2018年1月28日日曜日
ゴッホ_最後の手紙(映画)を見る。
帰って来て、グーグル先生に検索してもらってウィキを読むと、フィンセント・ファン・ゴッホは”ファン・ゴッホ”がいわゆる姓なので(ミドル・ネームではないので)、一般には(日本以外では)略さない、とあるので、そうします(たんにゴッホでは良くないらしい)。
で、ファン・ゴッホの映画見て来ました。
確か彼は生前に売れた絵が2枚しかなかったと記憶していたが、映画のエンディングでは1枚とあり、ここでも記憶間違いが発覚(例のウィキも(諸説あるが)1枚とのことです)。ともかく、不遇の天才画家みたいな表現が言い得ているのか・・・と思いつつ、とにかく映像美に期待だ(事実ネットで閲覧できる予告編は圧倒的に美しい)!と勢い込んで、夕方6時過ぎの上映に滑り込んだ。
観てきた第一印象は(ってこれがほとんどなんだけれども)、美しい。すごい映像美。そこに期待をして行ったわけだけれども、そのやや過熱した期待に存分に応えてくれる。いや、はるかにその期待を超越していた。なんと125人もの現代アーティストの手を借りて、ファン・ゴッホ(タッチ)の絵がアニメーション化されている。そもそもファン・ゴッホの熱心なファンではなかった(むしろダリやフェルメールやレンブラント贔屓なのです)僕も、あれ見ちゃうと虜になっちゃう。ホントすごい美しい。
「タンギー爺さん」が語るさま、あの大好きな「夜のカフェテラス」の雰囲気、そして跳ね橋や糸杉や星々が、ファン・ゴッホの筆使い・色使いそのままに、スクリーンを縦横無尽に彩る。正直やられた。ファン・ゴッホの作品のファンにもなりました。
さて、映画なので当然ストーリーはあって、謎めいた(とは知らなかった)ファン・ゴッホの死が、サスペンス仕立てでテンポよく展開する。ダグラス・ブース扮するアルマン・ルーランがファン・ゴッホの最後の手紙を携えて、彼が死を遂げた地を訪れることでいろいろな登場人物が複雑に、でも必然的な自然さとともに物語が続く。
ゴッホは自殺によって命を絶ったものと思っていた僕にとって、このストーリー展開はなんとも目の離せないスリリングな(とは言っても、ホラー映画のような恐怖感は微塵も抱く必要はないのです)ものだ。
でもって、ファン・ゴッホの描いた肖像画たちの生き写しなのか、と言いたくなるほど素晴らしい配役が(ガシェ医師、アドリアーヌ・ラヴー、ジョゼフ・ルーラン、マグリット・・・)見事に絵(アニメーション)に溶け込んでいる。
この手法、いろいろな超有名な天才画家たちの作品群を、同様に現代によみがえらせることが可能ですよね。見てみたいな、ダリやピカソもこうやってデジタルの力も借りてたくさんの名画がアニメーションになって見ることが出来たら素晴らしい。むしろフェルメールみたいに謎に包まれた人の方が、ストーリーには自由度があるかもいしれないですね。そうそう、葛飾北斎も、ぜひこの手法でやって見せて欲しいな・・・!
ふと、現実の世界に戻れば、バブルの頃生命保険会社(安田生命)が58億円でひまわりを落札したことが思い出される。その後もファン・ゴッホの絵はさらに高額で売買された。
で、もう一度史実に戻れば生前、つまりファン・ゴッホが絵描きとして暮らしている間、たった1枚の絵(赤い葡萄畑)しか売れなかった(400フラン、当時の為替が判らないけど、今の為替で換算するとおよそ5万円弱)。
いわゆる超一流の芸術家として世に知られる数多の人たちは、生前その価値を存分に認められないことが多い。作曲家でも小説家でも、そんな例は枚挙に暇がない。そしてたぶん・・・、僕の知らないファン・ゴッホや将来のファン・ゴッホがきっとたくさんいるに違いない。芸術に魂を売った人たち。その人生は、あまりに一筋で健気で気丈で、そしてあまりにも儚く悲しい。
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