朝倉かすみ原作の小説をもとに作られた映画が、昨日(2025年11月14日)封切られた。1年にほんの数本僕が映画を見に行くのは、まったくもって場当たりで、その時々の宣伝や口コミをたまたま目にしたことがきっかけになることが多い。今回もそう、もちろん原作を読んでいたわけでもないし、ヒロイン役の井川遥に深い興味を抱いているわけでもない。きっかけは、ぼんやり眺めていたYoutubeに流れて来た、星野源の歌「いきどまり」だった。美しいメロディーラインと切ない歌詞に心が震えて、検索して行きついたのがこの映画だ。
うん、なかなか良さそう♫今日ロードショー、スタートなんだ・・・、とか、すっかり見に行く気になって、気が付けば上映時間なんかを調べ上げていた。偶然カミさんが中学校の同窓会で静岡に帰省しているのでひとりっきり。映画は朝一番の8:30から上映のものを見ようと決めた。
https://hirabanotsuki.jp/
さっそく映画について書いてしまおう。あんまりいないとは思うけど、もしこの先この映画を見に行くんだと言う方におかれては、けっこうなネタバレになる予定なのでこの先読まないことをおススメする。
まず、この映画のエンディングは”悲恋”です。
そして最初のカットは50代に足を突っ込んだ主人公の二人が、生まれ育った東京近郊の町で再会する「今」の場面。主人公の青砥(あおと)を堺雅人が、その相手役の須藤を井川遥が好演する。二人のバックグランドには、この世代特有の健康面のこと、介護のこと、終わりそうで終わらない子育てのこと等々が、それぞれにどっさり纏わりついている。
場面は時折二人の出会いと、芽生えた初恋のシーンへと移る。中学生の純真な2人。複雑な設定の須藤の家庭環境。叶わない青砥の想い。そしてまた「今」に戻って、不器用にちょっとずつちょっとずつ歩み寄るふたりの恋心。不器用な50代のふたりが、周囲を固める実力派俳優の包囲網の中で、もどかしいほどにゆっくり距離を詰める。
生き様をゲームに例えられるとも思わないけど、無理やりゲームっぽく言えば王手をかけた50代の青砥。そしてそれを受け止めきれずに拒絶してしまう須藤。好き、嫌いだけでは片づけられないふたりのこれまでの生い立ちや生活環境が、どうしても須藤を素直にさせない展開に、見ているもののもどかしさも頂点に達する・・・。
1年の後、約束の12月20日に残り1週間になろうとする頃、スマホのリマインダーがそのことを告げる。もう間もなく嬉しい再会の日が近い!が、指折り待つ青砥の想いを木っ端みじんに打ち砕く、須藤の他界の噂。何もかもが「無かったこと」になってしまう厳しい現実に、嗚咽を殺せない青砥を、迫真の演技で堺が唸る。
タイトルの「平場」は、普通の、と言う意味らしい。普通の暮らし、普通の毎日、特に何ということもない日々の繰り返し。信号でちょうど青に変わる瞬間に出くわしたことを、ラッキーと喜ぶささやかな幸せ・・・。
生前、小さなアパートの窓辺から月を眺める須藤に「何考えてたんだ?」と青砥が聞くと「夢みたいなことをね、ちょっと」と答える。当たり前のことが夢みたいになってしまうその先を予感させるセリフは、リフレインに溶け込んでいく。
エンディングのテロップを見るともなく見ていると、ストーリーを実写したかのような挿入歌「いきどまり(星野源)」が流れる。そうそう、この美しいメロディーラインが、この映画を見に連れて来てくれたんだった・・・と思い出した。
ちなみにこの映画の挿入曲はもう1曲、薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」がある。またこの曲が、絶妙のタイミングで流れるんだよね。
とても悲しい、切ないお話。泣き虫な僕は、涙止まらずかと思いきや。今回は全然泣けなかった。なんというか、もう主人公に感情移入し過ぎちゃって、泣いてる場合じゃなかった。でもって、めちゃいい映画だった!
今年は5月にも1本、「父と僕の、終わらない歌」ってのを見たんだけど、こっちもとても良かった♬日本映画もなかなかやるよね!
追記:やっぱり原作の小説も買ってしまった。余韻に浸りながら読もう。

