま、今は残念ながら暇もある。神様が少しは前向きなことをやりなさいなと仕向けているに違いないから、クリーム・ブリュレ、作ってみましたよ。プリンと比較しても、多少こっちの方が簡単にできると思う。難点は、卵の白身が余ること・・・。僕は余りが出るレシピは、本当はやりたくないんだよなぁー。

焼き上げること70分(長い!)、ちょっと気をもんだけれども実にうまい具合に完成♬食べるタイミングに少々間に合わなかったので、冷やしは外で(この点北海道の冬はいいよね)。最後のキャラメリゼに、いよいよガス・バーナー登場で、グラニュー糖を焼いて出来上がり。見た目も美しく、食べてもとても美味しく、一緒に淹れたコーヒーとの相性も抜群で言うことなし!!!
次回は少し温度を上げて、30分程度で焼いてみようと思う。


ちなみに紅茶葉を買いに行ったついでに気になるコーヒー・ショップも梯子した。さすがにお腹ちゃぱちゃぱで、コーヒーを飲むことはできなかったけれども、豆は買ってきた。旭川最古のカフェ、ちろると、ちろるからほど近い買物公園通り沿いの超人気店、宮越コーヒー旭川店。どちらのコーヒー豆も美味しいコーヒーを淹れることができたし、でもってこの2店、お店の雰囲気もいいんだよね。今度行ったときは、ぜひコーヒーを飲んでくるとしよう! ちろるは、旭川の作家、三浦綾子が何度も訪れた喫茶店。氷点執筆中の1963~1964年当時、まだ喫茶店なるお店は少なかったのかもしれませんね。81年の歴史あるちろるも、ずっと健在であって欲しいです。