突然実家の電話(黒電話)がリリリリリーンと鳴り(まぁ電話っていつだって突然ですよね)、誰もいない実家で仕方なく(僕にかかってくるはずもない電話に)出てみると、廃品回収業者が訪ねたいと要件を伝えてきた。どうもこちらの氏素性と言うか何と言うかはほとんど把握できていない様子だけれども、35年前に新興住宅地だったこのあたりが20年前にはあくまでも地方の小都市ながらそこそこの住宅地になって知名度を上げた時期があったので、住所だけをあてにしたロール作戦的な飛び込み営業のようなものだったと思う。僕にしても少しずつ過ごす時間の少なくなるこの家に、残してはいるけれども持っていく予定のないものがあるので、時間を取り決めて受話器を置いた。
果たしてその翌々日の今日、業者の人間が訪ねてきた。衣類や本、フィルム・カメラやLPレコードを見せて欲しいと言う。実のところ彼は、骨董とは言わないまでもしかるべきメーカーのしかるべき高級品(腕時計とか)に一番フォーカスを当てたい様子だったのだが、僕(と家内)にその手の趣向はほぼないに等しい。それであらかじめ少し用意しておいた持ち物を見てもらうことにする。
◎衣類。
◎フィルム・カメラ(Canon Kissの初代版。レンズなし)。
◎LPレコードとEPレコード。
◎レコード再生用のターンテーブル(プレーヤー)。
衣類とカメラは引き取れないとあっさりパスされた。LPについてはクラッシック、ニューミュージック(これって死語かな・・・?)、ロック、歌謡曲とまぁまぁ代表的な、そしてもちろん古いものをチョイスしておいたところ、ロックにのみ興味を示し、概ねビートルズなどの作品(赤版&青版なんて言ってたから、そんなのマニア受けするはずないのに・・・と懐疑的ではあったのだけど)等のみが貨幣価値があると教えてくれた。実はビートルズは少し手持ちがあり、アビー・ロードには100円の値付けをされた。同じようにロッド・スチュワートとローリング・ストーンズにも同じ値段が付き、ロキシー・ミュージックは(かなり保存状態が良かったにもかかわらず)価値がない、ということになった。せっかくなので値段をつけると申し出た3アーティストの作品だけを合わせて20枚ほど見せてみたものの、いやもうこれで十分だと言って、500円だけ置いてお引き取りなった・・・。ビートルズのEP(ラヴ・ミー・ドゥ)にもターンテーブルにもあまり興味を持っていなかったようだ。
結局のところ価格は二の次で思い切って持ち物を整理したかった僕の思惑は外れ、数枚の(5枚の)LPだけが無くなり、500円が手元に残った。LPのレコード盤を少しずつ買い集めたのは、高校に入ってからだ。もちろん当時の僕にとってかなり高額品だったので、手に入れるためのいきさつ(たいていは涙ぐましい努力)や最初に針を落として聞いた瞬間の記憶など、どれも思い出深いものばかりだ。もちろんそれで未だに手放せない現実があるわけだけれども、一方で音楽をLP版で(ましてやEP版で)楽しもうと言う向きはどうなんだろう・・・?ファン・クラブに入って特定のアーティストの個人に若干でもかかわろうとするタイプでは全くない僕にとって、音楽はミュージシャンの作品として個人からは切り離された存在だ。あまり敬意を表されないことになるのを少しは危惧しながら言えば(書けば)、そのアーティストの人格がどうであっても、その音楽を好きになってしまうことはありそうだ。さらに現実的には、ミュージシャンの人となりなんてほとんど知らないままに、その作品としての音楽を楽しんでいる。
そんな僕にとって、ターンテーブルで聞く音楽と言うのはどうしても(どんなにその作品に傾倒していたとしても)、CD(あるいはDVDでもなんでもいいんだけど、とにかくデジタルのメディア)で聞くやり方に敵わないように思えてしまう。LPには(LPしかなかった当時に限定して)録音当時の息遣いが残るとか、CDもLP版の音源(たぶんマスター・テープ)からリ・マスタリングしているとか優位性(あるいは劣勢の少なさ)を懇切丁寧に説明されても、あの盤を裏返す行為だけでも面倒ではないだろうか・・・?ましてや曲順を替えたり(あるいは飛ばしたり)など、できようはずもないのだし。もちろん僕の知らない範囲で、僕の所望する機能を満たす機器は存在する可能性はある(たぶん現実にあるんじゃないかと思う)。でも、それは間違いなく非現実的な価格なのだし、それからもうひとつ(と言うか決定的なことなんだけれども)、誰でも知っている通りデジタルの方が音がいい。音の良しあしについて、決して神経質になるほどではない僕でさえ、やっぱりデジタルの音のクリアな感じは、LP版ではないものだと思う。
まぁそんなわけで、幸いにも(ひょっとしたら不幸にも・・・かな)LP版に対するセンチメンタルな想いはあまり持ち合わせていない。ちなみにビートルズとストーンズとロッド・スチュワートが同じ価値と言うのにはこれまた少し驚いた。ロキシー・ミュージックなんていかにもマニア受けするバンドだったし、ポップなロッドより価値はありそうに思えたんだけど、いらないと言われたのは意外だった。もちろん僕がこのジャンルの価格的な価値を少しでも理解しているかと言えば全くそうではないし、引き取って行った担当の方だって多少のズレ(とか個人的な趣味とか、会社の方針とか)もないことはないんじゃないのかな・・・。
それにしても、思春期に買い集めた音楽の趣味をあらためて眺めてみるのはとても興味深い。それは極論すれば古い日記帳のようなものなのだ。当時の今よりはるかに未完成な自分が、手に取るようによみがえって懐かしくも恥ずかしくも、儚くもある。自分で見ているからいいようなものの、あまり人に見てもらうようなものではないのかもしれない。
古い日記帳の一部であるのなら、たとえ5枚と言えどもやっぱり安易に手放してはいけなかったのだろうか・・・?
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