2016年1月11日月曜日

強要したい私・・・(ワインを選ぶ際に)。

  常日頃、けっこう信じて疑わないことがあります・・・。それは「個性って、良いことなのだろうか?」というちょっとした疑問です。いろいろなケースで決めなくちゃならない時に、あまり気が進まないんだけれども一般的に「これにしておけば無難」という選択と、自分自身は気に入ってはいるものの、普通は「やめておいた方がいい」選択があったとしましょう。お話を単純にするために、ちょっと極論っぽい設定ですけど。で、僕自身に限って言えば、気は進まないけど一般的には「これがいい」というのを選んだ場合の満足感は、悪くない!ということが多いのです。それどころか、かなり良い、と感じるケースもよくあります。何だか個性のないお話しですよね。
で、自分はいいんじゃないかと思うけれども、世の中では「やめておいた方がいい」方に固執した結果は、たいてい失敗しちゃう。ごくたまに、おおーっと言いたくなるほどの納得できる結果に嬉しくなることもありますが、それはやっぱりたまーに。


つまり僕自身はわかってもいないものを選択する際に、どこから湧いてくるのか怪しい直感頼りに、良さそうだ!なんて思うわけですが、ひとことで言えば「わからない」、が正しいのだろうなぁと。

とにかく僕は、いやこれをお読みくださる読者の方も、知りもしないことを決めることが多いように思います。決めるには決める理由がいるわけですが、知らないものにはそれ(理由づけになる判断材料)も乏しい。
たとえばクルマを選ばなくちゃいけない、としましょう。もう今のクルマは10年前のモノなので、そろそろ寿命が近づいてきたのか小さな不具合も多くなり、修理費もちょこちょこかかるようになってきた。さて、次のクルマは・・・となると、10年も前の愛車と、今の新車と比較するモノサシが自分にはない、というのが普通ではないでしょうか(新車を買うと言う前提ですけど)。だいたいにおいて、僕にオリジナリティのある判断基準が、どのくらいあるのやら。もしかしたらクルマ関連の雑誌や、ネット上の情報や、あるいは詳しい知人の言ってたことなんかを足したり引いたりしながら「というわけで、僕はこれが好きだと思う」ってなってる。好きのあとに「思う」ってなんなのさ?好きなら好き!で終わりですよね。要はわからないことを他人の判断を引用して、自分の意見のように勘違いしてる。


ものすごい遠回りをしましたが、ワインを選ぶとき、一番プレッシャーに感じるけれども、間違いない選び方をされるお客様のひとことは「何が合うかなぁ、オススメは?」です。実はウチではカミさんと二人で、自分たちの料理を食べながら、自分たちのストックしているワインをあれこれと飲んでいます。なので、今日の料理のラインナップなら、このワインかあのワインだな、というのはある。価格帯(実は価格帯にあんまり幅がありません、ウチは。どれもだいたい1本3,000円前後)やら赤・白の好みはありますから、大雑把にフォーカスいただいて、あとは「何かこの範囲でオススメを」と言っていただけたら、ハズレのないワインをフィットできるつもりです。

え、そういえばあのワインがデッドストックになってたから、それを飲ませちゃおうってことはないのか、ですか?はい、ありません!(きっぱり!)。そんな大胆なことはできません。だって、もう二度とここには来ないぞ、なんてことになって欲しくないですから。なかなかワインもお料理とフィットしてるなぁ、美味しい♪いつかまた来てみようかな、友達のアイツに、美味しかったよって伝えておこうかなぁ。と、こうなるのが希望路線。


そんなわけで、今宵もお料理とワインの相性の良さを見つけるべく、奮闘中。それを知ったるり君が「私も協力するよ」って現れたのは、たんなる偶然とは思えません。そのくせ「ただの酒好きですよね?」なんて言われる筋合いは毛頭ないんですが、彼女の持参したチーズがすごく美味しかったので(チーズ、ちょっと苦手なんです)、参加を快諾。
やっぱり魚介の紙包み焼きにはこのワインですよね、と納得顔のるり君。なんだ、僕と一緒だよ、言ってること。あれ、やっぱり個性ってなんなんだろう?ワイン選びと個性はあんまり関係ないのかもしれないですね、美味しいなぁは、共通した感じ方なんじゃないかなぁと思うこの頃です。

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