2021年2月7日日曜日

パンを焼く、この心躍る豊かな時間。

 コロナ禍で、あれこれ事情が変わってきた。なんといってもお客様がいらっしゃらない(来ることができない(特に海外の方は))。お役所も、これじゃヤバいとばかりにあれこれと施策を打ち出している。こんな経験は滅多にないので、たまには「えー?」と唸るような施策も発令されてしまう。

そのひとつが、美瑛町が町民に配布した「宿泊クーポン券」だ。全町民にお買物クーポンとともに、宿泊クーポン3,000円を配布したのは、昨年の5月の頃だったと思う。しかし実際に受け取ってみると(私も美瑛町民として)、使うのはちょっとビミョーだ。わが町民が、わざわざ町内の宿泊施設に泊まるだろうか・・・?例えば何かの記念日に、ご夫妻で泊まって2人で6,000円のクーポンがあるのは確かに嬉しい。かなりいいワインなんか飲もうかな・・・なんて思えなくもない。とは言うものの昨年12月が期限だったこの宿泊クーポン、消化率(利用履歴)はおよそ4割りらしい。あわてて利用期限をこの2月まで伸ばしたが、ウチも2枚とも(家族全員分)、まだ使わず仕舞いだ。

6月だったか、やんわりと宿泊施設側に「使う場を工夫してはどうか」的なサジェストが町から、観光協会から、あった。発行元の町は、宿泊施設に対する刺激策だったので、宿で何か買うのに充ててもいいということだった。ちょっと浅はかな施策だったとは思うけど、もう世に出てしまったモノは仕方がない。ウチで何買っていただけるだろう・・・?と1週間くらい考えてみたのだけれど、消去法的に残ったのがライセンスもある、パンの小売りだ。宿泊券で、パンを購入していただいてはどうだろう・・・。1枚3,000円の宿泊券だから、回数券方式でやってみようと思い立った。


パンについて、語れば長い。ので、ざぁーっと端折って、2000年ころからの想い出にお付き合いいただきたい(って、あまり端折っていないか!?)。確かまだお正月のお休みの、後半だったと思う。僕は200枚ほどある年賀状に目を通すともなく眺めていた。上司、同僚、部下たち・・・に始まって、お取引先、お客様、外注さんなどなど。そのほとんどは勤めている会社関係からのものだった。時折学生時代の恩師や同級生のものが混じるが、せいぜい2割もあっただろうか・・・?おせち料理も堪能しきったことだしと、コーヒーを飲みに休み明けで始まったカフェへ向かう道すがら、目に飛び込んできたのは「パン教室」の4文字の刻まれたポスターだった。

すでに40歳を過ぎて、それなりに責任あるポストにも就かせていただいていた自分は、当然と言えば当然だけれども会社だらけの人生にまみれていた。後悔はない・・・つもりだったけど、いずれ会社から去る時が来たら抜け殻みたいになってしまうのだろうか?そんな不安がゼロだったと言えば嘘になる。そして「仕事ではない何か」を無意識に求めていた僕の目に飛び込んできたのが「パン教室」のポスターだったのだと思う。

果たして、見学もできますと言うお誘いに乗ってみたものの、有閑マダムのサロンと化したその場所は、企業戦士の僕の居場所ではないと思い知らされ、早々に退散する羽目に・・・。なったのだが、店員さんの「男性教室もありますよ」の一言が決定打になって、その月の男性教室には、前のめりになって入会した僕の姿があった!


パンが焼ける、明けたオーヴンから立ち上る香りを嗅いだ時、僕はパン教室入会がどれほど正解だったかを確信する。美味しいパンが好きだ。そしてこの、小麦が焼ける香ばしい匂いの甘美なこと♬

数回出席するうちに、その男性教室にいらっしゃる先輩たちが、皆気さくで気づかいのある方たちばかりだったことにも気づく。加えて先生をしてくださるのは全教室(ジャパン・ベーキングスクール)のワルツ部門トップの片桐先生だ。なんでも男性教室は屁理屈を言う生徒が多いらしく、パンの理論(はっきり言って、生化学反応)に多少は詳しくないと、意地悪な質問にも答えにくい。ちなみにパン教室の同僚先輩方は、自動車メーカーの技術屋、画家、市会議員、高校教師・・・とまぁ多彩な人たちだった。

正直先生の指導は厳しかった。おかげで出来上がるパンは、いつもすごく美味しかった!パン教室にとって生徒はお客さまだから、ともすると先生は生徒の顔いろを気にしてしまうのではないか・・・?なんてことは微塵もなく、座学含めて常に向上心を持ってパン作りに向き合うことを強いた。最初の半年ほどは、僕は劣等生で、理論に加えて、成型における技術部分でも先輩たちに大きく後れを取っていた。まぁ仕方がないと自覚していたが、しばらくのうちに先生から「いつまでこの程度のことができないままなのか!」と叱られ始め、ちょっと面食らってしまった。でも、なぜかまったく「嫌だな」とか「もう辞めたいな」とは思わなかった。むしろ、もっと美味しい美しいパンを焼こうと、だからもっと教えてもらおう、ということが多かった。日頃は中間管理職真っただ中の僕にとって、いち末端生徒になってひたすら先生の指導を仰ぐのは、妙に心地よかった。そして何よりも片桐先生は、ご自身がパンに、常に真剣に向き合っていた。

いま、もう15年もパンを焼く日々を過ごしながら改めて感じているのは、パン作りの奥深さだ。正直、パンを作るためのレシピはおおむね単純なものだと言えるだろう。ケーキや料理と違って、扱う素材は両手の指ほどには至らない。しかしわずかな製法の違いが(時には手抜きみたいなことが)、決定的に完成したパンに影響する。ちょっとした時間の長短や、温度の違いで、すぐにパンは拗ねてしまう。
そうかと思えば、”しまった”と焦る気持ちをなだめる様に、”大丈夫だよ”と何事もなかったようにちゃんと焼きあがることもある・・・。

愛読書に「パン屋の仕事」という本がある。この本の著者、明石克彦氏よれば「レシピの字面に現れない、繊細なパン作りのあれこれ」をすくい取る心配りがないと、美味しいパンは焼けないらしい。この本との出会いは、岐阜県高山市の老舗パン屋「トランブルー」だ。私の師、片桐先生が、ただひとり「あの人はすごい」と言った孤高のパン職人成瀬正氏のお店。トランブルーのことを話し出したら、さらに話が長引いてしまうので、このあたりで・・・。とにかくそんなあれこれと片桐先生に感謝しながら、今日も美味しいパンを焼く。はっきり言って、これはコロナ禍のくれたささやかな至福の時間でもある。


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